第9話 魔法
静かな夜。遠くからみみずくの鳴き声が聞こえた。
アテアラは骨折した足を庇い、四苦八苦しながらベットへと潜り込んだ。
「
分厚い毛布の上に投げ出した足に、魔法をかける。淡い緑の光が骨折した足を包み、すっと染み込むように消えていった。
その魔法は残念ながらあくまで治癒強化の魔法であって、怪我がすぐに治るということはない。彼女の魔法では、あくまで少し治りが早くなる程度のものだ。
「……疲れたぁ」
怒涛の一日がようやく終わろうとしていた。だが体は疲れ果てクタクタなのに、どういうわけか目がさえて眠れない。
無理もないことかもしれない。あまりにいろいろありすぎて、脳がまだ興奮状態なのだ。
「まぁ、幸運だったの、かな」
幸か不幸かでいえば間違いなく幸運だったのだろう。あの時、シロが助けてくれなければ死んでいた。その上、生活の面倒までされている。至れり尽くせりだ。
「…………むぅ」
だけれど、だから良い人だと簡単に信じられるほどアテアラは純真無垢ではなかった。
信じたい気持ちはあった。当然だ。命の恩人なのだから。でも信じられるものがない。だって都合が良すぎるじゃないか。たまたま地中虫に襲われて、たまたま通りがかったシロに助けられて、その上、なんの見返りも求めない。
アテアラが彼に与えたものなんて、空いていた二階の一室。雨風を凌げる寝床くらいだ。
「ただの善意で、なんて、そんな人間いるのかなぁ」
疑い、戸惑いながら、でも助けてもらうことしかできない自分を情けなく思った。
「どう、すればいいのかな……おばあちゃん」
瞼を閉じて、助けを求めるように、そうか細い声でアテアラは呟いた。
※※※
ジメジメとした空気と暗闇の中、ざっざっという小気味よい音が響いてた。
「最近何かとこれに縁があるよな」
シロのどこか楽しそうな声が、何度も反響する。その手には円匙があった。
『時代と文明の問題だと思われます』
ウルスの真面目な回答を聞きながらも、シロは手を動かし続けた。円匙を堅い土の層へと突き立て続ける。
『こうしていると正しく生活の補助してる感じがするよ』
彼が今いるのは井戸の底である。
今、何をしているかというとそれは井戸の修復であった。
アテアラ家の裏にある石造りの小さな井戸には、魔力で動く汲み取りポンプが備え付けられていた。便利な代物だったが、シロが魔力を送っていくらポンプを動かしても、空気が抜ける音しかしなかった。
突然、水が枯れてしまったらしい。
アテアラ曰く、シロと出会う二日程前からこうなのだとか。
井戸が使えないと、そこそこ歩いて川から水を汲んでこなければならない。シロにとっては別に苦ではなく、初日は二度ほど往復して水を確保することとなった。
しかし、川に水は流れており、ここ最近、雨が降っていないなんてこともない。
ならばと、シロは円匙片手に井戸に降りて、地面を掘ってみることにした。
科学世界からは信じられないかもしれないが、あの地中虫のような生物が地下にいるということは、水の流れもある日突然変わってしまってもおかしくはないのだ。もちろん、そう何度もあるものではないが。
地層の状態が変わってしまったことで、井戸と地下水の流れを遮ってしまった。というのが、シロとウルスの見解だった。
『あまり深く掘るとなるとパイプも伸ばす必要がありますが』
魔力を込めた円匙が、硬い岩盤にぶち当たる。
何度も何度も。まるで鉄と鉄が打ち合うような甲高い音が響いた。
「お」
ガン、と一際大きな音がした後、じわりと岩の裂け目からじわりと染み出るように水が現れた。
『大丈夫そうですね』
比較的早く水が現れたことに安堵して、シロは暗い井戸の底から壁を伝い外へと出た。
僅か十数分ぶりの太陽を愛おしく思う。円匙を井戸に立てかけ、体についた泥や埃を払いながら、魔力式の汲み取りポンプを動かしてみる。
「うーん、やっぱりすぐには来ないよな」
『水の嵩がもう少し増えないと無理でしょう。早くとも六時間ほど必要かと』
そういうことならば待つしかないだろう。焦る必要もない。ポンプを止めた後、シロはくるっと回って裏口からアテアラ家へと入った。
「え、もう直ったの!?」
円匙を所定の位置である壁にかけた後、広間に入るとアテアラが驚いたように声を上げた。
「あぁ、水は戻ったよ。嵩が戻るのにはもう少しかかりそうだけど」
「そ、そうなんだ。本当にもう直ったんだ」
シロお手製の松葉杖で床を小突きながら、アテアラはどこか呆れたように笑っていた。
『次は車椅子でも作ってみるか?』
ふと思いついたことをそのままウルスに提案してみる。
『車輪部分が低クオリティになりそうですけど、出来なくはないでしょう。ですが、この家ではむしろ邪魔になるかもしれません』
『粋な家だけど、さすがにバリアフリー設計じゃないもんな……ふーむ。なんかもうやることなくなってきたな』
この家に来て、まだ二日である。
だが、当初の想定よりもあまりシロがやることが多くない。水の確保こそ生命線なので、彼がいなければアテアラは途方に暮れただろうが、その問題も解決した。食品の確保についても、それほどひっ迫していない。
魔法世界における文明の進歩は、科学世界よりもある部分において凄く早熟なのである。食品の保存などは、その最たる例で、冷蔵庫クラスのものが比較的簡単に登場する。この世界でもご多分に漏れず、食品を長期保存可能な瓶やら箱やら多く存在していた。この家にもそういったアイテムと備蓄が多くあり、少なくとも彼女の骨が治るまでに飢えることはないだろう。
この世界で、一般的に魔法具がどの程度、普及しているかはまだわからない。技術が存在している事と、それがどのレベルで社会に浸透しているかは別の問題だ。
少なくともあのポンプのようなものはどの家にもある物ではないだろう。誰も彼もが魔力を扱えるわけではない事は、リテルフェイドの街で既にわかっていた。
大半の人間が魔法を手にするの遥か未来の話だろう。
『不要になるの早かったですね』
『まぁ悪いことではないけど。言い方な』
『……畑の手入れ、もそれほど必要ないし、あとは何かあるか?』
アテアラ家の畑は非常に小規模のもので、それほど手はかからない。
『え、もしかして暇?』
シロは別に勤労大好き人間ではないので、暇であることそれ自体は構わない。ただ今は居候の身だ。やることやってれば文句は言われないだろうが、居心地は良くない。
『いっそ畑でも広げてみるのもいいかもしれないな』
『主』
『ん? 何かいい案ある?』
『当初の目的を忘れていませんか?』
『……当初の、目的?』
はて、と考えて思い至るまで時間はかからなかった。
この山に来た目的は、避難と、自身の能力の現状確認である。
『……そうだった』
『単純な戦闘能力についてはそれほど心配なさそうですが』
魔力の直接運用による身体強化は可能であり、その効果と精度は以前と何の遜色もない。『血刀』も使用に問題はなく、であるならば、魔法そのものが使用不能であろうと、一対一でそうそう遅れをとることはないだろう。
あくまで単純な戦闘行為であるならば、だが。
『つっても、どういう化け物がいるかもわからんからな』
『実際、今規格外の魔獣がいるみたいですしね』
言われてふと、思う。そういえば例の魔獣はどうなったのだろうか。それを知る術はないが、所詮他人事。良い方向に向かっていると信じる他なかった。
『知識の探求は進めておいたほうが良いでしょう』
『こんな山奥じゃどうしようもなさそうだけどな』
当初の予定通り、じっくりと魔法の検証をしてみるのもいいだろう。時間はそこそこにあり、想定よりもずっとまともな食事も寝床もある。アテアラと出会ったのは結果的にはとても良かったように思えた。
「なぁ、ちょっと聞いていいか?」
「……なに?」
「ちょっと魔法について聞きたいんだけど」
とりあえず聞いてみただけの質問だったが、アテアラはぎょっとしたような顔で、シロを見た。
「……え、なに? どうした?」
「あ、いや、別に、何でもない」
戸惑うシロの反応に、アテアラは動揺を隠すように頭を振って、視線を逸らした。
『魔法というワードが地雷なのでしょうか?』
『かもな……なんだろう、苦手とか?』
『それはなさそうですが。魔法関連の製品は傍から見ても、多くみられますし』
魔法の適正がないもしくは低い人間というのは、魔法世界にも多く存在している。その社会的立ち位置はもちろん世界によって異なるが、魔法が価値あるものである以上、あまり良い扱いはされない事が多い。
『魔力はあるし、多分、この世界でも素養はある方だよな?』
そこで初めて、自然とシロが魔導士としての目でアテアラを見た。魔法が使えなくなっていても、魔法や魔力の感知に関しては以前と変わらず超一流のままである。
超一流の彼の目から見て、アテアラは潜在的な魔力量が乏しいわけではない。つまりは才能に恵まれていないわけではないということだ。
「そ、それで? 聞きたいことってなに?」
「あぁ、俺、魔法使えないんだ」
「え? え、嘘」
シロは、素直に自分の事情を説明することにした。もちろん必要なところだけであるが。
それはリスクの伴う選択だった。魔法が使えないという事実は、今のシロにとって致命傷になりえる明確な弱点だった。
かつてなら、この世界に来る前の自分なら絶対に行わない選択だっただろう。
「あと、自分の記憶もない」
「え? え……え、え?」
矢継ぎ早に告げられる情報に困惑するアテアラ。彼女は頭に手を当てながら、必死に情報を整理しているようだった。
「いや、だって、あの時の地中虫は」
「魔法は使えないけど、魔力はたくさんあるんだよ」
「? え、いや、でも、それって説明になってなくない?」
どうやらアテアラにとっては、いくら魔力があっても、魔法が使えない人間があの地中虫を殺せるとは思えないらしい。これがこの国の人間の常識なのか、山住まいのアテアラの常識なのかはまだわからない。
それからしばらく、アテアラは口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返した。言いたいことがあるのに、うまく言えないようようで、シロは彼女が話せるようになるまでただじっと待った。
「記憶がないっていうのは?」
「目覚めたのはごく最近で、それより前は覚えていない。名前以外の記憶はうろ覚えだよ。知識も抜けてるところが多くて困ってる」
「じゃあなに? それをどうにかしたくて魔法について知りたいってこと?」
「うーん、まぁ、間違いじゃないけど。でもどっちかというと魔法が使えない事そのものを追求していくことが、自分の現状を知るために必要だと思うから、かな」
なぜ、死んだはずの自分がこの世界にいるのか。
そしてどうして魔法が使えないのか。
その二つは、決して無関係じゃないと、シロは思っていた。
「私に出来ることはあんまりないと思うけど」
「別に御大層な知識を学びたいわけじゃない。なんでもいいから、知りたいんだ」
それからまた、沈黙が流れた。
こんな空気にするつもりはなかったが、逆に言えば、こういう空気になるということは大なり小なり、アテアラは魔法の知識を持っているということだろう。さて、どうなるのだろうか、と静かに事の成り行きを見守る。
「……わかった。私の知ってる範囲でいいなら」
小さな声で、しかししっかりと頷きながら、アテアラは言った。
「お、ありがと」
「私が教えるわ!」
「――お」
「魔法! 私、これでも一応魔女だから!」
「……あ、うん」
気合を入れるように、ぐっと胸の前で拳を握る少女を前に、知識だけでいいんだけど、なんて言えるわけもなかった。
そうして、山奥の大樹の中で、元英雄は自称魔女である少女に魔法を習うことになった。
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