猫語

吉川 卓志

アパートの一室 女の子は椅子に座っている 二日酔いの男はドアのこちら側に居る

男 はあ寝すぎた。昨日は飲み過ぎたな頭痛い。


女の子 ニャー


男 あれ? 何か聞こえた。猫の声? 


女の子 ニャー


男 え? 何? おはようございます?


女の子 ニャー


男 え? え? 今日もいい天気だなあ?

何だろう。何言っているのか解る気がする。ニャー、ニャーって、聞こえるけど、僕が聞いているのは猫の声なのだろうか?

しかし変だな。おかしいな。僕がこのアパートで暮らし始めてからこの3年、生き物を飼った経験はないし、というか、犬猫はおろか、金魚だってトカゲだって鈴虫だって飼ったことはないし、トゲトゲのサボテンですら育ててない。この部屋で生き物と言えば・・・僕一人・・・


女の子 ニャー


男 え? 寂しい男だなって?

そうだな・・・。昨日の夜だって友達と仲良く飲んで騒いでいたが、でもここに帰ってくれば僕一人だ。この部屋で僕を迎えてくれる友はいない。


女の子 ニャー


男 え? 何? 定義によるだって? 定義って何? 友達の定義?

つうと何か? 昨日ここに帰って来た時、玄関の扉を開けたらゴキブリが一匹いたけど、あれが友達って言うの。あの、僕と目が合った瞬間サササーっと、キッチンの隙間に入って言ったやつ。あのゴキブリが、僕を迎えてくれる友達って事?


女の子 ニャー


男 そうじゃないって? この部屋にいる生き物の定義の方? 生き物とは何かって?

つうか、不思議だ。さっきから僕は何で猫の言葉が分かるのだろう?


ト 男 ドアを開けて入る仕草。


男  あれ、誰かいる。というか、何か、いる。

  えっと・・・こんにちは・・・


女の子 ニャー


男 ニャーって、さっきからニャーニャーって言っているの、君?

君誰? つうか、どこから入ってきたの?

まさか・・・ そこの換気扇の隙間から入ってきた?


女の子 ニャー


男 ねえ、さっきからどうして君ニャーとしか言わないのさ? 

ああそうか、分かった。彼女は特殊な脳障害を負ったんた。

確か、脳の言語野の一部が血栓とか物理的損傷とかで機能を失うと、他は正常でもただ喋る事だけ出来なくなるんだ。

さらに稀な例で、喋れるけれど発音とかがだけがおかしくなって、まるで外国語をしゃべっているように聴こえるという症状が、

うん、そうだ、それで彼女は言葉をしゃべることが出来ないんだ。でも、言葉らしい響きはかすかに残っていて、それで僕は彼女がしゃべるニャーって発音を言葉として理解出来るんだ。

なあんだ。謎は全て解けた。


女の子 ニャー


男 え? 違う?  違うのか・・・


女の子 ニャー


男 え? 知識が、お前のその知識が理解を妨げているって?


女の子 ニャー


男 常識にとらわれるな? 心の目を開け?

どういう意味だ。君は一体・・・人間なのか、それとも猫の・・

はっ。思い出した。もしかして君は・・・

そう、それはちょうど今から1年前。粉糠雨が地面を光らせる、肌寒い夜だった。僕がこのアパートに帰って来ると、猫の声がした。ふと見ると、ゴミ置き場とブロック塀の隙間に、子猫がいた。鳴いていたのはそいつだった。

ずぶぬれになって震えていたよ。

僕はさっきコンビニで買ったパンを少しちぎってやった。猫はそれをくわえて隙間の奥へと消えていった。

元気にしているだろうかとは思っていたが、、君は、、君はその時の猫か?


女の子 ニャー


男 え、違う? って、違うのかーっ!

じゃあ君は一体・・・


ト 女の子の膝の上にある領収書を拾う。


男 何これ? 領収書? ご利用ありがとうございます デリバリー、ラヴドール・・・


ああっ。お・も・い・だ・し・た

それは昨日の夜。僕はしこたま飲んで酔っ払ってこのアパートに帰ってきた。僕は見たんだ、ゴミ捨て場の近くに立っている電柱に、見慣れない張り紙がしてあったのを。そこには、人形のレンタルサービスと書いてあったよ。女の人の代りにラブドールをウチに届けてくれるという。

僕は電話をした。正直面白半分だった。だってこんな夜中だ。ただ話し相手が欲しかったんだ。でも矛盾するようだが、電話には誰も出て欲しくなかった。

気の弱そうな若い男が出たよ。こんな夜中でも喜んで持ってきて来るという。

電話口の彼は言ったよ。「声が出るやつにしますか」

声。声って何?

「いえね、喋るんですよ、ああっ、いいっとか、オーカモーンとか」

僕は言った「じ、じゃあ喋るやつお願います。」

彼は言った「何語が宜しいですか?」

何語って? 何?

「やあ、色々有りますよ、標準語関西語、流ちょうなクイーンズイングリッシュ、猫語・・・」

僕は言った「猫語でお願いします」


女の子 ニャー


男 すると何か? 僕は今朝からずっと、この喋る家電相手に独り言を喋っていたという訳か。あー糞っ。寂しいなぁ。


女の子 ニャー


男 ・・・え? 気づくのが遅い?


女の子 ニャー


男 馬鹿なやつだ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫語 吉川 卓志 @Lolomo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ