第17話 助ける理由
「王様になんかなりたくないよ」
旅が終わる前の、最後の夜。アテアラとハイカは既に就寝しており、焚火の前には、シロとカナリの二人だけ。
静かな夜だった。
「ただの愚痴だから。だからここだけの話に、聞かなかったことにしてほしい」
「言われなくても、そうするつもりでしたよ」
「あはは、良かった。君ならそういうと思ったよ」
王と呼ばれた者。為政者、独裁者、権力者、支配者。かつてシロが出会った多くの人々。その中にも、確かにいた。その地位を欲せず、しかし、その席に座らざる終えなかった人。
誰も彼もがそれを欲するわけではない。そんなことは嫌という程わかっていた。
「消去法なんだよね。僕が王座につくのはさ。元々、絶対に継承するはずなんてなかったんだ」
独り言のように、カナリは話し始めた。互いに視線は、目の前の炎に向いている。
「他の王子は死んだか、動けないか、政治的な理由で無理。一刻も早く、国をまとめるために、しょうがなく選ばれた。期待なんてされてない、玉座に座ることだけを求められた急場しのぎの王様だ。すぐにカルダに殺されるかもしれない。もしカルダが片付いても、今度は人に殺されるかもしれない。僕がなる王なんて、そんな立場だ。なりたいはずもないだろう?」
何気なく吐かれた、殺されるかもしれないという言葉。これはネガティブな思考が漏たらすものではなく、現実的な、十分あり得る可能性がある想像なのだ。
そこまでわかっていて、でも、カナリは王の席に座らざる終えない。
「全部、カルダとかいう怪物のせいだよ。王を殺し、王都を落として、国中をズタズタに引き裂いた、今も引き裂いてる。そのせいで断ることも出来やしない。断れば、自分が大切にしている人たちも困るからさ」
「それは……例えばハイカさんとか?」
「……あはは、君は意外とそういうところずばっと来るね」
「遠目からでしたけど、貴方が身を挺してハイカさんを守った姿を見てますからね」
「身を挺してなんて、大層なものじゃない。あれは咄嗟に身体が動いただけだよ。身内に知れたらなんといわれるか」
美談ではあるのだろうが、仮にも王を継ごうという人の行動としてはあまり褒められたものとはいえないだろう。
「でもさ、別にいいと思ったんだよ。死ぬくらい」
その言葉が虚勢や強がりではないことがシロにはわかった。それは感覚的なものではない。表情や、声色、動作などの身体反応を読み取ったウルスの観測が、それが本心から吐露されたものだと教えてくれる。
「死んだらハイカさんは泣きますよ」
「……君、本当、痛い所を的確についてくるね」
「意識が戻らない貴方を心の底から心配する彼女の姿も見てますからね」
献身的で甲斐甲斐しく、そしてどこか痛々しく、お世話をする彼女の姿を、シロは確かに見ていた。
「そんなこと言うなら、君が助けてくれないか?」
突然の、しかしとてもまっすぐな勧誘だった。
今回の会話は、もしかしたら最初からこれが狙いだったのかもしれない。
「出来ません」
だけど、シロが彼の願いに応えることはなかった。
沈む船に乗るつもりはなかった。
「……そ、っかぁ。まぁ、そうだよね。アテアラちゃんもいるしねぇ」
諦観を浮かべた表情で、カナリは言った。
その言葉には答えず、シロはただ静かに火花散らす焚を見つめた。
※
「シロ! 活気があって、いい街だね!」
カナリ達二人と別れ、シロとアテアラはすぐにエン=ロウスの城下街を一通り見て回ることにした。丘の上に真っ白な平べったい城があり、その下に広がる城下町。遠くには海も一望できる。
そこは今まで見てきたどの街よりも大きく、活気があり、人の顔には笑顔があった。
「……なぁ、なんか」
「? シロ? どうかした?」
「いや、なんか、人、少なくないか?」
「え? どこが?」
確かに人は多い。それは間違いない。だが、多過ぎない。溢れかえっていないのだ。それは良い事だ。だが、それではおかしいように思える。
この場所を多くの人が目指していたはずだ。街道や、関所や、街の宿で、そういう人々をシロは確かに見てきた。
そんな人々が多く訪れているなら、街にはもっと多くの人が溢れているはずだ。かつてリテルフェイドのように。
『この街を目指してはいたが、辿り着けてはいないのでしょう』
『……原因は魔獣か?』
『他にもいくつかの要因は考えられますが、概ね魔獣かと。あまりに遭遇率が高過ぎましたから』
カナリ達との旅の間、遭遇した魔獣は一頭や二頭じゃない。整備された街道のど真ん中で合うこともあった。あまりにも遭遇しすぎたのだ。
国崩しのカルダが国中で大暴れし、縄張りを荒らしまわった結果なのだろう。住処を奪われた魔獣たちがはじかれたピンボールのように連鎖し、そこかしこに現れている。その上、国内の戦力は減り、兵の配備は行き届いているはずもない。何の備えもなく歩く人々など、いい餌だろう。
『この街にだって、その影響は多かれ少なかれあると思うけど』
『まだ表に出ていないだけでしょうね。この状況が続けば、いずれはここにも現れるでしょう』
『まったく。本当にきついな、この国は』
呆れるほどに、この国の現状は、どこまでも厳しい。その運命は、ピンと張られた細い糸の上にある。いつどこが切れてもおかしくはなかった。
――この国はまるで、あの時の。
脳裏にある考えが浮かび、シロの心は深く沈み、冷えていくような、そんな気がした。
この国は、滅びゆく国だ。かつては自分の国がそうだった。時には相手の国もそうであった。自然とそうなる国もある。誰かが仕向けることもある。
国は滅びゆく。それはまるで定めのように、無限のサイクルのように、起きては消え、消えては起きた。
人一人では抗えぬ、時代、自然の流れ。濁流のように押し寄せるそれらに流され、押しつぶされ、歴史へと消えていく。
それが節理。世の理だ。
それでも。それでもシロの脳裏に僅かにくすぶる小さな灯。
そして脳裏に過ぎった問い。
――かつての、あの頃の、自分なら、どうしただろうか。
「シロ?」
「ん?」
「そろそろ行こうよ。カナリさんたちが用意してくれてるんでしょ? 泊まるとこ」
考えても、詮無い事だと、シロは頭を振った。
情熱は消え失せた。英雄足りえる力も消えた。
残ったのは燃えカス、ただの抜け殻だ。そこには、かつて英雄だった、そうであった人しかいない。
もう、彼は英雄ではない。
「……あぁ、早く行こう」
その足取りは、ひどく重かった。
※
「二階の角だ。勝手に使ってくれ」
宿屋の主人は、ずいぶんと不愛想な男だった。膝が悪いのか、杖を突いている。主人は鍵を投げ捨てるように寄越すと、そのまま足を引きずるように歩いて奥へと引っ込んでしまった。
そのあんまりな態度に、アテアラは面食らって、少しむっとしていた。
「……部屋は大丈夫そうだな」
あんな態度なのだから、部屋もひどいのではないかと勘ぐったが、どうやらその心配は杞憂に終わる。むしろ一般的な、シロがこの世界で見てきた宿の中では綺麗な部類に入る。部屋に入ってカビや埃の臭いがしないだけで及第点以上だろう。
「あー、疲れたぁー」
部屋にはいるやいなや、寝台へと寝っ転がる。
久方ぶりのまともな寝床だ。そうしたい気持ちは痛い程わかる。
そのまま寝てしまうのではないか、と注意しようかと思ったが、それも野暮だと思って何も言わなかった。
『昔から思っていましたが』
『ん?』
『主は、本当に子供好きですよね』
『人をロリコンみたい言わないでもらえる?』
『悪意のある受け取り方をされているだけでは?』
逃げ場のない脳内の会話ゆえに、シロは思わず苦笑いを浮かべる。そもそもウルスとの会話に勝ち目など、最初からないのだ。
『……別に普通だよ。というか、大抵の大人は子供に優しいんじゃないのかな?』
『そうかもしれませんね』
二人の間に、嘘や隠し事は不可能に近い。シロには、おそらくウルスにも、する気もないだろう。その会話はまるでもう一人の自分と会話しているように感じられる。自分の中にいる別の自分であり、他人から見られる自分の側面も持ち得た。
だからこそ、何より重く、逃げられない。
「――シロ、私、大丈夫だよ」
物思いにふけりそうになったシロを、現実へと呼び戻した突然の声。
アテアラだった。小さき魔女は、先ほどと変わらぬ体制のまま、腕で顔を覆っており、表情は伺えなかった。
だけど、残念ながら、彼と彼の内にいる人工知能は聡かった。
その一言で、彼らは少女が何を言わんとしているかに気付いた。その動機も、概ね察しは付いた。
しばらく沈黙が続いた。
「アテアラ、お前、昨日の会話、聞いてたろ?」
会話を再開させたのは、シロだった。
昨夜の会話とは、焚火の前でカナリと行われたものを指している。
「え⁉ 気づいてたの?」
なぜか恥ずかしそうに顔を赤くしたアテアラが、ガバッと身を起こして叫んだ。
「まぁ聞こえない距離じゃなかったしな。朝から、少し様子もおかしかったから」
「ぅぅ……で、でも、とにかく、ここまで来たら、私大丈夫だから! カナリさんの方が大変そうだし! それに私もシロにいつまでも頼ってばかりもいられないよ!」
シロは、今の心の内をどう言葉にすればいいか、少し悩んだ。
零れそうな言葉は、どれも碌なもんじゃない。それがわかっていたから、押し黙り、静かに脳内で別の言葉を探す。
「別に、俺がカナリさんに協力しないのはアテアラが居るからじゃない。仮にここから出ていっても、俺は王様を助けるつもりはないよ」
アテアラがいるから、シロはカナリの申し出を断った。
昨日の、カナリの発言を聞けば、確かにそう思うのも無理はない。
「え、じゃあ、やっぱりシロってロリコンなの?」
「……………今なんて?」
「シロって、ロリコンなの?」
思わぬ言葉に、シロは思わず眉間を抑えた。
聞き間違いかと考えたいがそれはない事を、誰よりもシロは知っていた。
改めて伝えるが、シロが聞いてる言葉は、ウルスによって翻訳され伝えられる、いわば解釈された言葉だ。音が似ているとか、そういう聞き間違いはありえない。少なくとも、アテアラが言葉にしている言葉は、シロが想像する紛れもないロリコンという言葉なのである。
「え、シロ、どうしたの?」
とんでもない言葉を吐き出した割に、アテアラは小首を傾げきょとんとしている。
「アテアラ、言葉の意味わかってる?」
「え? ううん、でも、前にカナリさんがそれっぽく言ってたから」
「……そっか。とりあえず、意味の分からない言葉を使うのはやめような?」
「う、うん。わかった」
シロの笑顔と言葉から何を感じ取ったのか、アテアラは慌てて何度も首を上下に動かした。
「ええと、それでなんだったけ?」
「シロがカナリさんたちを助けには行かないって」
「そりゃ助けられないからだよ」
彼を助けるという事は、この国を助けるという事。だが、この国の根本的な問題は、カルダという異常な存在に他ならない。カルダを何とかしなければ、遅かれ早かれこの国は消えるだろう。問題の解決は困難を極める。膨大な知識と経験を持つシロとウルスをして、現状解決の糸口がまったく掴めていない事がその証左だろう。
「この国の現状はどうしようもなく、救いようがない」
もし助かる道があるとするなら、カルダが突然どこかへ消えてしまう事だ。その上、政治的ないざこざもおこらず、すんなりと国が纏まることだろう。どちらも望み薄、というよりは、個人でどうこう出来る範疇になかった。
出来る事と言えば、せいぜい神に願うくらいだ。
「助けられないから、助けない?」
「そ」
「……じ、じゃあ、私の時は、助けられるから、助けた?」
「うん、まぁ」
当たり前のことを確認するような、そんな言葉の押収だった。
「そっか……」
「幻滅したか?」
「ううん、違う。ただ、そうやってシロは助けてくれたんだなって思っただけ」
「ん? うん? まぁ、普通じゃない?」
「そんなことないよ。絶対。助られるからって、誰も彼もが見ず知らずの他人を助けたりなんてしないもん」
なぜか、どこか満足そうに微笑むアテアラに、シロの心はなんだかムズムズした。
そうとしか、言葉に出来なかった。自らの心を上手く把握できないことなど、いつぶりだろうかと、その感覚に少し懐かしさを覚えた。
「でもさ。だったらやっぱり、シロはカナリさんを助けに行った方がいいと思う」
吐き出された言葉はどこか確信に満ちていた。
「助けられないって、言ってんだろ」
「それでも、だよ。結果、助けられなくても、きっとカナリさんの助けにはなるよ。それだけじゃないよ。それがきっと、シロのためでもあると思う」
アテアラはまっすぐ彼を見て、言葉を続けた。
「助けられてから、ずっと考えてたんだ。シロの事。どうしてこんな風に私に良くしてくれるんだろうって。でね、さっき、なんとなくだけど、わかったの。多分、多分ね。シロは人を助けるのがきっと好きな人なんだよ。だから、私を助けてくれたように、誰かの事を助けた方が、きっとシロにとっても良い事なんだと思う」
「……え」
「私はもう救われたから、大丈夫」
その言葉に、シロが感銘を受けたとか、衝撃を受けたとかはない。むしろ最初に彼の心の内に沸いた言葉は、何を言っているんだ、だった。だけれど、言い返すことも出来なかった。好きとか嫌いとかそんなんじゃない、とか、そんな事する情熱も、信念もない、とか言い返す言葉は頭の中にはあったけれど、どうしても口から外へは出ていかなかった。
『誰か助けた方が主のためになるというのは、その通りだと思いますよ』
『……なんだよ。ウルスまで』
『イシュルカの悪魔と呼ばれたあの頃から、主にとって、誰かを救うことは貴方を救う事でしたから』
ウルスに言葉が、脳裏に過ぎるは苦い過去。
魔女の言葉には、確かに真実があった。
シロは、ずっと誰かを助けてきた。誰かを助けようと生きてきた。それが好きだという感情があったわけじゃない。
ただ一番最初に、助けようとして失敗した。
失敗して、失った。
自分の行動によって、多くの人が死んだ。そうして失った人たちに報いるために、また誰かを助けようとした。
それで失った人々が帰ってくるわけではない。でもそれでも誰かを人を救う事で、救えなかった彼らに報いているような気になれた。
それは確かに、シロの初期衝動だった。
誰かを助けることで、失った彼らへの手向けになるような気がしていた。それが自分勝手な思い込みだとはわかっていた。だけれど、自分だけ生き残ってしまったから、その分、何かを為したかったのだ。
シロにとって誰かを助けることは、確かに自分が救われるための行いだった。
『そういえばこの国も、イシュルカに少し似てますね』
『どこが? 全然違うだろ?』
『救いようがない所がよく似ています』
酷い皮肉だった。だが、国の中身が腐ってた自分の生国に比べれば、このラヴァイン王国のほうがいくらかマシに思えた。
『救ってみますか? この国を』
脳内の、もう一人の自分がさらりと言った。
『また、昔みたいに、同じように救えと? 救う術もないのに?』
『結果、救えなくともいいのではないでしょうか? 元々救えないのですから。途中で飽きたり、別の目的が見つかってもいいでしょうし。救えたら儲けもの、程度の考えでよろしいかと』
『そんな気持ちで戦場に立っても、死ぬだけだぞ』
『構いませんよ。私はあなたと共に生き、死ねるならそれでいいのです』
『……』
『いいじゃないですか。断る理由だって、もう何もないじゃないですか』
ウルスの言葉は、確かにその通りだった。
『は、言うね』
何の信念も持たず、大した力もなく、生きる気さえ、それほどない。
なんと酷い。そんな人間に何ができるというのか。どうせ何も出来ずに死ぬだけに決まっている。そういう諦念が確かにあった。
でも、それでも。
たとえ死ぬだけだとしても、それを拒否する明確な理由すらも、今のシロは持ち得ていなかった。
「――やるか」
静かに、しかしはっきりと、シロは言った。
過程はどうであれ、中身はどうであれ、彼はそう自分で決めた。
彼はまた始めるのだ。
救われるための救いを。
それからすぐに、シロとアテアラは別れた。
そうして、小さな魔女は一人になった。
元英雄は、意志薄弱な、酷い救国を始めた。
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