迷探偵令嬢は怪盗プリンスを捕まえたい!

七戸光

ファイル1恋心窃盗事件―怪盗プリンス爆誕―

 侯爵令嬢アイリーン・ポーターの楽しみは、読書である。

 お気に入りの猫足テーブル、ポットから漂うダージリンの香り。

 その中でめくるめく小説の世界に飛び込むのは、彼女にとって至福の時間だ。

「はぁ~。今日も【名探偵シャーリー】は素晴らしいわ! 人の表情、仕草、足跡——様々なものから真実という名の宝石を探し出す……あ~素敵!」

 キラキラとした瞳で彼女は本を抱きしめる。

「私もいつか、シャーリーみたいな名探偵に!」

 アイリーンが気持ちよく決意を固めているところ、彼女付きの侍女マギーが割って入る。

「お嬢様、もうすぐ旦那様と奥様がいらっしゃります」

「そうだったわね。それにしても何かしら? そろって私のお部屋まで来るなんて」

「さぁ? 珍しいことではありますね……っと、お嬢様、来られました」

 マギーがそう言った数秒後、コンコンとドアをノックする音が聞こえ、次いで父の声がした。

「アイリーン。入ってもいいか?」

「どうぞ」

 入ってきたのは、アイリーンと同じ赤い髪に鳶色の目の紳士と、ライトブラウンの美しい髪に緑の瞳の女性。

 アイリーンは立ち上がって二人に礼をする。

「うむ。アイリーン、座りなさい。実はなお前に話があってな……その」

「アイリーン、社交界デビューの日が決まったわ。あなたのお誕生日月である五月、王妃様主催のお茶会に参加しますよ。アナタ、娘が可愛いからと、いつまでもうじうじしないでください」

「す、すまない」

 冷たく父を睨む母にも、小さくなった父にも気付かず、アイリーンは告げられた言葉に驚きを隠せなかった。

「え!? い、嫌です。だって私、王太子殿下には興味ありません!」

「こらっ! なんてことを、アイリーン!」

「も、もっとたくさんお嬢様方がいらっしゃいますし、私一人行かなくとも……」

「アイリーン! 社交は貴族の勤めよ!」

「そうだぞ」

「でも……本を読んでる方が楽しいです」

 アイリーンはそう言ったきり、俯いてしまう。

 見かねた母が、ため息を吐いて口を開いた。

「アイリーン、今度貴方の好きな、【名探偵シャーリーシリーズ】の新作、それも限定版が出るそうね。今回の茶会に出たら、ご褒美として買ってあげましょう」

「!」

 アイリーンの耳がピクリと動いた。

 そして、ぱっと顔を上げてにっこり笑う。

「お母様! 私、三冊買ってほしいわ。保存用と観賞用が必要なの!」

「全くこの子は……分かりました。その代わりちゃんと茶会に行くのですよ」

「もちろんです!」


 そんな会話をした数か月後。


 澄み渡るような青い空。

 霧の多い国、フォグラードにおいて珍しいほどの晴天だ。

 王宮の庭園は、手入れの行き届いた草花が咲き誇り、光を受けてキラキラと輝いている。

 綺麗な山吹色のドレスに身を包んだアイリーンは、初めて見る王宮の庭園に感動していた。

「まあ! なんて美しいのかしら」

 思わず感嘆の声を零す。

「アイリーン、大人しくしていなさい」

「……分かっています。お父様」

 アイリーンはしぶしぶと言った様子で、今にも駆けだそうとしていた体を止めた。

 花好きの彼女の目は名残惜し気に、花壇の方を見ていたが、父と母に睨まれては大人しくするしかない。

 両親の目的は、娘に美しい花々を見せる事ではなく、娘を花として王太子様に愛でていただくことなのだから。

(これも限定版三冊のためよ!)

 アイリーンは心を強く持ち、花の誘惑を振り切る。


 *************


 世間の噂によると王太子は、それは素晴らしい方だそうで、幼少期から学問、武術共に優秀な成績を収められているそうだ。

「まさに、豊かで広大な国土を持つフォグラードを統べる未来の国王に相応しい」と近しい者たちは語る。

 またその容姿は、数多に星の煌めく濃紺の夜空のような美しさと称えられており、流星の光のごとく輝くプラチナブロンドの髪をしているのだとか。

 容姿端麗、将来性抜群の王太子殿下の婚約者に、娘を召し上げたいと考える貴族はたくさんいる。もちろん令嬢方からの熱望も多い。

 しかし、現在十五歳のエドガー様には、浮いた噂の一つもない。

 この国の成人は十八歳、結婚適齢期は十六~二十歳。意中の婚約者がいても良い頃である。

 殿下と年の近い高位貴族の令嬢と、その家族を集めた妃選びの場。今年十二歳になったアイリーンも参加することになったのだ。


「はぁ……」

 アイリーンの口から思わずため息が零れ落ちる。

 テーブルの隙間から見える足元の芝が、あまりにも青々と生命力に満ちているので、彼女はここに着いた瞬間から芝のベッドで寝ころび、読書したいという衝動にかられていた。

(この芝の上で、名探偵シャーリーと怪盗貴族の出逢いを読んだら……最高に違いないわ)

 彼女の心を読んだのだろうか、母に叱られてしまう。

「全くこの子は! 淑女らしくなさいとあれほど!」

「ごめんなさい、お母様」

「……はぁ」

 夫人は大きなため息を吐き、隣で見ていた夫に視線を送る。

 父であるポーター侯爵は娘を見る。

「アイリーン。お顔を一目見るだけでもしてきなさい」

 父、最大の譲歩である。夫人は隣で「それだけ!?」と言わんばかりだが。

 しかし父の内心は別のところにある。

 娘は嫁に行くのはまだ早い。王宮のパーティーですらそう思う父は、娘が可愛くて仕方がないのだ。

「はい! 早速行ってまいります!」

 途端にやる気を見せたアイリーン。

 自由時間確保のために彼女は、本日最も大きな人だかりの方へと足を進めた。

(早く済ませてしまいたい)

 人だかりに突入したアイリーンの心境はその一言に尽きる。

 しかしそれも、王太子殿下のご尊顔を見るまでの事だった。

「!」

 令嬢方の隙間から垣間見たエドガー様の姿に、数十秒彼女の呼吸は止まっていた。

「はっ!」

 胸を抑え、奇声を発するアイリーンに、周囲の令嬢の奇異の視線が突き刺さる。


 しかし、彼女にはどうでもよかった。

 何故なら声に反応したエドガー様が、こちらを見たから。

 この世のものとは思えないほど美しい、まるで夜空のような瞳と目があったから。

 殿下がにこり、笑いかけてくださったから。

(なんてこと!)

 アイリーンは熱を持つ顔を隠すように、カーテシーをこなす。

 そして熊から逃げるようにじりじり後退してから、逃げる様に周囲の令嬢に紛れて姿を消した。

 両親のところまで走った彼女は、父に抱きつき赤い顔をやり過ごす。

「アイリーン、芝生はもういいのか?」

 突然の娘来襲に、困惑しつつも父は嬉しそうにして、夫人から冷たい視線を頂戴していた。

(やはりこの子に嫁入りは早かったか)

 娘の頭を嬉しそうに撫でる父と大人しく受け入れる娘。

 一見仲睦まじい様子だが、二人の決定的な食い違いに気付いたのは、一部始終を近くで見ていた夫人だけであった。

 そして夫人は近く訪れる夫の悲劇を予見し、口元を扇子で隠し笑みを浮かべる。


 アイリーンは両親の表情など見えていなかった。

 ただただ、胸の高鳴りをやり過ごすことで精一杯。

(本当に、なんてことなの……)

 まるで愛読書に出る怪盗の仕業のようにあっさりと。

 彼女にとって初めてであったソレは、驚くほどあっけなく奪われてしまったのだ。

 僅かな時間、視線が絡み、笑みを見た。たった、それだけで——

 アイリーンの心は、あっという間に美しい夜空の瞳の虜となった。

(エドガー殿下、なんて素敵なの。まるで、怪盗貴族のようにするりと私の心を奪ってしまわれた。きっと殿下は、怪盗なのだわ!)


 そしてここに、恋心窃盗犯、怪盗プリンスが爆誕した。

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