第25話 イレギュラー

 クオリア遺跡。

 古の大魔法【空間転移】が眠るこの遺跡の調査には王国の威信が掛かっていると言っても良いだろう。


 選りすぐりの魔導士が集結し、遺跡の周囲はこれまた選りすぐりの兵士たちが防御を固める。

 しかし、人族の英知を結集しても尚古代の秘術の解析は困難を極めていた。


「交代の時間だ、仮眠でも取れ」


 前線に設置された見張り台、監視を務めていた兵士に交代の時間が巡ってくる。

 既に時刻は深夜になっており、真っ暗な荒野を設置された松明だけがぼんやりと照らしていた。


「しっかし……いつ迄こうやって待ってればいいんだ?」

「古代魔法の解析は簡単じゃない、黙って仕事してろ」

「でもよぉ、『どうせ言っても理解できん』とか言って進捗すら教えてくれないのはどうなんだよ。いつ終わるかも分かんねぇ調査の警備ってなぁ」

「馬鹿、この調査は王国の肝入りなんだ。余計なこと言うと首が飛ぶぞ」


 調査に着手してから既に短くない時間が経過している。

 潤沢な物資の補給によって大量の兵士達の警備は継続されていたが、その士気は下降する一方だった。

 毎日毎日何もない荒野を眺めていればそれも仕方がないだろう。

 遺跡の内部で何が行われているのかは知る由もない、彼らの任務はこの遺跡を調査終了まで警備する事なのだから。


「毎日こうやって見張りをしてても魔王軍どころか動物一匹すら見えやしねぇ」


 携帯食料の干し肉を齧りながら双眼鏡を覗き込む。

 相も変わらず真っ暗な荒野に動く影は見当たらない。


「この辺は夜になると真っ暗で怖いんだよ、さっさと終わらせて故郷に帰りたいぜ」

「……? おい、何か聞こえないか?」


 一人の見張り兵士が微妙な違和感を覚える。

 視界内に動く影は何も見えない。しかし何処からか聞こえてくる妙な音。


「何かって……なんだ、怖くて幻聴でも聞こえてんのか?」

「いや、本当に聞こえたんだ!」


 慌てたような表情で騒ぐ兵士に気圧され、もう一人の兵士も耳を澄ます。

 風の音、鳥の声、そして……その中に混じる妙な音。


 幻聴ではない。何か、馬のようなものが駆ける音。

 それも一つや二つではない。


「おい、何かヤバイぞ!」

「とにかく伝令を――」


 音のする方角を警戒していた時だった。

 視界確保のための松明の明かりが届くぎりぎりの範囲に一つの影が走り込む。


 炎の明かりに触れると、その影が剥がれるように消えてゆく。

 その姿を確認すると同時に無数の大きな影が明かりに照らされその姿を現した。

 その正体は――


「魔王軍!?」

「擬態魔法だ! 不味い、かなり接近されてる!!」

「鐘を鳴らせ!!」


 カンカンカンカン!!


 敵の接近を知らせる大音量の鐘の音が拠点に響き渡る。

 訓練された兵士たちは即座に迎撃体制への移行を試みるが、破軍隊の軍勢が雪崩れ込む方が僅かに早かった。


「魔王軍が来たぞ!!」

「なんて数だ! 遺跡に進ませるな!!」


 前線兵の準備が完了するまで、一列並んだ弓兵隊が魔物の軍勢に一斉射撃を行う。

 弓撃が破軍隊へと降り注ぎ、数名の魔物達が貫かれる。


 しかし眼前の地上部隊に気を取られた人族兵士たちは頭上に迫る脅威に気づけなかった。


「飛行部隊、撃て!!」


 命令と共に翼を持つ魔物で構成された飛行部隊が弓を引き絞る。

 絶対的な死角である頭上から雨のように矢が降り注ぐ。

 近距離戦の想定をしておらず、歩兵に比べて装甲の薄い弓兵たちはひとたまりも無い。


 バタバタと倒れていく弓兵隊の屍を踏み越えて、魔王軍は拠点の奥へと侵入していく。

 前線を支える破軍隊の大多数が拠点内に侵入を完了すれば、後方から比較的身軽な蠱惑隊が遅れて侵入する。

 脅威の排除された後方にて、蠱惑隊員達が詠唱を始める。


「魔力汚染が来るぞ!!」

「浄化隊準備! 戦闘部隊は後方を叩け!」


 魔族と人族の戦闘において、その場の魔力の制圧権は何よりも重要となる。

 魔力が穢されれば人族が、浄化されれば魔族がそれぞれ戦闘に大きな支障をきたし完全にその場の魔力を制圧されてしまえば実質的な敗北と言っても良いだろう。

 故に両者共に魔力に干渉できる人員を効率的に運用する必要がある。


 蠱惑隊の頭数が減少すればその分浄化側が有利となる。何としても前線を突破して蠱惑隊を攻撃したいが、前線の攻撃が苛烈すぎる。

 更にその中でも、特筆すべき魔王軍兵士が一人居た。


「大変です!」

「どうした!」

「魔王軍の軍勢の中に、人間が混じっています!」

「何だと!?」


 前線に溢れる魔物達の中で、嫌でも目を引く存在。

 大きな体や翼、角といった魔物特有の身体的特徴を何一つ備えていない兵士。それが逆に目立っている。

 否、見た目に特徴が無いというのは間違いであった。

 一見普通にしか見えないその青年の双碗は、明らかに人間のものではない。


「人数は!?」

「一人です! しかし……全く歯が立ちません!!」


 …………

 ………

 ……

 …


 人間の身でありながら魔王軍に属するイレギュラー……クロード、三名の兵士が彼を取り囲む。

 交戦時だというのに、レザーアーマーすら装備しないこの青年に彼らは異様な不気味さを覚えていた。


 重厚な鎧に身を包んだ兵士達が、不安を振り払うようにそれぞれ別方向から斬撃を浴びせ掛ける。

 全ての回避は不可能。本身の剣での斬撃が生身に直撃すれば最悪即死、良くても重症を負うのは間違いない。


『おおおおおっ!!』


 雄たけびと共に三つの刃がクロードに迫る。

 しかしクロードは回避どころか、焦る様子すら見せることはなかった。


 クロードが一切の防御装甲を装備しないのは、決して戦いを舐めているからではない。

 “鎧よりも信頼できる防御手段”があるからだ。


「――【喰らう者ディヴァ】」


 ガギンッ!!


 クロードの首、脇腹、大腿部に命中したはずの斬撃は鈍い金属音と共に強制的に停止させられる。

 兵士たちは反射的に剣を引こうと試みるが、クロードの体にめり込んだ刃はぴくりとも動かない。

 次の瞬間、バキンと何かがへし折れるような音と感覚。

 急激に軽くなった自身の得物を見てみれば、その音の正体に気づく。


「な……なんだコイツ!?」

「体中に……く、口が……!!」


 ボリボリと刃を咀嚼する【喰らう者ディヴァ】に怯んだのが決定的だった。


「【喰らい断つ者ディヴァ・スパード】!」


 右腕が裂け開口部から漆黒の剣のようなものが伸びる、そんな余りに現実離れした現象に慄く兵士たちの反応が一瞬遅れた。

 生死を賭ける戦場での一瞬、それは容易に命を刈り取っていく。


 ここでクロードを取り囲んだ兵士たちをそれぞれA、B、Cとしよう。

 まず横一文字に切り払ったクロードの斬撃が兵士Aの喉笛を切り裂く。

 空気が漏れるような音と共に鮮血が噴き出し、間髪入れず左腕に発動した【喰らう者ディヴァ】が残る二人の兵士を薙ぎ払った。

 絶対的な捕食者に鋼鉄の鎧など意味をなさず、兵士Bの上半身が鎧ごと口内へと消えていく。


 寸での所で怪物の捕食を回避した兵士Cは、大振りの薙ぎ払いで背中を晒すクロードに折れた剣で追撃を試みる――が


 ブオッ!


 左足を軸にした後ろ回し蹴りが放たれる。

 人間の蹴りなど鎧を纏った相手には牽制程度の効果しかないが、その先入観が兵士の命運を分けた。


 迫る右足が裂け、怪物の口へと変貌する。


「なっ……!?」


 慌てて回避を試みるが時すでに遅し。

 右足の【喰らう者ディヴァ】が兵士Cの胴体を無慈悲に噛み千切る。

 胴体という繋ぎ目を失い宙に浮いた胸部が落下し、下半身が血の海に沈む。


「弓兵ッ!」


 兵士を片付けたクロードが一息つく間もなく遠距離から弓兵が狙いを定める。

 近距離での戦闘は分が悪いと見たのだろう。


 戦場では弓、投石、魔法、といった遠距離攻撃が忙しなく降り注ぐものである。

 猪のように前進するだけではいずれ呆気なく命を落としかねない事は当然クロードも理解していた。


 ではどのように遠方の敵に対処するのか。

 簡単だ、“向こうよりも強力な遠距離攻撃を備えればいい”。


 飛来する矢に向かって真っすぐクロードは左腕の【喰らう者ディヴァ】を構える。

 祭礼剣を喰らって【喰らい断つ者ディヴァ・スパード】が発現したように、この貪食なる意志の力はあらゆる物をその身の糧として吸収するものである。

 魔族領地の関所で存分に撃ち込まれ、捕食した“矢”のイメージ――


「【喰らい穿つ者ディヴァ・マティス】!」


 弓兵は怪物の喉奥から一本の黒い杭のようなものが迫り出す様を見た。

 そしてそれが彼の最期に見た景色。

 腹部に感じた一瞬の衝撃、直後に彼の意識は暗転する。


 クロードの放った一撃、それは“矢”というよりも“牙”とでも言うべき形状をしていた。

 歪な形をした鋭利な牙、放たれたそれは飛来する矢を簡単に撃ち落とし弓兵の腹部を貫通したのだ。


「こんな雑兵だけなわけねぇだろ……さっさと出てこい『加護持ちギフテッド』!!」

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