9
翌日、離宮から一番近いところにある街から仕立て屋がやってきた。
マダム・コットンはその街では一番有名なデザイナーらしい。お得意様には貴族のご令嬢も多く、マダムのデザインするドレスはロデニウム国での流行の最先端だ。
小さな丸眼鏡をかけたマダム・コットンは、エレナを見るなり顔を輝かせた。
「まあ、まあまあ、なんてかわいらしい奥様ですこと」
それから、はじめてドレスを仕立ててもらうエレナがどうしていいのかわからずに立ち尽くしている間にぺたぺたと彼女の体をさわって、「でも少し細すぎですわねぇ」と頬に手を当てて悩んでしまった。
(わたしが細すぎるからマダムを困らせてしまったのかしら……?)
エレナは申し訳ない気持ちになったが、エレナの足元に寝そべる黒い狼が鼻先でつんつんとエレナのふくらはぎをつついたので、彼女はただ黙って大人しくしておくことにした。
足元に寝そべっている狼はもちろんユーリである。
ロデニウム国の第二王子が実は狼でした――、などという醜聞が広まると大変なので、ユーリはごく限られた人間以外には大型犬のようにふるまった。マダムが来る前に、エレナはユーリから「余計なことは言うな」と釘を刺されていたので、足元にユーリがいることも、マダムが何をしようともどんな顔をしようとも、大人しくしていなければならないのだ。
大人しくしていることは苦ではない。ノーシュタルト一族の最果ての地では、毎日空気のように息を殺して生活していた。。少しでも目立つといびられるからだ。だから人形のように静かに立っていたのだが、マダムが自分の頬に手を当てたまま、エレナの周りをぐるぐると回るものだから、さすがに困ってミレットを見やった。
ミレットが小さく微笑んで、
「マダム、奥様はドレスを仕立てて頂くのが、その、とても緊張されるそうなのです。お手柔らかに頼みます」
と控えめにフォローをいれてくれたので、マダムは「あらあら」と笑いながらエレナの周りをまわるのをやめてくれた。
「あたくしったら、つい夢中になってしまって。でも、そうねぇ、肌が白いからどんな色でもお似合いになりそうだし、デザインもふんわりと花の妖精みたいに仕上げても、ほっそりとしたラインを生かしても、それはそれでお綺麗でしょうねぇ。どうしましょう。いろいろ試したいわぁ。そうそう、何着作られますの?」
「い、一着……」
「一着!?」
エレナがきっと一着だろうと思って答えると、マダムがくわっと目を見開いた。その迫力に思わず一歩退くと、ミレットが慌てたように口をはさんだ。
「マダム、一着ではございません。普段着用に少なくとも三着、あと外出用に三着は必要です。それからできれば、ナイトウェアなども……」
「そ、そんなに?」
エレナがたじろぐと、ミレットとマダムが口をそろえて同じことを言った。
「「少なすぎるくらいです」」
エレナでは二人の迫力にあらがえず、そっと足元を見れば、ユーリが金色の目でじっとエレナを見つめ返した。
(ほ、ほら、無駄遣いするから怒って……)
エレナはびくびくしながら、ミレットに、せめて普段着用を二着と外出用を一着にできないかと訊ねたが、ミレットに即刻却下をくらってしまう。
おろおろしていると、ミレットはエレナの足元のユーリに目を向けて、彼女には珍しく満面の笑みを浮かべた。
「奥様、旦那様はそんなにケチケチしたお方ではございません。ドレスはたくさんあるに越したことはございませんもの。いっそもっとご用意してもいいかもしれません」
「ええ!?」
多いと思っていたのにまだ増やす気かとエレナが愕然としている横で、まるでミレットに許可を出すように、ユーリが小さく「わふ」と鳴いた。
結局エレナは、ミレットとマダムの迫力に押されて、普段着用と外出用のドレスをそれぞれ五着、ナイトウェアを三着も作ることになった。
マダムが鼻歌を歌いながら帰っていくと、それまで寝そべって大人しくしていたユーリがのそりと起き上がった。
エレナは採寸や色合わせなどですっかり疲れてしまって、ぐったりとソファに腰を下ろしている。
ユーリはエレナの隣に飛び乗った。
「あれだけでよかったのか?」
「あれだけ……?」
「ドレスだ。お前、まともなものを持ってきていないのだろう? たったあれだけで足りるのかと訊いている」
たったあれだけ!?
ドレス一着がいったいいくらするのかはエレナにはわからないが、安い買い物ではないはずだ。それなのにあんなに買わせてしまって申し訳ないほどなのに、「たった」とは。
(そういえばバネッサも毎日着ているドレスがちがったわね……)
エレナは到底そんな無駄遣いをする気にはなれなくて、「充分すぎます」と答えると、ユーリはふぅんと頷いた。
「まあ、もう俺も、パーティーには出られないだろうからな。妻であるお前も必然的にそうなるだろうし、一度にそれほどまとめて仕立てる必要はないか」
「は、はい。パーティーは、ちょっと……」
「だが、一度だけは出席してもらう必要があるぞ。俺の二十歳の誕生日の直前の満月の夜に城でパーティーがある。俺の誕生日祝いだ。おそらく、俺がパーティーに出席するのは、死ぬまででこれが最後になるだろうが、これはどうしても出席してもらう必要がある。――ミレット、マダムにパーティー用のドレスも一着追加注文しておいてくれ」
「かしこまりました」
ミレットが頭を下げて退出すると、エレナは慌ててユーリを見た。
「あ、あのっ、パーティーって……、ダンス、するんでしょうか?」
「あ? 当たり前だろう、俺の誕生日祝いだぞ。もちろん踊る、相手はお前だ」
エレナは真っ青になった。
「わ、わたし、一度も踊ったことがありません……」
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