第5話


「あ?村長じじぃの家に集合?」



 それは次の日の朝、チユキが父に連れられて嫌々ながら畑仕事の手伝いをしている時の事だった。



「あぁどうも緊急の話らしい、お前ら今から来れるか?」

「来れるも何も行くしかねぇだろ、ったくこんな忙しい早朝からめんどくせーな。ていうかなんで俺まで行くことになってんだ?」

「そう言うなチユキ。少し待っててくれ。もう少しでひと段落するからさ」



 伝えてくれた農夫に父は礼を言うと、二人は急いで作業を終わらせて村長の家に駆け付けた。



 村長の家は田舎にしては大きく、会合場所や大人同士の集まりでとしてよく使われていた。



 2人が村長宅に着くと、中にはすでに村中の男手が集まっていた。2人が最後だったようで、チユキが中に入るのと同時に背後で扉が閉められた。



 チユキたち村人たちは村長宅の大部屋に集められ、前に立つ村長が話すのを小声で話し合いながら待っていた。



 チユキもそれに倣い、近くにいた猟師を生業として生活しているルドロフに向かって話しかけた。



「よう収穫無し、お前今日の会合の内容聞かされてるか?」

「誰が収穫無しだ誰が!本当に口が悪いなお前は。知らねぇよ。何分緊急の事だからな」

「誰か死んだか」

「お前……」



 物騒な事を事も無げに言うチユキに、ルドロフは内心で戦慄しながら、それを出さないようにジト目を送った。



 しかしチユキの言うことがあまり間違っていなかったことを、これから本人ともども知ることになる。



 チユキは鼻を鳴らしもう一言言おうとしたが、村長が口を開こうとしているのに気が付き、顎をしゃくってルドロフに前を向くように促した。



 村長は手を上げて皆に静かにするように合図し、完全に静かになったタイミングで口を開いた。



「早朝の忙しい時にわざわざ集まってもらってすまない、皆が朝から仕事に精を出しているのは村長として大変にうれしい事だが」

「前置きは良いだろ、こっちは早朝の仕事をほっぽり出して来てんだ。要件があるならとっとと話せ。俺たちは老人あんたみたいに暇じゃないんだよ」

「あー……」



 村長は口を挟まれ不機嫌そうに声の方を見たが、チユキがイライラして腕を組んでいるのを見て、目に見えて焦りだした。



 村長は何か弁解をしてこれ以上チユキに口を開かせたくなかった。朝っぱらから罵倒されるのは御免だ。



 村長はチユキの言葉に従い、前置きなしで本題に入った。チユキは舌打ちした。



 周りの大人たちは引きつった顔で彼を見たが、チユキが睨みつけると、皆村長の方に視線を戻した。藪をつついてヘビを出す事をしたい者などいないのだ。



「……オホン、えーでは本題に入るぞ、昨日アーノルドが森に行ったきり帰ってこないとウッドから報告があった」



 集まった村人たちはざわざわと囁きだした。チユキも声にこそ出さなかったが明らかに動揺していた。



 チユキの頭の中で先ほど自分で言った言葉と、昨日言った言葉が頭の中で木霊した。



『誰か死んだか』『あのデブさっさと死なねぇかな』



 あぁ確かにそう言ったさ。だがよぉ、知っている奴の死を本当に望んでいるわけないじゃないか。



 チユキは誰に言う訳でなく心の中で弁解した。



 そりゃあすぐ泣くしにぶちんの役立たずだったけどさ、だからってそんな、こんな急にだなんて……。



 いや、待て。まだ死んだわけじゃないだろう?そうだ落ち着け。判断するの話を聞き終わってからだ。ガキじゃねぇんだ。早合点するには早すぎるぜ。



 チユキは自らに言い聞かせるように呟いた。



 チユキは額に浮かんだ脂汗を拭うと、村長の話に耳を傾けた。早朝に集められた苛立ちはどこかへ吹っ飛んでいた。



「集まってもらったの理由はそういう事だ。これからアーノルドを探すために森に入る、何か質問がある者はいるか?」

「村長、アーノルドの奴はもう10になる、そんな奴が森で迷子になるなんてあると思うか?」



 村長に進言したのは外ならぬアーノルドの父ウッドであった。



「……何が言いたい?」

「野生の獣なら簡単に追い払える、熊くらいなら撃退だってできる、考えたくはねぇがよ、口にしたくもねぇがよ、もしかしたらアーノルドの奴モンスターにでも襲われたんじゃねぇかなって」



 ウッドの言葉に村人たちは浮足立った。



 魔物、あるいはモンスター、は魔力の影響を受けて変異した生物の総称である。



 人類種の天敵と呼ばれるその生物は、しかしすべてが人類にとって害なる者という訳でなく、一部の者は家畜として飼われていたり、人々の生活の一部となっている魔物もいる。



 尤も今上げた一部の例外を除き、殆どの魔物が野生の獣と同じように野や川に生息しており、ほぼ例外なく凶暴なため、この世界の死因の半分ほどが魔物関連と言われるほどである。



 だがそれでも死者が減らないのは、魔物の皮や骨は武器や魔道具の材料として重宝され、一獲千金を求めて魔物を狩ることを生業とするハンターになろうとする者が多いからである。



 魔物は魔力が濃い場所を好み、それに伴いチユキの暮らす村の付近ではほとんど姿を見かけなかった。



 そんな珍しいで片づけられる者が居るだけでなく、人の命を奪ったかもしれないとなれば、村人たちが不安がるのも仕方が無いと言えた。



 それに加え、この村でまともに戦える者がという事も彼らの不安に拍車をかけた。



「……どれだけここで議論したって見てみない分には何とも言えないだろ、行くなら早く行っちまおうぜ。でないと?」



 チユキはああだこうだ言いあう村人たちに、ため息交じりに言い放った。村人等の視線がチユキに降り注ぎ、チユキは向けられる視線に辟易するように再びため息をつくと村長の方に目を向けた。



 チユキの言わんとすることを理解した村長は彼に向かって頷くと、簡潔に場を閉めにかかった。



「ではこれから捜索隊を編成する、編成が済み次第速やかに森へ向かう、何か質問は?」



 今度こそ質問が来ない事を確認した村長はチユキと同じようにため息をつくと、村人の名を呼んで班の編成を始めた。



 チユキは浮かない顔で村長に呼ばれて前に出る大人たちの背中を目で追った。



 生きていると良いのだけれど。



 望み薄だろうと半ば確信しながらも、チユキはそう思わずにはいられなかった。




 *




 木漏れ日が注ぐ清々しい森の中を、チユキは同じ班になった村人たちと共に慎重に進んでいた。



 班決め、森への移動、打ち合わせが終わり、ようやく捜査が開始されたのは集まってから1時間ほど経ってからだった。



 彼が所属する班はチユキ、父、ウッド、ルドロフの4人だった。



 チユキはそれらしい痕跡が無いか辺りをくまなく探しながら、背後にいるウッドをちらりと振り返った。



 ウッドは目に見えて憔悴しており、顔色は青を通り越して真っ白になっていた。額には脂汗がびっしりと浮かんでおり、まるで死人のようだとチユキは思った。



 父とルドロフに励まされることで今でこそ何とか落ち着きを取り戻しているが、探し始めは本当に酷い物だった。森に着いた途端一目散に駆け込もうとするから、数人がかりで取り押さえなければならなかった。



「なぁウッド、まだ死んだと決まったわけじゃないんだ。だからさ、元気出してこうや、な?」

「そうだ、もしかしたら獣を追っかけて迷子になってるだけかもしれないしな!」

「……あぁ、そうだな」



 父とルドロフの言葉に、ウッドは消え入りそうな声で弱弱しく微笑みかけた。誰の目から見てもそれは無理して浮かべたものだと理解できた。



 父とルドロフは諦めた様にため息を吐くとウッドから離れ、痕跡探しに戻り始めた。ウッドの顔はもう笑みを浮かべておらず、再び沈んだ表情に戻るとふらふらと、まるで夢遊病患者の様に辺りを彷徨いだした。



 そんなルドロフを見て、チユキは突如謝りたい衝動にかられた。ウッドの目の前に立ち、頭を下げてとにかく謝りたかった。



 しかしチユキはすんでの所でそれを堪えた。



 謝ってどうする?え?ごめんなさ~い、こうなる事を予想して昨日アーノルドの奴を無理にでも追いかけて森から連れ戻すべきでしたぁ~ん!とでも言うつもりか?



 馬鹿か!



 チユキは自らを叱咤した。



 ふざけんなよチユキ、勝手に罪悪感なんて感じてんじゃねぇ!お前は神様でも何でもないんだ!こんな事予想できるか!



 これはそう…あいつがサボって森に逃げ込んだのが悪い!あいつが親の言うこと聞いてりゃこんな事にはならなかったんだ!



 ……だから罪悪感を感じるのはよせ。この事態は俺のせいではないのだから。



 チユキは自らに言い聞かせるが、それでも一向に罪悪感は消えなかった。むしろ言い聞かせれば言い聞かせる程どんどん罪悪感は膨れ上がっていく。



 ああすればよかったのではないか、こうすればよかったのではないか。たくさんのもしが浮かんでは消えてゆく。



 チユキは罪の重みに首を垂れるが如く俯いた。そして何かが目の端にちらついた。



「…?」



 それは全くの偶然だった。チユキは見つけた物の方に視線を向けた。



 それは糞だった。何の変哲もない糞が木の根元に折り重なってあった。森にいれば獣の糞などそこら中に落ちている。が、しかしこの糞はチユキの目に留まった。この糞は何かが違う。チユキは薄ぼんやりとだがそれを確信した。



 チユキは注しゃがみ込み、手の中にナイフを作り出して慎重に糞を突いて臭いを嗅いだ。



 チユキは眉をしかめた。糞というものは動物の種類に応じて臭いも量も異なる。肉食なら臭いがきついく量が少ないが、草食は臭いはそこまでではないが量が尋常じゃないほど多い。



 この糞の臭いはどちらかと言えば前者であるが、しかしそれにしては量が多いし、何より折り重なってあるのが気になった。



 チユキは目を細め、ばっと立ち上がると班員に収集をかけた。それまでウッドを気にかけながら痕跡探しをしていた面々がチユキの声に呼び寄せられ、何事かとチユキに問うた。



 チユキは無言で顎をしゃくって糞の小山を示した。



「何だ、何か見っけたと思ったらただの糞かよ」

「いや待てルドロフ、おいウッド、お前今まで森でこんなきれいに捨ててある糞を見た事あるか?」

「…無いな、こんな小奇麗に積み重なってる糞はとんとお目にかかったことは無い」



 3人はチユキに目を向けた。チユキは頷き、憶測だと前置きしてから話し始めた。しかしその口調には確信が満ちていた。



「本で読んだ話だが、ゴブリンは縄張りを主張するために付近に糞を重ねてあちこちに置いておくんだと」

「じゃあ?」

「この森にゴブリン共が住み着いたってわけだな」

「くそ、なんてことだ……」



 ウッドは頭を抱えてしゃがみ込んだ。父とルドロフが互いに目を見合わせ、何とか慰めの言葉を掛けるが、ウッドには届かなかったようだ。



「……今はそっとしておいてやろう、それよりこいつの他にまだないか少し探してみよう、多分いくつか見つかるはずだからな」



 チユキの提案に2人は頷き、ウッドに同情の一瞥を投げかけると痕跡を見つけるためあたりを探し回った。



 痕跡探しはそう時間がかからなかった。チユキの言った通り、折り重なった糞の小山が付近に複数個見つかった。



「こりゃ完全に黒だな」



 チユキはうんざりとため息を吐いた。



「どうするチユキ?このまま俺たちだけで続行か?」



 父の問にチユキは首を振った。



「ノー、魔物との戦いはただの獣の狩りとはわけが違うんだ。ここは外の班と合流すべきだな」

「分かった、ならついでにウッドの奴の保護も頼もう。こいつはきっと戦えないだろうし」



 父はウッドに視線を向けてそう付け加えた。



「決まりだな。じゃあ俺はウッドを担いでくからチユキ、シーズン、先に行っててくれ」

「あいあい」

「なるべく急いでくれよ」



 チユキと父は踵を返し、ウッドを担ぎ上げるルドロフを残して他の班と合流するべく走り始めた。



 10分後、無事に他の班と合流できた二人は村人たちを引き連れ、ルドロフ達と合流すべく来た道を引き返していた。



 だがその道の半ばで血も凍るような悲鳴が響き渡った。



「な、なんだ!?」



 先頭に立って先導していた父は今しがたの悲鳴に驚いて立ち止った。後ろの集団も同じように足を止めた。



「どうしたシーズン、今の悲鳴は何だ!?」

「お、俺だって知るかよ!…あ、おいチユキ!」



 驚くほどの瞬発力だった。村人に答えるために一瞬目を離した隙に、チユキは父とその集団の反応を振り切って走り出していた。



 チユキは自分の愚かさを心底呪った。



 畜生!敵がいるとわかっててあの2人を残すとか馬鹿か俺は!



 チユキは祈るような気持ちで2人の生存を願ったが、頭の冷静な部分はもう駄目だろうなという無慈悲な答えを出していた。



 戻るのに10分かかる道中をチユキはたった3分で引き返した。



「ウッド!ルドロフ!」



 チユキは悲鳴のした場所に飛び込んだ。そこで目に飛び込んできたのは、子供位の大きさの何者かが、ルドロフの死体の横に倒れている傷だらけのウッドに止めを刺そうと握りしめた石を振り下ろそうとしている場面だった。





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