第7話 血刀
世界の壁を超えた結果、今まで使えた力が使えなくなる事などあるのだろうか。
答えは割とある、だ。
例えば、科学世界における魔法。
科学世界では魔法や魔力が見つからなかったのではなく、そもそも魔法に必要なものがなかったのだ。魔法世界においても、物理法則を阻害する別の事象、法則が存在するため、科学世界から持ち込んだ発明品が使用不能になることもあった。
世界を超えるということは、別の法則に支配されるということなのだ。
だが、だからこそ、それは同時に人々に新たな模索をさせた。
世界を越えた共通の法則。
次元を超えて通用する力の研究である。
シロが用いる魔法は、そうした研究の果てに改良されたもの。かつての魔法世界のみで使用されていたものならいざしらず、現在の彼の魔法は次元の壁を一つ越えたくらいでまったく使えなくなるものではないはずだった。
だが、彼の魔法が通用しないほど異なる世界だからこそ、この場所はシロの居た世界から見つかる事もなくこうして存在しているのだろう。それほど離れた、異なる場所なのだ、この世界は。
ともあれ、魔法が使えないことを嘆いてばかりもいられない。物騒な世の中である。改めてシロは現在の自分の能力を確認する必要があった。
『修行の相場といえば、山籠もりだよなやっぱ』
『主な目的は避難ですが』
シロがその山に入ったのは、リテルフェイドを出た二日後の事。
近隣でもっとも険しい山を選んで登った。中途半端な山では山賊や、シロと同じ様に逃げてきた人間達と出くわす可能性が高くなるためだ。
立地を考えれば、まったく誰の手も入っていないということはないだろう。そう考えてはいたが、やはりどうも山に居を構える住人がいるようだ。それは木々に付けられた傷や、幹に結ばれた縄だけでなく、狩猟につかった罠の痕跡などから察する事が出来た。
しかし元々居住に向いている山には見えない。住んでいてもごく僅かだろう。季節や時勢を考えれば、もういない可能性も高かった。
『現在人が住んでいるかそっと確認した方がいいかもしれませんね』
『別に、人が近づいてきたらわかるけどな』
『大した手間ではありませんよ。この山の条件でしたら、居住に適した場所は多くありません。もっとも可能性の高い該当個所を三件リストアップしました』
魂を介して脳へと直接情報が送られてくる。山の形状、気候や植物の分類などから割り出された人が居住しやすい場所を瞬時に予測する。
こういった能力こそ魔法と科学の最先端ともいうべき魂魄融合型人工知能ウルスの本領といえた。
『さすが仕事速いな』
『残念ながら現在、処理能力は著しく低下しています』
『十分だよ。この世界じゃ』
魔法と科学の粋であるウルスも当然、魔法の行使が行う事が出来ない事による制限を受けている。実際、処理能力に限らず、周囲の情報収集能力などもかつてとは比べ物にならないくらい低性能になっている。だが、そもそもウルスの主な仕事は魔法の補助、戦闘の分析、通信管制などである。それらの仕事は現在まったく必要のない、またしたくても出来ないものである。
簡単に言えば、多少スペックが落ちても、要求される仕事がないのである。
『今はいいですが、有事の際には非常に心許無い性能と言わざる終えません』
『いいよ、危なくなったら逃げるから』
『逃走にも支障が出るかもしれません』
『そしたらしょうがない。諦めよう』
いくら英雄と言われるほど戦ってきたとはいえ、彼は戦闘狂ではない。
戦いには理由が必要だ。明確な、確固たる、自己を奮い立たせる強き意思に基づく理由が。
かつての彼には多くの理由があった。
この世界には何もない。
『主』
――長い地響きが聞こえた。
足元から僅かな振動が伝わってくる。
地震か、と疑ったのは一瞬。違うという事はすぐにわかった。
地中を移動している物体が居る。かなり巨大な生き物であるだろうことも、この時わかった。
『逃げますか?』
脳内でウルスが問いかける。
シロの足元を鼠が通過していった。
『……大ミミズか?』
『はい。大きさは30メートル程と推測されます』
シロ――正確にはウルス――の中にある多種多様な世界の様々な生物の情報を保有している。それに照らし合わせれば、今、彼らの地中に居る生物がどのようなものなのか、把握するのは容易い事だった。
『逃げるほどの危険はないだろ』
恐らく、かつての世界では地中虫と呼ばれた類の魔獣。少なくともそれに近しい生態の生物だろう。
この魔獣は本来、狩りなど行わない。地中深くで好きな鉱物、地層をゆっくりと味わうように食べる、大きくなったミミズと考えていい。そもそも、移動にこんな騒音撒き散らす生物が狩りに向いてるはずもないし、燃費がいいはずもない。
彼らが狩りをするのは、移動によって消費したエネルギーの補給であり、新たな生息圏での示威行為である。
『主、どうしますか?』
シロは森の中を静かに駆け出した。
ウルスの観測によって、地中虫の動向はほぼ完璧に把握している。適当に距離をとれば被害を受けることは特にないだろう。
『殺そう』
腰元から、鈍い色の鉈を取り出す。市場で買い叩いた安物だ。魔獣を切ることが出来るほどの強度はなだろう。あくまでサバイバルに使える程度の品でしかない。
だからこそ、いい練習になる。今の実力を知るにちょうどいい相手というわけだ。
『対象が地上に近づいてきていますね』
地面の下から響く音が大きくなっていた。ウルスの言葉の証左だろう。
距離を測り、自身の速度を調整する。木々の間を抜け、音もなく森を走る。
『会敵まで、約6秒です』
その時森の向こうに、小さな人影が見えた。水甕を背負った少女が一人、体を震わせつったっていた。今、大声を張り上げ、呼びかけてもおそらくは逃げられない。いくら地中虫が狩りに向いていないとはいえ、この距離、この速度で少女を捕捉出来ないほどトロくはない。
『間に合いませんね』
『だろうな!』
足に力を込めて、速度を上げた。だが、このままでは絶妙に間に合わない。残念ながら、これを覆す術はない。正確に言えばあるのだが、それは彼女ごと殺してしまう最悪の悪手でしかなかった。
『補足します』
爆発するように地面が膨れ上がり、地中虫がその巨大な身体を現した。同時に少女の姿が飲み込まれて、消えた。シロとの距離は五メートルを切っていた。
ウルスによる視覚補正が入り、シロの視界には飲み込まれた少女の現在位置を捕捉して教えてくれた。それは計算に導かれた仮定の位置。しかしシロがウルスのそれを疑う事はなかった。
「――シッ!」
小さな呼気を吐きながら、安物の鉈を振るった。
鉈にはシロの魔力が十全に込められている。魔力は術式を通さなくても、それそのものに力がある。術式を介さなければ効率的とはいえないが、この程度の魔獣を狩るには十分な威力を発揮する。魔力は生命に作用するエネルギー。身に纏えば少しくらい身体能力は向上するし、勢いよく放出すれば岩くらいは破壊できる。それは野生の魔獣なども用いるもっとも単純な技術だ。
魔法が発見、確立される前までは、この力こそ個が持てるもっとも巨大な力だった。
だがそれだけでは足りない。魔獣の堅い表皮を切り裂くには鋭さが。
『流体の操作を補助します』
いつの間にか、シロの手のひらから血が流れていた。鮮血は皮膚を辿り、鉈まで伸びている。そこから魔力と溶け合い、赫い魔力の色が血の色に近づく。
名称はそのまま、血刀。魔力に血を媒介として、物理的な強度を付与する。魔法ではない技術。身一つで使用可能な、現在のシロにとって数少ない戦闘技法。
大きく五度、シロは鉈を振るった。軌跡に沿って、鮮血が散る。
『補助終了。血刀を解除します』
シロの鉈に通っていた赫い光が霧散すると同時、巨大な地中虫の身体が輪切りにされていた。
肉塊の一つ、その切断面から少女が血と共にズプリと零れ落ちた。
『生きてはいるようですね』
『ミミズの歯に引っ掛かってたら、そのままミンチになってただろうな』
損壊した肉体を痙攣させる地中虫から引き離すように少女を回収する。
「……ぅ」
少女は急激に全身を圧迫されたショックで、意識が朦朧としている様だった。無傷というわけにはいかないが、命に別状はなさそうである。
「……ん」
呻くような声が少女から零れた。意識を失った時間が短かったためだろう。回復も早い。
「大丈夫か?」
目を覚ました少女の目が、シロを見た。記憶が混濁しているのか、状況が理解できていないようだった。
それから徐々に記憶を思い出したのだろう、はっとしたように目を開き、周囲を見やり、そしてまたシロを見た。
「……こ、これ、あんたが?」
「ん? あぁ、まぁな」
困惑だけだった少女の顔に、恐怖の色が浮かんでいた。
シロは努めて、それに気が付かないふりをして答えた。そういった感情を受ける事に、彼はとてもよく慣れていた。英雄と化け物なんて、見ている人の違いでしかない事を、シロは良く知っていた。
「あんた、一体……」
血と、困惑と恐怖。
これが小さき魔女、アテアラとの出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます