さらわれた花嫁と茨の城
プロローグ
男は、茨に覆われた灰色の城を見上げて、ぐっと拳を握り締めた。
かつて白鳥に例えられたほどの白く優美であった城はどこにもない。
三年前の悪夢の日――もっと言えば、十八年前の忌まわしいあの日より、すべてが変わってしまった。
「……ノーシュタルトの、忌まわしい魔女め」
男は、まるで自ら意志を持っているかのように目の前でうごめく茨に向かって剣を突き立てて見た。すると、茨はまるで侵入者を阻もうとするかのように集まり、鋭い棘のついた鞭のような茎をのばして襲いかかってくる。
男はひらりと後ろに飛びのき、もう一度城を見上げると、くるりと踵を返した。
レヴィローズの呪われた城――
かつて栄華を誇ったかの国は、いまや花もつけない無粋な茨によって、見る影もない――
☆
春――
北にあるロデニウム国において、春から夏にかけての季節は短いが、それでも雪解けとともに新緑の芽吹くこの季節は心が躍るものがある。
深い雪に覆われた、ロデニウムの呪われた第二王子ユーリ・ロデニウムの暮らす離宮の周りも、ほとんどの雪が解けて、執事のマルクスが長く白一色であった庭の手入れをはじめたころだ。
長い間、季節感もなく暗い年月を繰り返してきた離宮だが、今年の春はひどく浮かれた雰囲気を醸し出していた。
というのも、昨年の冬にノーシュタルトから嫁いできたエレナ・ノーシュタルトと、離宮の主であるユーリの結婚式が行われるからである。
生まれた時より呪いがかけられ、長く狼の姿ですごすことを強いられていたユーリ王子だったが、花嫁エレナの力のおかげでその呪いは「半分」解けた。
エレナのキスによって人の姿に戻ることができるようになったのである。もっとも、エレナの力がまだ安定しないために、キスによる解呪の力はおおよそ一日で切れてしまう。完全に呪いを解くことができないことを申し訳なく思っているエレナに対して、ユーリは新妻とのキスの口実ができてひどくご機嫌だ。
そんな二人を温かく見守る数少ない使用人たちにとっても、二人の結婚式は待ち遠しいものであった。
さて、そんな結婚式も二週間後に迫ったある日のこと――
「ふざけるな! なにが伝統だ! そんなものくそくらえっ」
ユーリ王子はわめいていた。
ことの発端は、朝食を終えた後の執事のマルクスの発言だった。
ロデニウム国の王族の結婚には昔からとあるしきたりがある。それは、結婚式前の二週間、花嫁と花婿は一切の接触を避けると言うものだった。これは、特に花嫁が、結婚の前に家族たちとの時間を大切にするために設けられたいわば結婚準備期間であるのだが――
「エレナはすでに俺の嫁だろう! 今更準備期間もなにもあるかっ。第一、エレナの家族はあのろくでもない連中だろうが!」
「ええ、ですから、どういたしましょうかと申し上げたのです」
マルクスは苦笑を浮かべたが、メイド頭のミレットは意地でもエレナを離すものかというユーリの執着にため息をついた。
「旦那様、奥様の事情もおありですから、伝統通りとはいきませんが、せめてこの二週間、寝室は別にしてくださいませ」
「もともと別々じゃないか」
「寝室の場所を言っているのではございません! 旦那様は毎日毎日奥様のベッドにもぐりこんで眠っているではございませんかっ。いいですか? 今夜から結婚式まで、旦那様は奥様の寝室に立ち入り禁止です!」
ミレットにぴしゃりと言われて、ユーリは唸った。そうなのである。ユーリとエレナの部屋はいまだに別々であるが――夫婦の部屋は結婚式に向けて改装中である――、ユーリは当たり前のような顔をして、毎夜エレナのベッドにもぐりこむ。これはユーリが狼の姿の時からで、最初は緊張していたエレナもすっかり慣れてしまったが、そういうことならば伝統に従うべきだとエレナは思った。しかし――
「俺が隣にいないとエレナが淋しい思いをするじゃないか!」
「どや顔で何言ってるんだ。お前がただ単にエレナちゃんにひっついていたいだけだろ」
ユーリの友人で側近の騎士ライザックがあきれたように言った。
ユーリはライザックを睨みつけた後で、エレナに「そうだろう!?」と同意を求めてきて、エレナは気圧されたようにうなずいた。眠るときはいつもユーリと一緒だから、淋しくないわけではない――のだが。
ミレットをはじめ、使用人たちが一斉にエレナに同情的な視線を向けた。
「奥様、旦那様の我儘に付き合わなくても大丈夫なのですよ」
「そうそう、エレナちゃん、無視しときなって」
「そうでございます奥様。旦那様はそんなに甘やかさなくても大丈夫ですわ。ご安心くださいませ、旦那様が強行突破してこないように、寝室の扉はきちんと見張らせていただきます」
誰一人味方のいない花婿は、完全にへそを曲げて、苛立たし気に部屋から出て行った。
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