第11話 なくしたもの
「風よ」
青々とした空の下。シロは小さな切り株の椅子の上。
彼の目の前には大きな三角帽を被った少女。彼女は松葉杖で体を支え、脇には大きな魔導書、もう片方の手には小さな杖を持っていた。
アテアラの言葉に反応して、一陣の小さな風が吹いた。それは優しく、温かく、頬を掠めて通り過ぎていく。
それはこの世界における魔法の初歩。剣でいうならば素振りのようなものに近い。
『どこの世界でもあまり変わりませんね。こういうものは』
魔力を通して、風を動かすこと。これはシロのいた世界でも同様の訓練が存在していた。力の流れや魔力の運用を学ぶ上で、古来より有用とされた伝統的なものだ。初歩も初歩、魔法を知るうえで皆がこれを通って学んでいくのである。
「それじゃやってみて!」
どこか誇らしげに胸を反らすアテアラに促され、シロは初心者用の小さな杖を手に取った。
この杖には魔力の流れを整える、いわば整流器のような役割がある。魔法の力とは不安定なものなのだ。人の用いる魔法の技術とは、それをいかに維持するかに尽きる。杖に使われる素材や意匠は、魔力の流れを整え、制御しやすくするためにデザインされているのである。
シロにとっては、ウルスが杖の役割をしているといっていいだろう。
「風よ」
シロが魔力を杖へと流しこむ。発した言葉に意味はない。目的を認識しやすくするためだけの言葉だ。
空気に魔力を混ぜ、少し揺らす。それは、ただそれだけの魔法。
算数で言うなら、一桁の足し算程度の簡易な魔法。
魔力による肉体強化との差は、ただ一つ。それは、魔力を別に力に変換しているということだ。
そして、それこそが魔法の全てである。
不安定な力を安定した別の力へと変えること。
これが世界を問わず用いられる魔法というものの正体なのである。
「――――……はぁ」
静かに風が吹いた。それはシロの言葉によって発言した魔法ではなく、ただの自然の風だった。
初歩も初歩。幼子が最初に覚える魔法ですら、今のシロにはやはり使えなかった。
『少し凹むな』
改めて突き付けられた現実は非情である。
それは想定の範囲内ではあったが、思ったよりもシロの気持ちは沈んだ。
『やはり原因は主自身にあるのでしょう』
『一番問題がありそうなのはやっぱり
ここでいう魂は、いわゆる科学世界の概念的な魂とは別物である。観測し、干渉出来るもの。これの差異が生物間の魔法適正の違いとなる。
人が魔法を使う時、魔力は魂を介して魔法へと至る。当然ながらこの魂に問題があると、正常に魔法は行使できないのである。
『ま、死ぬまで摩耗していた魂が元通りになっているはずもないか……』
魔法の要である魂の損耗。それがシロの、かつての世界での死亡理由、直接的な死因であった。
『しかし状態がわからない以上、治療の施しようもありませんね。施術者もおりませんし』
なんの文明の利器もなく自分の心臓を取り出して観察できないように、シロも、そしてウルスにも魔法を使う事なく自身の魂の観測は出来ない。よしんば観測できたとして、自分で魔法を行使できない以上、誰か他の施術者が必要になるが、その当てもない。
『やっぱり魔法の行使は諦めた方が良さそうだな』
何か状況を変えるものが見つからない限り、現状では手詰まりだ。
「……本当に使えないんだね。魔法」
驚いた様子で、アテアラが呟いた。
初歩の魔法すら使えない人間は、魔力がないか、魔力を扱う才がまったくないかのどちらかであることが多い。
シロのように魔力は自在に使えるのに、簡単な魔法すら使えないという人間は滅多にいないのである。
「うーん。とりあえずいろんな魔法試してみる? 何か適正があるかもしれないし……ちょっと、うるさいな。もう黙っててよ」
突然、途中から怒ったように独り言を言うアテアラ。その様子は傍から見てると、かなり危ない人間に見えた。
『仲良くやってるようですね』
『いいかどうかはわからないけどな』
昨日、シロが起動した魔導書。
意識を持った本。その名をフィンカウスというらしい。
喋らなくなったと思えば、一夜明けたら元気にまた喋り出したようである。
「あー、あー、はいはい、わかった、わかったってば!」
魔導書フィンカウスは、接触した人間の意識に感応することで対話が可能なのだが、どうもアテアラはまだその感応式の対話――即ち念話に慣れていないらしい。自分の考えている事と、その中から伝えたいことを分けることは意外と難しいのだ。
『あ、キレたな』
口論の末か、アテアラは魔導書を持つ手を一度大きく振り上げて、それからしばらく生死、手を震わせながらゆっくりと切り株の端に本を置いた。感情的になっていた割に、遠くへ放り投げなかったのだから、一応気は使っているのだろう。
『接触感応とはまた古風ですね』
『ウルスと俺みたいな魂の同期に至るには、技術革新があと千は必要だろうな』
ウルスとフィンカウスは、技術レベルでいえば石炭と核燃料くらいの差があるが、設計思想はほぼ同じだ。言い換えれば、フィンカウスはウルスの雛型だ。ウルスへと繋がる、魔法の補助、主人の補佐をする人工知能のご先祖様といっていい。科学世界の介入のなかった魔法世界では人工精霊と呼ばれていたものであり、フィンカウスはまさにそう呼ばれるものの一つだろう。
「なんなの、こいつ! 口悪すぎ!」
「まぁまぁ」
「もとはといえばシロが起こしたんだからね!」
「ごめんって、悪かったから」
頬を膨らませて怒るアテアラを宥めながら、シロは置かれたフィンカウスに手を伸ばした。
指先から僅かに干渉してくる魔力。微細な力の波動を感じると同時に、頭の中で言葉が響いた。
『なんだよ。出来損ない』
『なぁ古本』
『あぁん? なんだテメー喧嘩売ってんのかぁ?』
『別に俺はいいんだけどさ。アテアラにくらい優しくできんのか? お前にとっても、創造主の孫だろうに』
『……うるせぇな』
『おんなじ人を亡くして悲しんでるのも同じだろう?』
『うるせぇうるせぇ! バーカバーカ!』
『ま、それはそうだな』
本から指を離すと、頭の中に響いていた罵詈雑言も消えた。
『起こしたのは失敗だったかな?』
『いえ、そんなことはありません。あの時点では、非常に有用な情報源になりうる可能性がありました』
確かにあの魔導書が持っているであろう、アテアラの祖母から蓄えた知識は、非常に魅力的だ。だが起こした理由はそれが原因じゃない。そもそも知識を蓄えた魔導書が、見ず知らずの人間へ簡単に重要な情報を与えるはずもない。
あの魔導書はおそらく、アテアラにとって有用なものになると、そう思えたからシロはあの本を起動したのだ。
それはアテアラと共に生きているシロなりの、親切心であった。もっともその目論見は上手くいっていないようだが。
『主人の死を受け入れられていないのでしょうね。だからといって、彼の言動は稚拙過ぎますが』
フィンカウスは、間違いなく主人の死を悲しんでいた。シロの言葉を否定しなかったことからもそれは確かだろう。
『私共より、とても不合理で、感受性が人に近いように感じられます』
『言わんとすることはわかるけど、ウルスだってとても合理的には思えないけどな』
『心外です。説明を求めます』
『うーん、まぁ、そういうところかな?』
『説明になっていません』
魔導書と違って、ウルスからは簡単には逃げられない。そういう意味では、接触感応という魔導書の古風さも悪くないように思えた。
「さ、シロ、続き続き! 簡単な魔法を一通り試してみよう!」
仕切りなおすように、アテアラが言った。
どうやらこの先生は簡単に諦めるつもりはないらしい。
『ほらほら、アテアラ先生の下で気長に学ぼうな』
『そうですね。どうやら先生もやる気のようですから』
この山奥なら、魔獣騒ぎの影響もそれほど大きくはないだろう。騒ぎが収束するまで山中で、ここでのんびり過ごすというのも悪くはない。
『それと主。習いながらでも、説明は出来ますので』
『……』
『先ほどの発言についてもう一度、釈明をお願いいたします』
『悪かったから! ほんと、そういうところだぞ!』
やはり、その日、シロが魔法を使えることはなかった。
そして、ウルスからの追及もしばらく続いたのだった。
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