第76話 ゴーラド 〈無意識のあと一歩〉



「もうすぐガラシア国だぞ」


先頭を歩いているキルナが、振り返って教えてくれる。

未知なる国についに踏み入ることを考え、ゴーラドは胸を膨らませた。


パロムを出てから二日が過ぎた。その間、ひたすら進み、昼を食い、また進む。

夕暮れになるとティラは家に帰るといって消えてしまい、そのあとはキルナと目標とした宿場町に辿り着くまで進むという繰り返し。


街道は人や幌馬車などの行き来も多く、魔獣が現れることもない。これといって特別なことも起こらず、かといって退屈という事もなかった。


緩急付けて進みつつ、ふたりとこれからのことを話題にしたり、キルナが楽しみにしている緑竜退治なんかの話をしていたら、瞬く間に時間は過ぎていく。


ソロで依頼を受けていた時とは、雲泥の差だ。

ニルバやミーティーたちと一日の終わりに酒を飲んだりして楽しんではいたんだが……


あいつら、俺が緑竜討伐に参加するなんて聞いても、本気にしねぇんだろうな?

もちろん、俺ごときでは竜など相手にできないだろうが……


けどなあ、キルナさんひとりにやらせて、それを眺めてるだけってのは、男として情けないんだが。

とはいえ、技量ってのはあるからな。自分が情けないからなんて理由で、余計なことをしてキルナさんの足を引っ張るんじゃ……


「わあっ、いい景色ですねぇ」


考え込みつつ歩いていたゴーラドは、ティラの感嘆を帯びた声に顔を上げた。


いつの間にか木立を抜けて、前方が開けていた。はるか遠くに猛々しくそびえる山が見える。


「あ、あれは話に聞いた、銀竜峰か?」


指をさして聞くと、キルナが頷く。


「ああ、そうだ」


ゴーラドは胸が躍った。


「銀竜王という特別な竜が棲んでいるという吟遊詩人の詩を聴いたことがあるんだが、本当なのか?」


勢い込んで聞くが、キルナの返事は「さあ、どうなんだろうな」と、そっけない。


「銀竜王!」


唐突に、ティラが大声で叫ぶ。


「このティラ様が大剣を手に入れたら、貴様などちゃっちゃと討伐してやるぞぉ。首を洗って待ってろよぉ!」


豪語するティラに、キルナは醒め切った眼差しを向ける。


「勇ましいな」


ゴーラドは思わず噴いた。


そんな扱いにめげる様子もなく、ティラは大剣を振り回すようなジェスチャーをし、テンションを上げてクルクル回る。


「ティラ、言おう言おうと思っていたんだが……お前に竜討伐の参加資格はないぞ」


キルナの一言に、ティラはピタリと動きを止めた。


「へっ?」


「緑竜討伐の参加資格は、Bランクマスター以上だからな。参加したかったら、がむしゃらにランクを上げろ」


キルナから突き付けられた高いハードル。

ティラは眉間に皺を寄せると、なぜか腕を組んで目を瞑り、しばし黙り込んだ。


何を考えているのだろうか? いささか不気味だった。





翌朝、宿から出ると、ティラが待っていた。

挨拶を交わすと、ゴーラドとキルナに、それぞれ包みを差し出してくる。


「これは?」


「お弁当ですよ。わたしが作ろうと思ったんですけど、母さんが準備してくれてて、よかったらどうぞってことです」


ゴーラドは包みを受け取り、笑みを零した。

ふわりと心を包み込むようなぬくもりが手のひらに伝わってくる。


「私にまで、ありがたいな」


キルナも嬉しそうだ。


宿場町の宿には冒険者用の休憩所などはないので、ふたりは宿で朝飯と夕飯を取っている。昼食はティラが作ってくれるが、弁当というのはキルナにとっても別物だろう。


ポーチに慎重に弁当を入れ、出発する。


キルナによれば、今日にはガラシア国に入り、最初の町に着けるとのことだ。けれど、今夜の宿はもう一つ先の町を予定している。


キルナが懇意にしているという鍛冶屋がある町アラドルまでは、さらにもう三日かかるそうだ。


三人を幌魔馬車が追い越していく。乗り合い幌魔馬車で、中はほぼ満員のようだ。もっと立派な乗り合い魔馬車もあるが、幌魔馬車は運賃が比較的安いので、利用する人が多い。


だが、飼いならした魔馬や魔大鳥の中では比較的おとなしいタピタの背にまたがって移動するのが一般的だ。荷車をひかせている者もいる。


歩いて旅をするのは、体力があり危険にも対処できる冒険者くらいのものだ。

ティラの大剣は、アラドルで探すという約束になっている。


どのみち扱えない大剣を買うのは、金がもったいないと思うんだよな……




「この先、街道沿いに進むとあの山を大きく迂回することになってかなり時間を食うんだ。荷馬車や幌馬車が行き来していてうざいし、ここは街道を避けて一気に山を越えるのがいいんじゃないかと思うんだが、どうだ?」


キルナが提案してきたが、その山というのはかなりの急こう配だ。近道なんだろうが、骨が折れそうだ。


「わたしはいいですよ」


ティラがケロリとして言う。

まあ、そういうだろうと思ったけどな。となれば、いっぱしの男としては反対するという選択肢はなくなる。というわけで、了解の意味で手を上げる。


「昼飯はあの山頂で取るとしようか」


山のてっぺんを指してキルナが言い、全員賛成して山道へと進んだ。

最初はそんなに急な坂道ではなかったが、唐突に急こう配になった。こうなっても歩みを緩めぬ女二人に、意地でも疲れは見せられぬと、ゴーラドは無心で足を動かす。


ようやく山頂付近まで登ってきた。これで昼食と休憩が取れると喜んでいたのに、いらぬ客が現われた。


「な、なんだあれは?」


ゴーラドはぎょっとして声を上げた。


真っ黒な鳥……いや、鳥なのだろうか? まるで骸骨に羽が生えたような気味の悪い見た目だ。クチバシではなく竜のようなでかい口をしている。


「ガダスだな。死の闇鳥とも呼ばれている」


すでに知っているらしく、キルナが説明してくれた。


「いっぱい来ちゃいましたね」


「どうやら私たちを昼飯に選んだようだ」


焦った様子もなく、キルナが剣を抜いて構える。


「数が多いぞ」


不安を込めて言ったら、キルナは「数体殺れば、恐れをなして逃げていくさ」と事も無げに言う。


なんとも情けなくなる。

ティラちゃんもまったく怖がってはいないってのに、男の俺がビビってどうするんだ。


名誉挽回と行こうと、ゴーラドは槍を構えた。


すると恐怖心が槍に吸い込まれるかのように去っていく。

そうだ。いまの俺にはこの槍があるんだからな。


手にしっくりと馴染む槍に深い信頼の情が湧く。その感覚は初めてだった。


「ゴーラドさん、やれますよ! スキルが発動してます」


背後からティラが声をかけてきた。するとキルナがこちらに振り返ってきた。


「は?」


よくわからず、戸惑った声を上げてしまう。


「は、じゃないですよ。いけますよ、バーンとやっちゃってください!」


バーンとやる?


「ど、どうやるんだ?」


「そこで考えちゃダメですよ。あぁあ、不発に終わっちゃったか」


ティラが残念そうな声を上げたところで、キルナが近づいてきたガダスを見事な剣捌きで切り込んだ。


ガダスの残骸が音を立てて地面に落ちる。

さらにもう一体が低空で迫り、こちらもキルナがあっさりと切り捨てた。


残りのガダスたちは、空高く飛びあがり、慌てた様子で逃げていった。


辺りが静まり返る。


ティラが側にきて、なぜか頭を下げてきた。


「ゴーラドさん、ごめんなさい」


「なんで謝るんだ?」


「わたしが余計な声かけしなかったら、成功したと思います」


「そんなことは……だいたい、スキルが発動したとかって……よくわからなかったんだが」


「槍とお前の腕が一体化したように薄く緑色に輝いていたぞ。ゴーラド、お前気づかなかったのか?」


そんな現象が起きていたのか?


「いや、わからなかった。ただ……」


あの時感じたものを言葉にしようとするも、できない。


「ただ?」


ティラが尋ねてくるが、ゴーラドは首を横に振った。


「でも、発動させたんですから、あともう一歩ですよ」


「しかし残念だ。どんな技が飛び出るのか見たかったな」


キルナが無念そうに言う。ゴーラドとしては、見たいような見たくないような複雑な心境だ。


「ガダスの死骸は瘴気を放つので、燃やしておきますね」


ティラがそう言った途端、ガダルの死骸が一瞬にして発火し、パッと灰になった。


ゴーラドはポカンとしてしまう。


「なっ、ティラ、どうやったんだ?」


キルナも驚いたようで、ティラに怒鳴るように聞く。


「瘴気を放つ死骸は燃やすと簡単に灰になるんですよ。中身がなくて空っぽだからでしょうね。魔獣や魔物と違って魔核石も待たないんですよ。世の中のなんの役にも立たないって残念さんですよね」


「お前……」


キルナが何か言おうとしたが、結局首を振って口を閉じた。


さすがにこの場では昼食を取る気になれないと、三人は空腹を抱えて先に進むことにした。



すっかり腹ペコになったところで、ようやく昼飯を取ることになった。

まだ坂を下りきってはいないのだが、腰かけやすい岩があるのを見つけたティラが、何も言わずに腰かけたのだ。キルナもゴーラドも反対するはずもなく、座り込んだ。


さあ、ついにこの時がやってきた!


心を弾ませ、ゴーラドはポーチを探って今朝受け取った包みを取り出す。


「弁当だ」


知らず喜びを声に出してしまう。


包みを開き、蓋に手をかけ、今の思いをそっと噛みしめるように開ける。

ふわっとうまそうな匂いが鼻孔をくすぐる。

豪勢なおかずがぎっしりと詰め込まれていた。


「宝箱……みたいだ」


感激をそのまま声にしてしまう。


箸を持ち、まずどれを摘まもうか、めちゃくちゃ悩む。


野草で包まれている丸っこいのを選び、転がさないように摘まみ、慎重に口に入れた。


ゆっくり噛み砕くと、じゅわっと肉汁が口中に広がった。


「うまい……」


ジーンと胸が震える。


しっかりと味わい尽くして我に返ったその時、ゴーラドは気づいた。ティラとキルナがじーっと自分を見ていることに。


「な、なんだ?」


「とても良きものを見せていただきました」


ティラはそんなわけのわからないことを言い、なぜか両手を合わせて拝んでくる。


「危うく、涙が出そうになったぞ」


顔を歪めたキルナは文句のように言い、自分も弁当のおかずを口に頬張った。


「確かに旨いな。ティラの母の愛で満ちている」


「喜んでもらえてよかったです。ありがとうございます。母も喜びます」


どうやら恥ずかしいものをふたりに見せてしまったらしいと遅れて気づき、ゴーラドは顔から火を噴いたのだった。





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