第10話
う、うぅ……。
チユキは自分の呻き声によって目を覚ました。しかし頭が酷く痛むためか、はたまた別の理由か、視界がぼやけて見える。
しばらくそのままでいれば治ると思っていたが、一向に視界は不明瞭のままで、とてもじゃないが何かを見ることは出来なさそうだった。
しかも頭の中に微かに靄がかかっているかのように考えが纏まらない。
まるで白昼夢でも見ているみたいだ、と朧げな思考の中でチユキはぼんやりと思った。
チユキは難儀しながら自分が置かれている状況を把握しようと努めた。
真っ暗で何もない虚無の空間に彼はいた。そしてそこで気が付いたのだが、自分の姿が淡い光を放つ光球へと変化していた。
ここは何処なのだろうか?
チユキは訳も分からず周りを見渡すが、右を見ても左を見ても、ただ闇だけが広がっていた。
その瞬間チユキは強烈な既視感を覚えた。ずっと前に似たような体験をしたことがある気がするが、しかしどうやっても思い出せない。
「そりゃぁそうさ、何せ母親のお腹の中の時の事だぞ?いくら君の精神が成熟してるからって何でもかんでも覚えているわけないだろう?」
いきなり背後から聞こえた声にチユキは再び強烈なデジャブに襲われた。チユキは声のした方へ目を(と言っても今のチユキに向ける目など無いのだが)向けた。
そこには衣服や髪の毛を含めすべてが白と黒に分かれた奇妙な格好の女が立っていた。
だがそんな恰好など、女の放つ圧に比べれば些細な事だった。
今まで感じたどんな者よりも、目の前でへらへら笑う女の圧は強かった。
これに比べれば「先生」などなんと取るに足らない存在であったことだろうか。そう思えるほど、目の前の存在は文字通り格が違った。
あまりにも強すぎて、魂が焼き切れてしまいそうだった。
「ありゃりゃ?結構抑えたつもりだったんだけどな……、悪いね。封印を解いたのは結構最近でさ。いろいろ勘が鈍ってんだ。……そらこれならどうだい?」
チユキの不調を感じ取った女は申し訳なさそうに詫びを入れると、自らの存在圧を内側へ押さえつけた。
するとさっきまでの圧が嘘のように消えてなくなり、心なしか歪んでいた空気が元に戻ったような気さえした。……こんな空間に空気もくそも無いだろうが。
「アッハハ、いやぁ~悪いことしたね」
ここは何だ?
重圧が消え、話の機会ができるやチユキはすぐさま相手に質問を投げかけた。
チユキの言葉に、女は怪訝そうに首を傾げた。
「この空間の事かい?」
そうだ。
「ここは君の意識の中さ」
あんたは誰だ?
「私かい?私は君を拉致した教団のボス、かな」
何と、目の前の怪物が堕天教団のボスらしい。
なるほど、確かにこいつならテロリストの親玉に相応しいな、とチユキは女の主張をすんなり受け止めた。
何たって恰好が奇抜だし、何より存在そのものが人間離れしている。頭のおかしな連中のボスにこれ程相応しい存在も無いだろう。
「アッハハ、目の前に本人がいるってぇのに酷い言い草だね」
心でも読んだか化物め。
「うん、だって今の君は精神だけの状態だ、いろいろ剥き出しだからわかりやすいのさ」
そうか。まあいい。
チユキは特に気にしなかった。目の前にいるのは人外の怪物だ。それくらいやっても驚くには値しない。それより怖いのは、何かの拍子に女の気が変わって自分を破壊しないかという事だけだ。
「いやいやしないよそんなこと。君を殺すだって?冗談!こんなレアもの壊すなんてもったいない!」
どうだか。
「おいおい、信じてくれよ。別に私は連中みたいに人類殲滅みたいなことは考えてないぜ」
どうして俺を拉致したんだ?あんたの指示?それとも下っ端の独断か?
「君を彼らが拉致した理由だけど、ま、彼らが言っている通りさ。来るべき最終戦争のために武器を作っているのさ。器を作ろうとしている奴らよりも先にね」
武器…?
「そ、武器、この世界を破壊しようとする神機達を倒すためのね。でもあんな過激にやれなんて言った覚えは無いんだけどなぁ」
そうか。ところで俺がレアってのはどういう意味だ?
「そりゃ君は純粋なこの世界の人間じゃないでしょ?それに神機としても……おや、残念だけど、もうお喋りタイムは終わりみたいだ」
何故?
「君の意識が覚醒し始めたからさ。もうじきここも消えてなくなる。ここは君の意識の狭間、微睡みが過ぎれば消えて無くなる儚い世界」
女の言う通り、世界の崩壊が始まった。暗黒の世界に罅が入り始め、そこから眩いばかりの白い光が漏れ出ている。
「じゃ、私もお暇させてもらうぜ」
待ってくれ、まだ話は途中だぞ。
「まあまあそんなに急くなよ。大丈夫、またすぐに会えるさ。だって君は今までのどんな神機よりも特殊なんだからね!」
神機?俺が神機だと?
「うふふ、またね!小手先君」
チユキの疑問を女は鮮やかにはぐらかし、そのまま白い光の中へ消えていった。
残されたチユキは女が消えていった光を茫然と見つめていたが、次第に光が全てを包み始めた。
様々な疑問が駆け巡る中崩壊は進み、ついに光は彼の視界も思考も全てを白に染め上げた。
それに続き、物凄い勢いで意識が上に引っ張られる感覚があった。
意識が覚醒する。
*
「う、うぅ……」
チユキは自分の呻き声によって目を覚ました。しかし頭が酷く痛むためか、はたまた別の理由か、視界がぼやけて見える。
しばらくそのままでいれば治ると思っていたが、一向に視界は不明瞭のままで、とてもじゃないが何かを見ることは出来なさそうだった。
しかも頭の中に微かに靄がかかっているかのように考えが纏まらない。
まるで白昼夢でも見ているみたいだ、と朧げな思考の中でチユキはぼんやりと思った。
だが、今度は夢じゃないぞ。
どくどくと波打つ心臓や微かに動く体を感じながら、チユキはそれを確信した。
仕方なしにチユキは一時目を閉じ、頭痛が過ぎ去るのを待った。
暫くそのままでいると次第に頭の靄も晴れ、頭痛も収まってきた。それと同時に体に力も蘇ってきた。
頭痛が完全に収まるとチユキは目を開けた。はじめは不明瞭だった視界も次第に焦点が合い、完全に見えるようになった。
チユキは起き上がり、今自分が何処にいるのか把握しようとして、そして固まった。
彼は部屋のど真ん中にある台の上で寝かされていた。
ここは手術室なのだろう。そのための道具が彼が寝ていた台の横の机に置かれてあった。
しかし彼を固まらせた原因はそれではなく、部屋中に飛び散っている血飛沫と、数名の邪教徒の死体だった。
奇妙な事に死体の痕跡は全く統一が無かった。刃物のような物で切り付けられている者もあれば全身を矢で射られている者もあり、頭を鈍器で殴られたように陥没させている者もいた。
「え、何これ……?」
チユキは目をしばたいた。
目の前の光景を消化するのに、目覚めたばかりの頭では荷が重すぎた。
かなり長い時間チユキは固まっていたが、やがて現実を飲み込めて来ると硬直も解け、体も動くようになった。
チユキは死体を踏まない様におっかなびっくり台から降りると、服を探して部屋をあさり始めた。
今のチユキは何も身に着けていなかった。恐らく手術のために脱がされたのだろう。
ならばどこかにある筈だと探し回ること数分、地下施設にいたころの装備がそっくりそのまま見つかった。戦いの後なんの整備もされていないからボロボロで着心地も最悪だったが、今は着れるだけで有難かった。
装備を手早く身に着けると、チユキはすぐさま出口に向かった。こんな場所に長居は無用。誰が、いや何が連中を殺したのかは疑問が尽きぬが、生きてここから出られるならばそんな事はどうでも良かった。
チユキは振り返りもせずに部屋を出た。
施設の中には誰もいなかった。
さて、もしこの施設が地下のと似たような物だったら、脱出するのは骨が折れそうだ。
チユキはどこかに地図でも無いか探そうかと考えていた矢先、廊下に血が点々とどこかへ続いてるのを発見した。
チユキは思わずニヤリと笑った。
ヘンゼルとグレーテルも、こんな気持ちだったのかな?
チユキは出た部屋から点々と続く血の跡を目で追いながらそう思った。
これを辿れば出口へ出られるはずだ。
チユキは血の跡を道標に、歩き始めた。
道中では書類が散らばっていたり、機材が横倒しに倒れていたりと、この場に居た者はよほど慌てて逃げ出しただろうという事を物語っていた。
一体何があったのだろうか?
手術室にいた時にも思った疑問が再浮上してきた。
気になるところだが、早くここから出たい欲求の方が勝った。
チユキはこれ以上その事を考えない様にするために、血痕を追う足を速めた。
しかし程なくして足を止めざるを得ない状況になった。
道案内の主が廊下の真ん中に大の字で倒れていた。チユキは駆け寄って脈を量ったが、案の定脈は無かった。もとより床に広がる出血量から見ても死んでることは明らかだった。
「おいおい勘弁してくれよ……」
チユキは思わず嘆いたが、そう悲観する様な事でも無かった。何せ先を見ればここから続く道は一本道になっていたからだ。もう道案内も必要なさそうだった。
チユキはそうと分かるや死体を後に残して走り出した。程なくして行き止まりにあたったが、付近に小さな魔法陣があり、そこに手を触れると音を立てながら壁が横にスライドして道を作った。
壁だと思っていたものは大きな岩だったようだ。チユキが外に出ると岩は元あった位置に戻った。
外は真っ暗だった。暗さの具合から推察するに、時刻は草木も眠る丑三つ時と言った所か。
チユキは思わず頭上を見上げた。
「チッ、やっぱりか……」
チユキは苛立たしげに吐き捨てた。
そこには相変わらず満月が、チユキの心情など露ほど知らず腹立たしいほど真ん丸で、地上にあるあらゆる物に対して無感情に浮かんでいた。
チユキは満月に中指を付き立ててひとしきり罵声を浴びせると、帰路に向けて走り始めた。
木々をかわしながら走るチユキの歩みに迷いはない。
それもそのはず。ここは彼の住む町の近くにある森の中だったからだ。チユキは休みの日に食料調達のために度々足を運んだから、この辺りの地理には詳しかった。
それにしても、こんな近くにあんな連中が秘密施設を作ってるなんて気づきもしなかったなぁ。
チユキは全力疾走で森を駆け抜けながらそんなことを思った。
と、ここでチユキにある疑問が浮かび上がった。
なんか速すぎないか?俺ってこんなに早く走れたっけ?ていうか夜なのにこんなに良く見えたっけ?
確かに先生に鍛えられたから夜目は効くが、それでもここまではっきり見える程じゃなかったし、脚だってこんなに速くなかった。何より今までならそんな速度を維持したままでは木々を避けられなかった。
どうなっている?連中俺に何をしやがった?まさか夢の内容が脈絡のない戯言じゃなかったとか?そんな馬鹿な!?
あれこれ悩んでいる内に空が白み始めた。いつの間にかかなり長い事時間が経っていたようだ。それだけ長く走っているのに息一つ乱れていない。それどころかまだ速度を上げられそうだった。
「えぇい糞!」
チユキは体に起きている変化に訳も分からず毒づき、やけくそになって速度を上げた。
途端にチユキは体の操作を失った。
勝手がわからない車に乗り込んで、碌に試運転もせずにアクセルを目一杯踏み込んだようなものだ。
「グワーッ!!?」
チユキは必死になって止まろうとしたが、足は全く命令を受け付けず、むしろどんどん足を動かす速さを上げた。
「うわあああ止まれ止まれ止まれぇ~!!!」
その甲斐あって町まですぐについたが、チユキは門の前で止まることが出来ず、そのまま町の中へ突っ込んでいった。
あまりの速さに門番たちは彼が通り過ぎた事にすぐには気が付かなかった。何かが凄い勢いで通り過ぎる音を聞いてようやく不信がった時には、チユキはとっくに町の中に入り込んでいた。
畜生!手続き無しの町への侵入は重罪だぞ!
凄まじい勢いで遠ざかっていく町の門に目をやりつつ、チユキは思わず呻いた。
町はすでに人が出始めており、道には人々が思い思いに動き回っていた。チユキの体はそれらを紙一重でかわし、依然全力疾走を続けている。
チユキはかなりぎりぎりで町民達をかわしているが、やはり早すぎて誰も気が付かず、精々鋼色の影が視界の端にちらつくくらいだ。
畜生、何でこいつらは気が付かねぇんだよ。気づけよ!そんで誰か止めろ!いや止めてください!誰でもいいからさぁ!!!
だが嘆いてばかりではいられない。このまま真っすぐ行くと彼の職場であるギルドに突っ込んでしまうだろう。
それは不味い。そんな事になれば明日から彼は定職無しになってしまう、どころか不法侵入と器物破損、場合によっては傷害罪で手を、最悪首まで縛られてしまう。
「そんなの嫌ぁあああああ!!!クッソ~止まりやがれぇええええええ!!!」
チユキは機械的に動き続ける足の制御権を土壇場に出る物凄い力で強引に奪い取った。
「いよっしゃぁあああああああ!!!」
しかし喜んだのも束の間。機械的に動いていた足を無理に自分の制御下に戻した代償として、チユキは足を縺れさせてしまった。
「あっ」
間抜けな声が口から漏れ出た刹那、チユキは凄まじい勢いで地面を削りながら転がった。
「ぎょええええええええ!!?」
チユキは絶叫を上げながら転がり続け、あわやギルドに突っ込むかというぎりぎりの所でようやく止まった。
「ぐわ、ぐわわ……」
チユキは苦痛に呻きながら、ふらふらと立ち上がりながら体をペタペタと触り、怪我の具合を確かめた。その時にカチャカチャと金属が触れ合うような音が聞こえたが、チユキは気が付かなかった。
転がった拍子で多少体を痛めたが、あれだけの速さで地面を転がったにしてはあまりにも痛みが軽い。
やはり何かされたんだろうな。チユキは痛みで正常に働かない頭でそう思った。
頭がくらくらする。さすがにあれだけの勢いで地面に突っ込めばそうもなるか。
自分の不調やらなにやらばかりに気が向いていたが、周囲からひそひそと声が聞こえるのに気が付き、チユキはそちらに目をやった。
いつの間にか人だかりが出来ていた。さすがにあれだけ騒げば気になって見に来る人もいるだろう。何よりこんな時代では娯楽も少ないから、騒ぎがあればそれを見に野次馬も集まるという物だ。
それにここはギルドの目の前だ。外から聞こえた絶叫と轟音にハンターがわらわらと外へ出てきた。
出てきたハンターの中には見知った顔もちらほらいた。
チユキは知っている顔を見つけると途端に気がほっとした。業務中に少し話すくらいの間柄だが、こういう時ではそんな者でも十分だった。
とにかく誰でもいいから話を聞いて欲しかった。チユキはなぜか武器を構えて自分を取り囲むハンターたちに無造作に歩み寄った。
「おいなんかこっちに近づいて来るぞ!」
「これは一体なんだ?新種の魔物か?」
「いや自立人形に鎧でも着せているんじゃないか?」
「やあやあ皆さん朝から元気ですね」
「「うわああああ喋ったぁあああ!!?」」
「あ~すみませんね。お騒がせしましたがホラ、この通り私怪我も何にもありませんので、ご心配なく」
ハンターたち、周りの野次馬含めた全員が驚きの声を上げた。しかしチユキは気にもせずそのまま話を続ける。彼は未だこの集まりを騒音騒動のためとしか捉えていない。
ようやく異変に気付いたのは、集まったハンターの一人から魔法が飛んできてからだった。
「おぉう!?」
チユキは突如飛来してきた火球を側転でかわし、体勢を戻すと驚愕の色を目に浮かべながらなぜ撃ってきたのかと問うた。
「な、何すんだ!」
「よけられた!?」
しかしチユキの言葉など耳に入ってなどいないのか、彼を撃ったハンターはただ魔法が避けられたことに驚愕していた。
「馬鹿、何外してんだ!」
「で、でも動きが速すぎるぜ!」
「くっそぉ~何だか知らんがとにかくぶっ飛ばせ!おい、お前らも撃ちまくれぇ!!」
「「うぉおおおおおおおおおおお!!!」」
状況がさっぱり把握できない。何が起きている!?
しかし事態をチユキが把握する間も与えず、ハンターたちは一斉に彼に向けて撃ちまくった。
「くそ!」
飛来する風の刃や石礫、稲妻の矢や氷柱などをかわしながら、チユキは訳も分からずハンタ-達から背を向け、一目散に逃げだした。
何だっていうんだ!?不法侵入者の捕縛にしては過激すぎるぞ!俺はまだ前科すらない清い市民だってのにこんな仕打ちはあんまりだ!
全力疾走で逃げ惑いながら、チユキは心の中で不満をぶちまける。
ハンターたちもその後を追うが、チユキの速さは身体能力の高い彼らよりなお速かった。
たちまちの内に両者との距離は広がり、たったの数分でハンターたちはチユキの姿を見失った。
「野郎何て速さだ!」
「どこ行きやがった!?」
「探せぇ!まだこの町のどこかにいるはずだ!」
「……」
バタバタと町中を駆け回るハンターたちを建物の影からこっそりと窺いながら、チユキはひとまず振り切った事に安堵した。
しかし逃げ切ったはいいものの、今度は別の問題に悩まされた。
チユキが身を隠している間にすでに彼の事は町中に広まってしまったらしく、至る所にハンターがうろついていた。
何処へいてもハンターが自分を見つけるために目を光らせているため、隠れている場所から身動きできなくなってしまったのだ。
これじゃあ家に帰れない。
チユキは今にも路地から飛び出そうとする体を意思の力で何とか抑え込みながら、焦燥した感じでそう思った。
畜生、早く家に帰りたい!だが隠れている場所から出ていくのは愚の骨頂。すぐにバレてしまう。
チユキは頭を抱えて蹲った。しかし同時にこうも思った。
だがバレたところで何の問題がある?
根拠は無いが、何故だか全く負ける気がしなかった。
いっそ堂々と蹴散らしてやろうか?
不意に湧いて出た普段の自分らしからぬ発想を、チユキはすぐさま頭の中から追い出した。
おいおいおいチユキ、らしくない事を考えるな。常識的に考えてあの数を相手にするとかありえないだろ。ていうか相手取る理由も見当たらないし、そもそも追われる理由も見当たらないんですけど。
頭の中で根拠のない自信を否定するが、そこでチユキは自分の体に驚くほど力が漲っているのに気が付いた。
……仮にそれが出来たとしても、それだけは絶対にダメ。
そう思ったチユキは暗くなるまで待つことにした。もどかしいが、自分が自分でいるためにはそうするしかなかった。
それからチユキは暗くなるまでの間ひたすら身を隠すことに専念した。途中何度か体の中の莫大なエネルギーに突き動かされて飛び出しそうになったが、現代社会で鍛えた忍耐力でどうにか抑えきった。
ようやく暗くなり、一部の熱心なハンターを除き殆どの者が家へ帰っていくタイミングを見計らって、チユキは物陰から飛び出した。
今まで抑え込んでいたエネルギーが解き放たれ、チユキは風の様に走り出した。
色付きの風となったチユキは誰にも気づかれる事無く疾走し、さながら一振りの刃の様に暗黒の世界を切り裂いた。あっという間に自宅へたどり着くと、チユキは勢いよくドアを引き開け、自室に向かって突き進んだ。
自室には先生が一時身を置いていた時に買ってきた姿見鏡が置いてあった。それを見ればきっとこの騒動の原因がわかると、チユキは直感で理解していた。
チユキは自室の明かりをつけ、目的の姿見鏡の前まで近寄った。
姿見鏡には布がかぶせてあり、チユキはそれを掴むときに一瞬だけ躊躇ったものの、意を決してそれを取り払い、鏡に映る自身の姿を見た。
「え゛っ……!!?」
チユキは息を呑んだ。
鏡に映っていたのは不機嫌そうに眉を顰めたうだつの上がらない青年ではなく、全身が剣で構成された異形の怪物だった。
二本足で立ち、さながら兜を連想させる頭部からのぞく目を見れば、あるいはそういう鎧を着た人間の様に見えるかもしれない。
しかし明らかにそうでないと言えるのは、怪物の尻の付け根から同じように剣で構成された「尾」が生えており、本人の意思とは関係なくゆらゆらと揺れていたからだ。
「な、な、な……」
チユキは思わず後退った。鏡の中の怪物も同じように遠ざかった。
「なんじゃこりゃあぁあああああああああああ!!!!!??!」
チユキの絶叫が、静まり返った夜の闇を引き裂いた。
一通り叫び終えると、チユキは白目を剥いて気絶した。今日一日の情報量に圧倒され、また自身の姿の変化に耐えられなかったのだ。
目が覚めた時、一体どんなことになるかはまだ誰にも分からない。
青年チユキはついに変身を遂げた。あとは出会いを待つだけだ。
新たなる伝説の幕が上がるまで、もう間もなく。
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