第3話

「おいや、牛舎の掃除を手伝ってくれや」

「……チッ」

「わー凄まじいほど不服気な顔だ」



 チユキは読んでいた本から顔を上げ、話しかけてきたのが父、シーズンだとわかるや心底忌々しそうに舌打ちし、本をぱたんと閉じた。



「おいおいそんな顔をするな、仕方がないだろう、今日の当番は俺たちなんだ。これは村での決め事だぞ」

「うるせぇな、そんな事くらい分かってる…やるならさっさとやっちまおう。時間を無駄にしたくない」



 チユキは億劫そうに腰を上げると、父を置いてさっさと牛舎の方へと歩いて行った。父もそれに続いた。



「チユキ、勉強熱心なのは良い事だ、しかしそれだけでは良くないぞ。きちんと体を動かさねば良い成長は見込めない」



 父は息子の歩幅に合わせながら、不機嫌そうな息子をなだめようと声をかける。



「それはもう千回は聞いた、いい加減しつこい」

「しつこいとは何だしつこいとは!まったくそんな本を読んで、お前、将来何かやりたいことでもあるのか?」

「俺はこんな娯楽の無いくそ田舎からさっさと出たいだけだよ親父」



 チユキは振り返りもせず父親にきっぱりと言った。



「何を言う娯楽ならあるぞ、牛と戯れたり友達と遊んだり、大自然に身を投じたり。良いかチユキ、森が近くにあるのは田舎の特権だ、都会に森なんか無いんだぞ?」

「だから何だ、森に入ってそのまま化物共に踊り食いされろとでも?素晴らしい父親だ、実の子の死を望むなんて全く大したものだよ」

「えぇ…」



 父が自信たっぷりに田舎の良さを我が子に伝えようとするが、子は欠片も興味を持たずバッサリと切り捨てた。父は引いた。



 牛舎に入り、邪魔になる牛や人の尻を蹴り飛ばしてどけつつ、彼はどうにかして考えを変えさせようと説き伏せてくる父の話をBGM代わりに黙々と掃除を進めていった。



 牛の糞や体臭、干し草と自分の汗の臭いが組み合わさり何とも言えない異臭に顔を顰めながら、掃除の合間にチユキは奇妙な形で始まった新たなる人生を振り返っていた。



 この世界に生れ落ちてから5年の月日が流れていた。



 その月日で彼は様々な事を親や周囲の大人、近所の子供や本を通して知った。



 この世界は魔法というものが存在し、魔物がひしめく中世ヨーロッパ的な世界、いわゆる剣と魔法のファンタジーと言えるような世界だった。



 だからと言って彼は胸をときめかせることは無く、むしろ努力することが増えた事への苛立ちの方が大きかった。



 さらにこの世界は前の世界以上に運と才能がものをいう世界だと、チユキは早い段階で気が付いた。



 それに気が付いた時点で、チユキの中にあった新しい人生に抱いていた僅かな期待も、強風の前に立たされた蝋燭の如く消えていった。



 そして普通の子供が物心つく頃に教会で行われる適正魔法についての診断で、ついには期待の蝋燭すら根元から圧し折られた。



「はぁ……ったく……おいケイン!」



 チユキは溜息を吐き、憂鬱な気分を振り払うために掃除に集中しようと前を向いたが、ふと目の端にある光景が目に映った。



 チユキは目を見開き、次の瞬間にはその年には似つかわしくないほどに眉間に血管を浮かばせた。無造作に箒を投げ捨てたチユキは、それを躊躇なく投げつけた。



 ナイフは肥溜めに尻を向けてしゃがみ込む男のすぐ前に突き刺さった。



「何度も言わせるな!そこは牛の糞を入れる肥溜めだっつってんだろ!この牛未満の単細胞の塵屑め!」



 チユキの剣幕に、男は危うく肥溜めにずっこけそうになった。



「あわあわあわ」

「次にそこで糞をしようなんて考えてみろ、てめぇを切り刻んで!攪拌して!牛の餌にぶち込んでやる!!!」

「お、お~いおいおい!落ち着けチユキ!」

「うおおおおおおおおお!!!」



 慌てて牛舎から出ていく男の背中を凄まじく睨みつけながら、後ろからから抱え込んで押さえつける父をもぎ剥がし、肩を怒らせながら掃除に再び取り組み始めた。



 父は心配そうに(もちろん心配の対象は今しがた逃げた男の方だ)チユキに目をやったが、しばらくすると彼もまた掃除を再開した。



 父は山のように積み上げられた乾草に向けて掌を向け、軽く力を籠めた。、大量の乾草がふわりと浮き上がった。



 父は腕を動かして乾草を定位置の上まで運ぶと、風の力を調整してゆっくりと下した。



 父は満足したように頷くと振り返り、どうだとばかりに息子を見た。



「親父、もしかして俺に喧嘩売ってる?」



 残念ながら父の望んだ答えは返っては来なかった。チユキは手にナイフを生み出し、威嚇するように掌の中でクルクルと回した。



「いやいやいや何故そうなる!?俺はただお前に恰好をつけようとだな!」

「チッ!」



 父の弁解の言葉を、チユキは舌打ちで叩き落した。



 魔法、魔法、魔法。全く忌々しい!



 生み出したナイフを片手で弄びながら、チユキは心の中で痛烈に吐き捨てた。



 そもそも魔法というものは、生き物の持つ魔力を消費して行使できる超自然的な力の事だ。



 魔法には属性があり、もちろん個人によって使える数は異なる。1つしか使えないものもいれば複数使える者もいる。



 チユキは後者だったが、普通の属性魔法とは異なるかなり特殊な魔法の使い手だった。



 チユキは父の弁解を聞き流しながら、苦い思いで自身の適正魔法が判明した診断当日の事を思い出していた。



 診断の当日になると、チユキは数少ない子供の診断だけのために来る診断官が何か病気で急死でもするように願いながら、家から飛び出して逃走を図った。



 これが普通の子供なら、自信の適正魔法を一秒でも早く知りたいがために率先して親の手を引っ張っているところだ。



 だがチユキの体はともかく精神は子供ではなく、だからこそこれから見せられる結果に微塵も期待などしていなかった。むしろ健康診断の結果を恐れるかの如く、少しでも教会から離れようと必死だった。



 しかし彼の努力も空しく、チユキはあっけなく父の手に捕まり、まるで米俵の様に担がれてしまったのだ。



 父は彼の心境など知りもせず、チユキの小さな体を担ぎ上げ、村の端にある教会に意気揚々と運んでいった。



 道中でチユキ親子の横を通り過ぎた村人たちは、死んだ顔をして担がれているチユキに怪訝そうな視線を向けたが、チユキは反応する気力すら湧いてこなかった。



 教会の列に並び、順番を待っている間、チユキはさながら東大に受験した学生のような気分になっていた。



 つまり失敗が目に見えるっていうこった。



 チユキは暗い顔で呟いた。その呟きも、前から聞こえてくる診断結果に一喜一憂する子供たちの声に、誰の耳に届く事無く掻き消された。



 ついに順番が回ってくると、父はチユキを担いだまま部屋に入り、担いでいたチユキを診断官の前に下ろした。下ろされた瞬間、彼は回れ右して家に帰ろうとしたが、ここで逃げれば自分は本当に年相応のガキに成り下がると思い、苦渋の思いで用意された椅子に腰を下ろした。



 チユキが(渋々とだが)椅子に座るのを満足げに見届けると、父は結果を楽しみにしてるぞ、と言いそそくさと外へ出て行った。



 あぁ、精々不合格通知が届くのを楽しみにしているんだな。チユキはうきうきと部屋から出ていく父の背中に、心の中で陰気に囁いた。



 父が出ていくなり診断官は早速診断に取り掛かった。診断官は目の前に置かれた水晶玉に念を送り始めた。集中して念を送っている間、診断官はしばし奇怪な声を上げた。



 チユキはそんな診断官を見て、まるで悪魔付きのようだとせせら笑った。じゃなきゃインチキ占い師だな。



 そうこうしている内に診断官の奇声は最高潮を迎え水晶玉が一際強く輝くと、診断官は羊皮紙を取り出し、水晶玉の光にかざした。



 すると、羊皮紙に一人でに文字が刻まれた。診断官は満足そうに頷くと、チユキにそれを手渡した。チユキは胡散臭そうに診断官と羊皮紙を交互に見ながら、短く礼を言うとさっさと部屋から退出していった。



 チユキは父の前までまっすぐ行くと、早く見せろと急かす父の要望通り丸めてあった羊皮紙を開いて自身の適性診断の結果を見た。そこにはこう書かれてあった




 ~『身体強化魔法、武器生成クラフトウェポンに適正あり。それ以外の魔法に適正は無し。諦めてその2つを極めることを強く推奨する』~




 これだけが淡々と描かれてあった。あまりに短すぎて、ほんの数秒足らずで読み終えてしまった。



「」



 チユキは言葉を失い、呆然とした様子で周りで自身の適正魔法について嬉々として話し合う子供たちを見た。



「僕は炎魔法と身体強化魔法に適正があるんだって!」

「俺は風だけだな!あ、でも訓練すれば水属性魔法も使えるようになるって書いてあったぞ!」



 同年代の自慢話が聞こえる度、チユキは自分の存在感がどんどん小さくなっていく様な気がした。



 これで分かったろう。



 チユキは父に目を向けた。父は気まずそうに視線を逸らした。



 チユキは父を絞め殺してやりたい衝動をどうにか抑えながら、強く握りしめすぎてくしゃくしゃになった羊皮紙に視線を落とした。



 この世界の価値観で言うなら魔法が使えれば使えるほどいいという傾向がある。派手さがあればより好まれる。



 つまり俺はどうしようもない屑だって事だ。全く嬉しいねぇ。前世と何も変わらん!



 チユキは重い溜息をつきながら教会に背を向け、とぼとぼとした足取りで帰路に就いた。



 それからというもの、同年代や大人たちからバカにされる日々が続いた。村社会というものは狭いがゆえに噂などすぐに広まる。娯楽が無いから面白そうな話題にはすぐに飛びつくのだ。



 身体強化はありふれたものだが、武器生成の魔法はなかなか使い手のいない高度な魔法だった。しかし大体の使い手は属性魔法をセットで覚えているため、それが無いチユキはやはり馬鹿にされる対象だった。



 村八分というわけではないが、それでも普通の子供なら自信を無くし、自身を心底恨むであろう。



 だがあいにくこの男はチユキなのだ。とっとと事実を受け入れた彼は次の日には魔法の訓練を開始していた。



 そして馬鹿にされるその度にチユキはナイフを作り出し、やたら滅多らに発言者に向けて投げまくった。凄まじい罵倒を添えて、だ。



「人の欠点を上げへつらって笑う屑!社会の何の役にも立てない癖に人を笑う権限がお前らにあるというのか!?」

「適性が2つしかない?は!お前らは1つだって使いこなせていないじゃないか、他者を笑っている暇があるのか?わかったらさっさと行け!このロバ共が!」

「ゴミ!」

「カス!」

「ムシ!」

「***!」



 それを繰り返しやっていると、次第に彼を悪く言う者はいなくなった。しかしそれと引き換えに彼を畏怖の目で見る者が増えたのは、まぁ身を守るためのコラテラルダメージみたいな物だろう、とチユキは納得していた。



 チユキはその後の数年間の血の滲む様な努力に涙を禁じ得なかった。



 思えば色々あったもんだ。チユキはしみじみ思った。



 ただやはり、何かしらの属性魔法は使いたかったなぁ、と風魔法を使って効率よく掃除をする父に、羨ましそうな視線を投げるチユキであった。

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