十年越しの初恋
プロローグ
ライザックは口から砂糖を吐きそうな気分だった。
レヴィローズ国の一件から三週間。ロデニウムに戻る前に婚前旅行を楽しむことにしたユーリ王子一行は、現在、アレグライト国のすぐ上にある小国カドリア国を訪れている。
海に面したカドリア国は漁業が盛んで、小国ながら活気あふれる国である。大国アレグライト国とも強固な同盟を築いており、直近では三代前のカドリア国王の姫がアレグライト国王に嫁いでいるなど、国同士のつながりも厚い。
さて、そのカドリア国の海の近くにある王都リバティル。
赤レンガの敷き詰められた大きな広場では、噴水の奥にある大きな階段の前で、ロデニウムの第二王子と、その愛する花嫁であるエレナが、いちゃいちゃしていた。
そう、「いちゃいちゃ」である。少なくとも、ライザックの目には「いちゃいちゃ」しているようにしか見えない。
大きな階段を上った先には壁画の有名なカドリア国の大聖堂があるが、ユーリたちは階段を上るわけでもなく、下のあたりに座って、この国で有名なお菓子である塩味のきいたクッキーを食べていた。
甘さの中にしょっぱさを感じるこのクッキーは、ライザックも美味と認めるものではあるが、ユーリたち二人の間にそのしょっぱさは全く感じられない。
広場の露店でクッキーの入った袋を買った二人は、階段に座り込んで、互いにそのクッキーを食べさせあうという、目を覆いたくなるようなことをはじめたのだ。
(殿下め、日に日に調子に乗っていくな)
ユーリの愛する花嫁は、基本的にユーリの言うことには「否」を唱えない。
袋から出したクッキーを「あーん」と口に近づけられれば素直に口を開くのである。
そして、ユーリが口を開くと、これまた素直にクッキーを口に近づける。
結果、ライザックの目の前で、互いにクッキーを「あーん」しあうという、砂糖を吐き出したくなるような光景が生まれた。
ライザックは噴水の近くに建っている人魚の姿をした石像に寄りかかる。カドリア国には人魚伝説があり、王都のいたるところにこうした人魚の像が建てられている。
ユーリたちが食べているしょっぱ甘いクッキーも、人魚の形だ。
国を挙げて人魚で一儲けしようと考えているのではと思いたくなるほど、カドリア国は人魚を前面に押し出している。
もちろん、人魚は妖精たちと同じで空想上の生き物だと言われており、実際に人魚を見たものはいない。だからこそ逆に想像が掻き立てられるのか、人魚の石像はみな、愛らしい顔立ちの女性たちだ。
しかしユーリたちがこの国を訪れたのは人魚の石像が見たかったからではない。目的は広場の階段の上にそびえ建つ大聖堂の壁画である。
大聖堂の壁一面に描かれた壁画は、カドリア国の神話の海の神にまつわるもので、時計回りに見れば物語性も感じられて面白い。
生憎と本日は大聖堂で結婚式が行われており、一般開放はされておらず壁画を見に行くことはできなかったが、明日には見ることができるらしい。
「ミレット、あれどうする? 放っておいたらクッキーの袋の中身がからっぽになるまであの調子だぞ」
ライザックは同じく二人を遠くから見守っているメイド頭のミレットを振り向いた。ユーリたちが買ったクッキーの袋は大袋で、まだまだ中身がはいっていそうである。この分だと、あと何十分あのままかわかったものではない。
ミレットは頬に手を当てて、ふうと息を吐き出した。
「邪魔するのは可哀そうよ」
「そうはいってもな、この旅行中、ずっとあの二人のいちゃいちゃを見せられてきて、こっちは胃もたれがしてきそうだ」
「仲がよくていいことじゃない」
「本気で言ってるのか?」
「……悪いのは旦那様で、奥様じゃないわ」
つまり、ユーリに対してはいい加減にしろと思っているらしい。
しかし、前回のレヴィローズの一件で、ユーリをエレナから遠ざけたから、その隙に攫われたのだと言われては、エレナからユーリを引き離すこともできない。
かといって、このままユーリが飽きるまで待っていては、いつ終わるのかわかったものではない。
仕方なくミレットはユーリたちに近づくと、こう提案した。
「旦那様、奥様、そろそろ喉が渇きませんか? 近くに、店内の窓から海が一望できる素敵なカフェを見つけましたので、よろしければ」
「だそうだ。行きたいか、エレナ」
「はい!」
エレナが大きく頷くとユーリがエレナの手を引いて立ち上がらせる。
作戦成功、ミレットが後ろ手でライザックに合図を送った、そのときだった。
ライザックが寄り掛かっている人魚像のすぐそばの噴水の水が突然空高く吹き出して――
「まただわ、最近噴水の調子が悪いわね」
「これで六度目だな」
「でも、何度も調べているけど原因はわからないんでしょ?」
「うちのじーちゃんが海神様のいたずらだって言ってたな」
「やだ、海の神様なんて本当にいるの?」
「海神様がいれば、人魚も本当にいるかもな」
人々が口々に言いながら、遠巻きに噴水を見やる。
ライザックは――
突然大きく吹き上がった噴水の水を頭からかぶって、全身びしゃびしゃになってしまったのだった。
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