第13話 リスタート
海の見える丘の上に、それは立っていた。
白亜の城だ。
薄く伸ばしたパイ生地のように見えることから、地元の民からはパイ生地殿などと呼ばれ親しまれていた。
ラヴァイン王国の最北、コールフィールド辺境伯の居城である。
このところ朝も夜もなく、ひっきりなしに人が出入りしており、慌ただしいことこの上ない。
国の現状を考えれば、無理からぬことだろう。
その城の一室で、二人の男が向かい合って座っていた。
一人は齢九十を超える只人のご老体、もう一人は熊族の大男だった。
「残念ながら、王は戦死なされた、と」
「…………そう、ですか」
ご老人の言葉に、恰幅のいい大男は動揺も隠せずに、声を震わせていた。その大男はこのラヴァイン王国の現宰相でもあった。
名をオリバー=デュインという。歳は三十を超えたばかりの若い宰相であった。
「要衝であるリテルフェイドも落ち、かの魔獣――カルダは健在。その行方を追えてもいない。まさに亡国の危機というわけですな」
宰相と対峙するご老人こそ、この地の主、三代前の国王から使える重臣でもあるパウロ=コールフィールド辺境伯その人。
現在のこの国で、もっとも権力を持っている人物たち二人の会談は、しかし重く苦しいものだった。
「とにかくまずはカルダの位置を補らえなければなりませんな。戦力もかき集めなければ」
忠を尽くし、使えた王が死んだというのに、落ち込んでいる暇もなかった。
亡き王のために、この国を守らなければならない。その使命感だけが今のオリバーを突き動かしていた。
「そのためにはまず新たな王を擁立する必要がある」
有事とて、人はそれほど簡単には纏められない。国ともなればなおさらである。ゆえに一刻も早く、新たな王に立っていただかなければならない。
「……選択肢はありませんか」
「ないでしょうな」
新たな王の候補者は多くない、というよりも現状で現実的な選択肢は一人しかいない。
誰にも聞かれぬ心の中で、オリバーは思う。
平時であれば絶対に選ばぬのに、と。
「選択肢があっただけよかったと思うべきでしょう」
選ぶしかない選択肢も、ないよりはマシ。それは確かな事だった。
王を殺し、王都を破壊しつくしたあの魔獣はいまだ健在なのだ。
国難は去っていない。渦中のただ中である。
「諸侯は納得いたしましょうか?」
「する、というよりは何も言えぬでしょう。少なくとも件の魔獣がいるうちは」
この危機にあって、一切の動揺を見せない辺境伯の姿は、今のオリバーにはとても頼もしく、それでいて恐ろしくもあった。
「ただ問題は戦うための兵、戦力をどれだけ集められるか……」
「数を集めるだけなら諸侯もいくらかは出すでしょうが」
「それだけではとても。あれはただ兵を率いて、数で押せば勝てるという相手ではありません」
王都が落ちたということは、この国の最高戦力が負けたということに他ならない。
生半な戦力など、何の役にも立ちはしないだろう。
「それでも可能な限り集める他ない。策はこれからでしょうな」
状況は絶望的で、希望は見えなかった。
背中には、国家と己の死がすぐそこまで迫ってきているようにオリバーには感じられた。
「一つ一つ、こなしていくしかありません。もし光明が見つかるとするなら、その中からしかないのでしょう」
ゆっくりとした辺境伯の言葉に、オリバーは小さく頷いた。
※※※
アテアラが目を覚ましたのは、朝日が昇ってすぐの事だった。
「は?」
シロと彼女の目の前には、焼け焦げた山の斜面。形が変わってしまっているが、まぎれもなくそれはアテアラの住んでいた山である。
だが、そう言われて、そうですかと納得できるはずもない。それは唖然としたアテアラの表情が物語っていた。
「え、なんで?」
アテアラの前には、シロが可能な限り集めてきた彼女の家の物が置いてある。焼けた魔法の本や本のていを無くし、ほどけてしまった紙片。それに杖や端の焦げた三角帽子、他にもカバンや衣服など無傷なものは少ないが、原形を留めているものは可能な限り回収していた。
不幸中の幸いは、逃走時所持していたフィンカウスが無傷だったことだろう。その魔導書は今、アテアラの手の中に収まっている。
それらを呆然と眺めるアテアラをシロは黙って見つめていた。
『生まれ育った家のなにもかもを失ったんだから、まぁこうなるよなぁ』
『主、あまり感情移入しないほうがよろしいかと』
『別にしてないよ』
『そうですか』
だが不運というか星の巡りが悪いというか、この一か月で彼女に起こった出来事を考えるとあまりにも不憫に思えた。しかしどう言葉をかければいいのかも、シロにはわからなかった。
「体……痛い」
どれくらいの時間が過ぎただろうか。ぽつりと、アテアラがそう言った。
「悪いな。ちょっとばかし無茶したから」
魔獣の攻撃から逃げる際に、そして上空からの着地の際に彼女の身体には随分負担をかけてしまっていた。緊急時であり仕方のない事とは言え、申し訳ない気持ちもあった。
「どうしよっか? これから」
「俺に行く当てはないぞ」
「知ってる」
言いながら彼女は、シロが集めた物品を詰め込めるだけカバンに詰め込んでいた。
想像していたよりも、アテアラの声にも動きにも覇気があった。それは無理やりひねり出した空元気なのかもしれないが、ないよりはずっといいように思えた。
「とにかくどこでもいいから街にいかないとね。家に戻っても、もう何も残ってないんでしょう?」
彼女の家があった辺りを見れば、樹木が吹き飛び溶けた岩肌が顔を覗かせていた。
「あ、そーいや松葉杖無くしちゃったな。新しいの作るか?」
「いい。もうほとんど治ってる、し!」
少しふらつきながらも、彼女はすくっと立ち上がって見せる。が、すぐにバランスを崩し、倒れかける。シロはそんな彼女を後ろから支えた。
「無理すんなよ」
「大丈夫だってば!」
「そうかい」
シロは露骨に大きなため息を吐いた。
「抱っことおんぶどっちがいいかは選ばせてやろう」
「え?」
「はい、さーん、にー、いーち、ぜろ。はいおしまい」
「え、いや、ちょっと」
ある程度回復したといっても、所詮は病み上がり。おぼつかない足取りのアテアラを、強引に肩に担いだ。
「ちょっと! おんぶでも抱っこでもないし!」
「希望がなかったのでこれで。冷静に考えて荷物持つこと考えるとこれが一番楽だし」
カバンや杖などを抱え込むことを考えると、こうして肩に担ぐスタイルが一番楽だった。
「一人で歩けるから! 荷物持ってくれればいいから!」
「いや、遅い。これが一番速いから。アテアラ軽いし」
「~~~~~っ! バカっ!」
ゴン! と割と本気で力の入った拳がシロの背に叩きつけられる。だが、それで気が済んだのか、シロが止める気がないことを悟ったのか、それ以降、アテアラはただ静かに担がれていた。
『降ろした後が怖いですよ』
『それは甘んじて受けるとしよう』
村を探すこと自体はそれほど難しくない。地形などを鑑みれば、集落の位置などはある程度ウルスが予測できる。
『国崩しの動きを考えますと、北北西に向かうのがよろしいかと』
『……もうあいつには会いたくないからなぁ』
シロの脳裏によみがえるのは。昨夜の事。
あの魔獣――国崩しが大きな咆哮を上げ、その感情をウルスが読み取った後の事。
国崩しはシロのことなど気にも留めず、高く飛んだ。深緑の燐光に包まれた巨躯が十数キロを一歩で跳躍したのだ。
それから二度跳躍するところまでは、シロの視界でも捉えることが出来た。
国崩しは、現れた時と同じく、そうして突然どこかへ消えてしまった。
おそらくシロのことなど気にも留められていなかったのだろう。あの魔獣からすればシロに行った攻撃行動も、人が羽虫を払うのと大差ないように思えた。
残念ながら精度の高い行動予測は立てられないが、国崩しの向かった方角と、向かってきたおおよその方角はわかっている。北北西はそれらの情報から簡単に割り出されたものだった。
「っていうか、あんたスタスタ歩いてるけど街の場所知ってんの? ねぇ私に聞かなくて大丈夫? ねぇ! ねぇってば!」
「大丈夫大丈夫、任せとけって。サバイバルは得意だから」
「それ街見つけられてないし!」
実際問題、集落の有無はあまり問題ではない。リテルフェイドのように物資が不足しているような事も十分に考えられた。状況によっては、街に出るよりも森でサバイバルした方がマシなケースも全然あり得ることである。
もちろん安全な街にたどり着けるのが最良だが。
「なんだよ? ならアテアラにはどっか良い街なんて知ってるのか?」
「…………何度か、言ったことがある街は……あるけど」
「いきなり歯切れが悪くなったな」
「あ、あんまり街の人と交流なかったから」
「じゃあ俺に任せとけって」
「いや当てなんてないってさっき言ってたよね? その無根拠な自信はどっから来るの? とりあえず近くの村行けば良くない?」
「大丈夫大丈夫」
シロの行動は決して無根拠ではない。説明は一切していないが。
「もう! 本当知んないからね! マジで!」
「はいはい」
背中で叫ぶアテアラの言葉を話半分に、シロはウルスと脳内で今度の事についての検討を始めるのだった。
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