闇がやってくる

妻高 あきひと

闇がやってくる

 オレは高校三年生。

今日は国語の担任の先生が学校を去る日だ。

別れの挨拶があった。

静かな先生だったが、みんなに人気がありオレも好きな先生だった。


「母が病にかかって介護が必要になり、しばらく教壇を離れることになった。

人生一寸先は闇という言葉を痛感したが、何とか光りが見えてきた。

キミたちも辛いことがあってもくじけず、希望をもって生きていってほしい。

頑張れば必ずよき結果を生む」

人生一寸先は闇か、よくは分からんけど。


 家に帰る途中にコンビニがある。

普段は通り過ぎるのだが、なぜか今日はコンビニに入った。

でも何も買うものはない。

店を出ようとしたとき、誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。


なぜかレジのカウンターに下げてあるポスターに目がとまった。

絵は不得意なオレだが、そのオレが見ても下手な絵が描いてある。

昔っぽくて古くさい絵だが、それをまたコピーしたようだ。


ポスターの上には「『お化け屋敷』、中高生200円、午後5時から10時まで」

と書いてある。

その下には、黒い帽子をかぶり、丸眼鏡をかけ、パイプをくわえ、ヒゲをはやした男の顔が描いてある。


ひと目で背筋が寒くなった気がした。

その絵のヒゲ男が笑いながらオレを見ているのだ。

オレはポスターを斜めから見ているが、ヒゲ男の目玉も斜めになってオレを見ている。


すると缶コーヒーを持ったお客がカウンターの前に立ち、ポスターが隠れた。

ポスターの左下が少しだけ見えている。

オレはギョッとした。

そのポスターの左下からヒゲ男が逆さになってオレを笑いながら見ている。


試しにオレは身体を少し動かした。

するとヒゲ男の目玉も動いてオレを追った。

店のオバサンが「ありがとうごいます」と言うと客がカウンターから離れてポスターが見えた。

ヒゲ男は、真ん中に戻っていた。

そして相変わらずオレを見て笑っている。


「オマエ今ポスターの端っこに逆さになってオレを見てたよな」

つい話しかけてしまった。

レジのオバサンがオレを変な顔で見た。

「どうかしましたか」


「ああ、いやポスターを見てたもんで」

ヒゲ男はポスターの上に書いてあるお化け屋敷の文字を上目で見て、またオレを見た。

オレにお化け屋敷に来いと誘っているのか、まさか。

でもなんだか行かなきゃならないような気もしてきた。


お化け屋敷の場所はと見ると、このコンビニと家のちょうど真ん中あたりだ。

四階建ての普通のビルで、昔からあってかなり古い。

一階に飲食店が何軒かあって二階から上は貸事務所のようになっている。

そういえば、しばらく前から「四階フロア、テナント募集」なんて立て看板があったのを思い出した。


しかし今朝もビルの前を通ったが、お化け屋敷なんて看板もポスターも見なかった。

でもここにポスターがあるからにはやってんだろうな。

時計を見ると5時少し前だ。

入るかどうかはビルの前で決めることにした。


ズボンのポケットの中の小銭を出して見ると百円玉が6枚と10円が5枚ある。

カウンターのオバサンとまた目が合い、なんとなくホットドッグを買った。

「ありがとうございました」とオバサンの声を聞きながらポスターを見るとヒゲ男は上目でオレを見ながらまだ笑っている。


コンビニを出る前にチラッと振り返ってポスターを見た。

ヒゲ男は前を向き、もうオレを見てはいない。

怖いような不思議なような、心の病になったような気分だ。

コンビニを出ると梅雨明けの蒸し暑い風が吹いている。


 しばらく行くとあのビルの前まできた。

さっきと同じ下手なポスターが玄関の両横に二枚貼ってある。

ヒゲ男が今度は二人でオレを見ている。


近づいて間近にヒゲ男を見た。

顔をつけるようにして見ると目がまるで生きているようだ。

おまけにタバコの臭いまでする。

オレは思わずのけぞり、後ろに一歩下がった。


まさかだが、手書きのポスターのせいでそう見えるのだろう、タバコの臭いも飲食店から流れてくるのだろうと自分を無理に納得させた。

何があるのか分からないが、入ってみよう、入場料はある。


 四階でエレベーターのドアが開くと目の前がいきなりお化け屋敷の入り口だ。

四階フロアが全部お化け屋敷になっているようだ。

天井近くまである壁は真っ黒で、赤と青でお化け屋敷と書いてある。

ビルの窓は黒い布で覆われ、お化け屋敷の入り口だけ薄暗い照明がついている。


誰もいないしBGMも無く、シンとしている。

外は車が多く走っているはずだが、なぜかその音はまったく聞こえない。

入り口に受け付けがあり、古ぼけた机にはクラシックなランプが一つポツンと置いてある。

その横に黒づくめの服を着た長い白髪の婆さんが一人座っている。


婆さんはオレを見るとニコニコ笑って左手に入場券を持ちながら、右手でおいでおいでをしている。

ここまで来たら帰れない。

「こんにちわ」

と言うと

「いらっしゃい、学校の帰りだね、200円です。ああちょうどね、お釣りがいらないのは助かるのよ、面倒がなくてね」


婆さんを近くで見ると、顔にはしわがほとんど無く、白髪は腰の辺りまであるくらい長い。

手を見ると細くて白くてつやがある。

年寄りに見えるけど、そうでもなさそうだが、といって若くもなさそうだ。

なんだか年が分からない。


「うん、どうかしたの」

「ああいいえ」

と言いながらオレはあわてて中に入った。


入るとすぐにジグザグの通路になっている。

天井は高いが、壁をさわると薄いベニヤ板らしくペコペコしている。

しわがあるので爪でひっかいたらペロッと紙がはげた。

板張りに紙を貼って黒ペンキで塗ったらしいが、ものすごい安上がりな壁だ。

婆さんが紙を貼ってペンキ塗ったのか、と思った。


ところどころに少し暗い裸電球が、天井から垂れている。

LEDなんかない。

どこか古臭くて暗く、最近よく言われる昭和の時代風にしているのかな、と思った。

中をゆっくりと歩いてゆく。


何か出てくるのだろうと少し恐れながら歩くが何も出てこない。

幽霊らしきものが出そうな場所も窓も人形も無い。

おどろおどろしい音も聞こえず悲鳴も叫び声もせず、オレが歩く足音だけが聞こえる。

これはこれで、それなりに少し怖い気もする。


だいぶ歩いた。

だが何も出ないし何も起きないし何も聞こえない。

ただ薄暗い通路がジグザグに続くだけだ。

さっきからもうだいぶ歩いている。


歩いた感覚からするともう四階中を歩き回っているはずだ。

一体どうなってんだろう。

思わず大きな声で叫んだ。

「お~い!」

静かだ。

まだ通路は続いている。


おまけに電球の明かりが少しづつ暗くなってきている。

相変わらず誰かの声もしないし、お客はオレ一人だけらしい。

本当に怖くなってきた。

段々暗くなり、とうとうスニーカーがなんとか見える程度になった。


さすがに歩くのがいやになって後ろに戻ろうと思って振り向いた。

思わず「ヒッ」と声が出た。

後ろが壁になっている。

押してもびくともしない。


来た通路が消えている。

どういうことか、混乱してきた。

なぜ壁にと思うが、それを考えている余裕はない。

とにかく出口に行かなきゃならない。


どっちにせよ前に歩くほうが出口には近いはずだと思い、なおもそろりそろりと歩いていく。

横で何か動いた。

暗い中で恐る恐る目をこらし、じっと見ると壁にヤモリが張り付いている。

じっとして、こっちの様子をうかがっているように見える。


「こりゃどういうことだ、それにまだ先がある。どこへ行くんだ」

そろりそろりと歩くが、なんだか平衡感覚がおかしくなっているのが自分で分かる。

「足がふらふらする。ちょっと休もう」

座ったが、壁にすがると何か出てきそうなので背中を離して座った。


思わず時計を見た。

幸いデジタルで数字が光るのでなんとか時間が分かる。

見ると5時20分、入ったときとほぼ同じだ。

時計が止まっていると思ったが、秒は動いている。

しかし秒は動いているが、59秒から1秒に戻っても分は変わらない。


来た通路は、やはり壁に変わっていて後戻りはできない。

どこまで行くのか分からないし、後ろが壁になるとはどういうことか。

つい声が出た

「オバサン~ 誰かいませんかァ~」


返事も無いし音もせず、思わず壁をたたいた。

怖くなった。

壁は板張りでなく、まるでコンクリートのように固い。

よろっと立って足で蹴った。


ゴツッ、痛ッ。

さわると冷たい、コンクリートのようだ。

最初はペコペコしていた板張りの壁だったのに、どこでどうコンクリートに変わったんだ。

考えても分かるはずもない。


恐ろしくてここにはいられない。

先に行くしかないが、先に出口があるのかさえ分からない。

立ち上がってカバンを脇に抱えた。

わずかに足元が見えるだけましだ。


一歩一歩進む。

「どこまで行かせるんだよ、いい加減にしてくれよ」

冷たい壁に手をつきながら歩いていると何かが手の上を走った。

感覚では蜘蛛だ。

ギャッと声が出た。


恐怖がそこまで来ている。

とうとう前のほうは照明も無くなり、真っ暗闇だ。

先生が言ってたことを思い出した。

「人生一寸先は闇だ」

でも、この闇はその闇とは違うはずだ。


光りは上からぶら下がっているたった一つの電球のわずかな光りだけだ。

その電球もオレをあざ笑うように段々と暗くなってきている。

そして電球そのものが音もなくス~と消えた。

とうとう真っ暗、闇が来た。

本当の闇とはこういうことか、顔に手を近づけても見えない。


でも進まなきゃ、壁に手をあてながら、ゆっくりと歩く。

オレの落ち着かない呼吸だけがかすかに聞こえてくる。

立って歩いてはいるが、感覚がおかしい。

身体が傾き、波の上を歩いているような感覚がする。


おまけに前後左右も分からなくなってきた。

本当の闇とは、あらゆる感覚がおかしくなるのだと初めて知った。

歩いても止まっても、ふらふらする。

オレはたまらずまた大声で叫んだ。

「誰かいませんか」

なおも静かだ。


壁に身体をすりつけて歩くが、相変わらず平衡感覚が狂っている。

前後左右どころか上下の感覚までおかしくなった。

そのまま壁に寄りかかりながら、ずるずるとへたりこんでしまった。

これは夢なのか、現実なのか、気が狂いそうだ。


突然、横のほうにポッと小さな光りが灯った。

しかし前はあっても横があるはずは無い。

だが、光りは横に見える。

なら前と思っていたのは前ではなかったということか。


前と思っていたほうを足で突くと壁だ。

感覚が確かにマヒしている。


でもとにかく光りが見える。

嬉しくて涙が出そうだ。

光りのほうへ行かなきゃならないが、光りは遠そうで、何十メートルも先のように見える。

このビルでなんでそんなに遠いのか、分かるはずもない。

すると光りはオレには興味が無いように小さくなっていく。

焦った。


「待ってええ~」

と叫んだが、光りはスッと消えてまた闇がきた。

立たなきゃダメだと思ったが真っすぐに立てない。

よろよろフラフラしながらやっと立った。

自分じゃ立っているつもりだが、傾いているかもしれない。


「そうだ、壁の上に上がれば何とかなるかもな」

おそるおそる手を伸ばすとすぐ天井に当たった。

それも冷たくて硬い。

まさか、と思いながら手であたりをなでた。

「天井もコンクリートだ」


それも天井が下がってきている。

入り口の天井は2メートル以上はあったが、今は頭のすぐ上だ。

全身を恐怖が襲った。

にっちもさっちもいかなくなった。

(どうすればいい)

一瞬両親の顔を思い出した。

オレはここで死ぬんだろうか。


と思ったとき、足元からわずかに風が吹き上がってきた。

えっなんで下から風がと思ったのと、身体がすべり落ちるのが同時だった。

下へすべり落ちていく。

どんどん猛烈なスピードで落ちていく。

本当に死ぬと思った。


そこから記憶が無い。

目が覚めると、やけに明るく、前を人が歩いている。

見覚えのある店が並んでいる。

ビルの一階にある飲食店だ。


玄関そばの小さな踊り場に置いてあるベンチにオレは座っていた。

横にはカバンがある。

どうしたのか、ここで眠って夢を見ていたのか。

でも、ここに座った記憶はない。


どうしたんだろう、エレベーターで四階に上がってみた。

ドアーが開くと前には何も無い。

お化け屋敷はどこだ、がらんとして蛍光灯の灯りがやけにまぶしい。


男の人がモップで床を掃除している。

オレを見て近づいてくる。

丸い眼鏡にヒゲをはやしている。

あのポスターの男にそっくりだ。

腰が抜けそうになった。


「ここは立ち入り禁止ですよ、一階のエレベーターのところに注意書きがあったはずだけど」

「ああ、すみません」

と謝ってオレは一階に下りた。


何が何やら分からぬまま外に出るともう暗い。

時計をみると午後7時になっていた。

一体何があったのか、分からない。

ポケットの中の小銭をみると百円玉が3枚になっている。


6枚あってホットドッグに1枚使ったから5枚あるはずだが、2枚足らない。

するとあの入場料か、まさか。

なら足らない200円は何に使った。

足を少しフラフラさせながら家に向かった。


家に帰ると母が言った。

「遅かったね、制服を明日洗濯するから脱いでおいて」

オレはすぐに脱いで風呂場の洗濯物の籠に入れた。

お化け屋敷のことは夢だったのだろうと自分を納得させなきゃ気が狂いそうだ。


居間でボーとしていると母が小さな紙切れを手にしながらオレに言った。

「アンタ、これ上着のポケットに入っていたわよ。あのビルにこんなものがあったっけね。アンタ入ったの」

見るとあのお化け屋敷の入場券の半券だった。


ますます混乱してきた。

あのことを話そうかと思ったが、やめた。

何しろ肝心のお化け屋敷が無いのだから話しにはならない。


ますます眠れなくなった。

あの出来事、この入場券の半券、足らない200円、ポスターのヒゲ男、受付の年の分からない婆さん、コンクリートの壁と天井、何もかもが説明がつかない。

布団に潜り込んでも分からない。

眠れない。


 次の朝は完全に寝不足だ。

鏡を見ると目が赤い。

登校のときビルの前を通るとポスターは無かった。

コンビニに立ち寄るとあのポスターも無かった。

ひょっとしたらと予想はしていたし、聞くのもやめた。


 そういえば今日は新しい国語の先生がくる予定だ。

クラスにいくとすぐに仲のいいやつが言った。

「新しい国語の担任がタクシーを下りたとき見たぞ。丸眼鏡かけてヒゲをはやしてパイプをくわえていた。歩く昭和みたいだったぞ」


オレはギクッとした。

そしてそいつの顔を見ながら尋ねた。

「その先生、黒い帽子をかぶってなかったか」

「うんかぶってた・・・ でもなんでお前知ってんの」

オレは”先生の奥さんは髪が長く”はないかと尋ねようかと思ったが、やめた。


どんな先生なのか。

オレにもクラスにも、何かが起きそうな気がしてきた。

人生一寸先は闇だもんな。


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