第83話 ユシュ〈治癒者の来訪〉



警備団中央本部。

大きな机の上には書類の山。それを眺めて、ユシュは疲れたため息をついた。


こんな書類整理なんてやってる気分じゃないってのに。


苛立ちが限界を超えてしまい、理性が窘めるより先に手が動く。

書類の束が空を舞い、床にバラバラと落ちる。


あー、くそぉ、やっちまった!


誰がこれを片づけるんだよ! 俺だっての!


俺ときたら、アホだろ……


力が抜け、ユシュは机に突っ伏した。


こんな時、剣でも振って無心になれたら……だがいまのユシュは、満足に剣を握ることもできないのだ。


自分の左手に視線を当て、あったはずの指がないことに、また絶望する。


「畜生……」


力なく吐き捨てる。


左手の指を二本……だが薬指と小指だ。傷を治療してもらいながら、たいしたことじゃないと思った。

だがそれは間違いだった。今までの十分の一も実力を出せやしない。


今回の緑竜討伐に赴いたのは、アラドルの本部、そして四支部からそれぞれ十人ずつが選ばれた。五つの部隊、総勢五十人での出陣。


緑竜を二体倒したものの、その後群れに襲われてほとんどの者が傷を負い、なんとか逃げ帰った。


そこそこ腕の立つ治癒者も同行していたし、それなりに回復薬も携えて行ったのだが、とても足りなかった。


ユシュの部隊の者ではないが、ひとりが犠牲になり、右腕が完全に使えなくなった者、そして片足を失くした者もいる。

ユシュの補佐であるアビロも、緑竜に尻尾を叩きつけられ全身複雑骨折。


この三人は中央警備団専用の医療施設で、いまも治療を受けている。

仕事上の怪我については、高ランクの治癒者の治療を受ける権利があるのだが、それはすぐではないのだ。数年待たされるのが普通。しかも、完治までは難しい。


元通りにしてもらえるなんて、ユシュも思っていない。


アビロの骨折については、あと一週間もあれば治るらしいから、それだけはよかったよな。


だが、これほど甚大な被害を被るとは思わなかった。なんで緑竜が群れで襲ってきたんだ?


同じ疑問をぐるぐる考えても答えは出るはずもなく、ユシュは仕方なく立ち上がり書類を拾おうと手を伸ばす。そこでドアがノックされた。


「どうぞぉ」


拾い集めながら応じる。


「副団長、あの……あ、ありゃ、こいつはどうしたんですか?」


「気にするな。それで、どうした?」


「は、はい。団長が呼んでます」


その言葉に顔を顰める。


団長は、王都からやってきた騎士団の指揮官の相手をしていたのだが……


「騎士団の指揮官様はまだいるのか?」


「いえ、いまお帰りになりましたよ」


そっ、そうか。よかった。


胸を撫で下ろし、ユシュは団長室に向かった。



「団長、ユシュです」


ノックの後に名乗ると「入れ」と返事があり、ユシュはドアを開けて中に入る。

団長のカオクは、頬杖をついて窓の外に目を向けていた。


「あちらさん、どうでした?」


歩み寄ってユシュも窓に目を向けると、騎士団の指揮官がこちらに背を向けて歩き去るのが見えた。


「やる気満々だ。明日、討伐に赴くそうだ。群れで襲ってくるのは異常なことやら、お前たちの討伐の状況と被害についても話したんだが……」


「王都の騎士団の我々ならば、楽勝だ! とか思ってんですかね?」


「そのようだ」


「止めたんなら、こっちに責任はないでしょう」


「まあ……な」


こちらに向いたカオクの視線が、ユシュの手に向けられる。


「不便だろう?」


「仕方ないですよ」


「優先的に治療してくれるように頼んでおいた」


「ありがたいですが……順番は守りたいですね」


「お前は副団長だ。万全の状態でいてもらわねば困る」


そう言われるとこっちも困るが……


「今の状態を治療院に報告するそうだから、医療施設に行ってこい」


「いまですか?」


「ああ、いますぐだ」


手を振り、行けと命じられる。


素直に従いたくはなかったが、上司の命令を無視するわけにもいかずユシュは医療施設に向かった。

ついでにアビロの様子を覗いてくるとしよう。


警備団の医療施設は隣の建物になる。渡り廊下からでも行けるのだが、警備兵舎の玄関から外に出て向かう方が早い。


アラドルの四つの支部には、警備団専用の医療施設が設けられているが、入院設備があるのはここだけだ。仕事中に大怪我をした者はここに入院することになる。


玄関を出て歩いていたら、水色のローブにフードを被った小柄な女性が数メートル先を通り過ぎて行った。


あの姿からすると、治癒者か?


女性も医療施設に用があるらしく、ユシュと同じ方向に歩いている。後ろをついて行く形になり、女性の後にユシュも医療施設に入った。


「どなたかいらっしゃいませんか?」


誰もいなかったのか、女性が呼びかけている。ユシュは駆け足で追いつき、女性の後ろから声をかけた。


「失礼、どういったご用件ですか?」


女性は振り返りがてら、頭を下げてきた。


「緑竜討伐に赴かれて、大怪我を負われた兵士様が複数いらっしゃるとお聞きして参りました」


うん?


「あなたは、治癒者ですか?」


「はい。これを」


女性はカードを差し出してきた。それを見たユシュは目を見開いてしまう。


SS?


「あ、あなたは、SSランクの治癒者なんですか?」


「はい。怪我人の方の元に、ご案内いただけますか?」


本当にSSランクの治癒者なのだろうか?


どうにもそうは見えない。質素なローブにフード。これが見習いの治癒者というならまだしも、高位の治癒者とは思えない。


だが、見せられたカードは偽物などではないようだ。


「ああ、ユシュ、来たのね」


医療施設の奥から、ここの責任者であるケイシャが顔を出した。


「ケイシャさん」


「あら、その方は?」


「それが……」


「初めまして。こちらに緑竜討伐に赴かれて大怪我を負われた兵士様が複数いらっしゃるとお聞きしまして、参りました」


ユシュに言ったと同じ台詞を女性は繰り返した。そして、ケイシャにも治癒者のカードを見せる。


「まあっ! SSランク⁉」


ケイシャは目を丸くし、それから大きく息を吸い込み、破顔する。


「よく来てくださいました!」


ユシュのように疑うことなく、ケイシャは治癒者と名乗る女性の両手を、歓迎を込めて握った。


「緑竜討伐で怪我を負った者の治療をしてくださるとのことですけど、欠損部位が大きいのですよ。治療費については?」


「今回は奉仕ということで大丈夫です」


「まさかの無料ですかっっ!」


ケイシャはがっつくように突っ込んだ。それに対して、女性は静かに頷く。

たぶん笑っているんだろうが、フードで顔が見えない。


「ユシュ、まずあなたが治癒してもらいなさい」


「えっ、俺?」


驚くユシュに構わず、ケイシャはユシュについて説明を始めた。


「彼は中央警備団の副団長なんですけど、彼も今回の緑竜討伐で指を二本欠損したんですよ」


「分かりました。それでは、手を」


さっそくとばかりに手を差し出してくる女性に、ユシュは戸惑ってしまう。


「えっ、こんなところで立ったまま治療するんですか?」


「そうよね。場所を変えましょう」


ケイシャが案内してくれ、ベッドのある部屋に移動した。


女性から座るように促され、落ち着かないままユシュはベッドに腰かけた。


俺、大丈夫なのか?

どうにも不安になる。


あのカードを信用してよかったんだろうか?


女性はどこからか小瓶を取り出し、「手を」と言いつつ自分の手を差し出してきた。


「ユシュ、どうしたの? 早くなさい」


頬を高揚させたケイシャがせっついてくる。その目は期待で染まっている。


俺を実験台にするつもりか? と文句が出そうになるのをぐっと堪える。


くそぉ。嫌だが、こうなったら嫌と言えねぇ。


仕方なく手を出したら、下に手を添えられ、小瓶の中身が数滴欠損部位に垂らされた。


「うっ!」


思わず呻いてしまうほど、焼けるように熱くなった。手を引きたいが、ぐっと握りしめられ叶わない。


な、なんだ華奢な手なのに、なんで引き抜けない?


「この熱は必要なものです。我慢してじっとしていてください。すぐに楽になります」


諭され、頬が赤らむ。


な、なんだよ。俺が痛みに我慢できない情けない男みたいになってるじゃねぇか。


顔を歪めていたら、包まれている手が眩く光った。


一瞬、頭がぼやっとし、ふらっと身体が傾きそうになる。


「そのまま横になってください。しばらくは安静に寝ていてくださいね」


やさしく身体を横にされてしまい、気づいたときにはベッドに横たわっていた。

手も解放され、すでに熱っぽくもない。


「まあっ!」


ケイシャが大きな声で叫んだ。


「ユシュ、指が、指が……」


そうだ。俺の指!


慌てて左手を見る。


指が揃ってる……俺の指が……


前と同じではなく、新しく生まれた二本の指は、赤ん坊の肌のように綺麗な肌艶をしていた。


しばらく呆然としてしまい、ハッと我に返って治癒者に礼を言おうと周りを見回したが、そこにはもう誰もいなかった。


慌てて起き上がろうとしたものの、頭がふらふらして起き上がれない。


そういえば、こういう高度の治癒医療を受けた場合、すぐには起き上がれないというようなことを聞いた気がする。


他の三人も治癒してもらえるのか気になるってのに……


必死に起きあがろうと無理をしたのが祟ったのか、激しい眩暈に襲われユシュは無様に気を失ったのだった。





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