ファイル42恋心窃盗事件―お忍び平民街①―

 一週間後。


 遂にエドガーがアイリーンの捜査に同行する日がやってきた。

 この日を実現するために急ピッチで仕事をこなしたエドガーと、そのエドガーに付き合わされたアーサーとクラウスの陰の努力のたまものである。


 そんな影の努力を知らないアイリーンは、いつものように町娘風のワンピースと動きやすい靴を着て、エドガーの迎えを待っていた。


「あー殿下まだかしら? 緊張しちゃうわ」

 彼女は緊張を鎮めるためにハーブティーに口を付ける。


「もうじき来られるかと」

 マギーも町娘風のワンピースを着て、給仕をしている。


 今日の予定はアイリーンが普段から活動している平民街を回り、パトロールしつつ、新たな事件を解決するというものだ。

 エドガーがお供のアーサーを連れて、迎えに来ることになっていた。


 流石に王家の馬車で街に出るわけにはいかないので、一度侯爵家で馬車を乗り換え、街外れで馬車を降りる手はずになっている。


 二人が他愛のない雑談をしているうちに、外から馬車の車輪の音が聞こえてきた。


「あ、いらっしゃったわね」

「はい」

 アイリーンとマギーは、鏡の前で服装を最終チェックして、玄関ホールへと向かう。


 ホールには、お忍び用の平民服に身を包んだエドガーとアーサーが、待っていた。


 階段を下りてくるアイリーンに目ざとく気付いたエドガーが、いつものように気品あふれる王子様スマイルを浮かべる。


「アイリーン! この間も少し見たけれど、町娘みたいなワンピースも新鮮で可愛いね」

「あ、ありがとうございます。殿下も、その、いつもと違った雰囲気でとても素敵ですわ」

 微笑みに中てられたのか、頬を染めたアイリーンがエドガーを褒める。


 今日のエドガーは、目立ちすぎる髪色を隠し、使い込まれたような風合いのシャツとスラックスを着ている。

 テーマはえんとつ掃除見習いらしく、シャツの袖を捲り上げており、アイリーンは普段見えない筋張った男らしい腕に、更に頬を赤くする。


(はわ~。エドガー様の腕、美しいのにしっかり筋肉がついていて素敵だわ。いつも鍛錬していらっしゃる成果よね。美しいお顔からは、華奢な印象があったけれど、当然男の人ですものね)


 そんなことを考えたアイリーンはポーっとしながら、エドガーの腕を見つめる。

 その様子に気をよくしたエドガーは、満足気に笑うとアイリーンの手を取り、準備された侯爵家の馬車へと彼女をエスコートするのだった。




 ごとんごとん、馬車は平民街の外れで止まる。

 そこからは徒歩で向かう。


 アイリーンはエドガーにエスコートされながら馬車を降りた。

 馬車の中でも隣に座ろうとするエドガーに終始恐縮していた彼女は、流石に慣れてきたのか頬を染めるが嫌がらずにエスコートされている。


「さ、名探偵アイリーン。今からどこに行くの?」

 エドガーに尋ねられたアイリーンは、少し考えた後で口を開いた。


「そうですね……殿下がよろしければ、まずは私の諜報部隊から、最近の情報を聞きます。それから、街を回りながら困ったことがないか聞いて歩き、パトロールしていきますわ」


「予定には賛成だけど、問題があるよ」

「え? 何でしょうか?」

 アイリーンが何かしてしまったかと、不安そうに小首をかしげる。


(ああ。また始まったぞ)

(お嬢様って、やっぱり殿下が絡むとポンコツに……)

 そんなことを思いながらも空気に徹しているアーサーとマギー。


 従者の呆れも華麗に放置して、アイリーンの不安そうな見たエドガーは、安心させるように彼女の頭を撫でた。

「名前だよ。殿下って呼ぶの禁止! お忍びの意味がないでしょう?」


「まぁ! 本当ですわ! 私としたことが申し訳ありません!」

「口調も、もっと砕けてないと変だよ。明らかに貴族だとわかってしまう」

「それでは敬語は控えるようにいたし、いえ、するわ」


 エドガーはアイリーンの顔を覗き込むように視線を合わせると、含みのある艶やかな笑みを浮かべる。

「ねぇ、アイリーン。エドと呼んでくれない?」

「えっ、エド?」


「うん。私はリーンと呼ばせてもらおうかな。アイリーンの愛称を呼んでいる人はいないものね」

「は、はい。エド」

 頬を染めたアイリーンと満足気なエドガーが見つめ合う。


 アイリーン本人の意思に反して甘い雰囲気が漂い始めた刹那、我慢のできなくなったアーサーが叫んだ。

「あーもう! 分かったから、早くいくぞ!」

 さりげなくアーサーがエドガーとアイリーンの間に割って入る。


 エドガーは肩をすくめて笑った。

「そうだね。リーン案内してくれるかい?」

「分かりました! こちらです」


 元気よく前を歩き始めるアイリーン。甘い雰囲気を知らないのは、本人ばかりである。


 アイリーンが街へ繰り出すことは、ガーネットチルドレンには連絡してあり、待ち合わせ場所は、噴水のある広場だ。

 アイリーンが初めてニック達と会った日に、彼らと訪れた所である。


 噴水の前にはすでにニックとリサがいた。


「よう! お嬢、この前の孤児院の事件大変だったらしいな。大丈夫か?」

「ええ。大丈夫よ! 心配かけたわね」


「良かった。俺たちの集めた情報で、お嬢がケガしたんじゃないかと、みんな心配してたんだ」

 ニックとリサが心配そうにアイリーンを見たので、アイリーンは明るく笑って二人の頭を撫でた。


「どうして私のチルドレンはこんなに優しいのかしら! 二人ともありがとう」

「ん。それでお嬢、こっちの二人が手紙にあった知り合いか?」


「ええ。私が前回のような危険な目に合わない様に、捜査を監視してくれることになったエドと、私の兄のアーサーよ」

 アイリーンはそう言ってエドガーとアーサーを紹介する。


「へぇ。監視ねぇ。信用して大丈夫なのか?」

 ニックは胡散臭そうに顔を顰める。


「な! だ、大丈夫よ」

(ニック! ダメよ! 殿下なの! ふ、不敬罪にならないかしら?)

 アイリーンの心の焦りは、ニックには届かない。


「ならいいけど。おい、アンタ!」

「私かい?」


「お嬢を危ない目に合わせたら、容赦しないからな!」

「ふふ。そんな目には絶対合わせない。約束するよ」


「ふん……で、お嬢。今日の報告な」

「え? ええ! お願い」


 ガーネットチルドレンが集めた情報を聞きながら、何故か険悪なニックとエドガーに、小首をかしげるアイリーンなのだった。

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