90. 再会


「そんな……」

「王宮騎士団はほとんど壊滅したと思います。──私もこの目で確かめたわけではありませんけど……」


 七天が手を取り合って平和を築くという理想を語っていたクラリッサ。彼女の考えは立派だった。実現すればそれに越したことはなかったのだが、結局理想は理想のまま終わってしまったということだろう。


「う、うぅっ……」


 私は地面に手をついて嗚咽を漏らした。私がもう少し早く決断を下していて、ミリアムを早めに王都に送っていたら、こんなことにはならなかったはずだ。全てはうじうじ悩んでいた私のせいだと、自分を責める気持ちが強く湧き上がってくる。



「私はやっぱり役立たずで──」


 途端、私は肩を掴まれて無理やり引き起こされた。驚く間もなく頬を思い切り殴られる。

 べシッ! といういい音がして頭がもげそうになるほどの衝撃を受けた。後ろに吹き飛びそうになった私の身体を、肩を掴んでいる手が力強く引き戻す。


「自分を責めている場合か? 他にやるべきことがあるだろ? 全部終わってから泣くなり怒るなり、好きにしろ! でも今は自分が立てた作戦通りに物事を遂行しろ! いいか、これは命令だ!」


 見ると、目の前にはユリウスの顔があった。いつになく殺気をまとったような、普段からは考えられないほど険しい表情をしている。口調にも苛立ちが含まれていて私は身が縮み上がる思いがした。


「ユリウス様……私は……」

「ティナが立てた策だろ? そしてティナなら想定よりも早くアルベルツ侯爵が動いた時のことも考えていただろ?」

「それは買いかぶりすぎです……でも、いつでも敵を迎え撃つ準備はできています」



 ユリウスの喝のおかげか、私の頭は平静を取り戻していた。次にやるべきことも、ちゃんと分かる。失ってしまったものを悔やんでも仕方がない。ならば守れるものをしっかり守るしかない。


「パトリシアさん。他の貴族たちはやはりアルベルツ侯爵側についたのでしょうか?」

「反発するのは小貴族ばかりでしたね……結局皆自分の身が大事だったようで、長いものに巻かれている形です」

「ということはやはり頼れるのはゲーレと東邦ですか……」


「ヘルマー伯爵家はアルベルツ侯爵に従うことはしないんですか? 元は従属関係にあったのでしょう?」

「それは……ゲーレも東邦も他ではないヘルマー領だからということで関係を結んでくれているフシがありますから……今更裏切れないですよね?」


 私が問いかけると、ユリウスは力強く頷いた。


「もちろん。俺としても皆にこれ以上アルベルツ侯爵領への兵役で苦労をかけたくない。それに、ティナのおかげでアルベルツ侯爵以外の脅威は取り除かれつつあるからな。あと一息だ」

「──ということですので、私たちヘルマー伯爵家はこれよりアルベルツ侯爵と袂を分かって、暫定セイファート王国政府へ宣戦布告をすることにします!」


 パトリシアは私の言葉に大変満足したようで、懐から取り出したメモ帳に何かを必死に書き込み始めた。もう新聞社は焼かれて、新聞は発行できないはずなのに……。



 ☆ ☆



 それからヘルマー領は臨戦態勢に入った。

 もはやカモフラージュも必要なくなったので、街の人たちを総動員して資材を運び、城だけではなく街全体の防備を固めていく。と同時に、今までお世辞にもあまり優れていると言えなかった兵士たちの武装も整えていき、いつでも戦ができる状態に仕上がった。


 だが私は重要なことを忘れていた。


 ──それは


 敵はアルベルツ侯爵やモルダウ伯爵家だけではなく、現段階でこちらの援軍は全く到着していないという事実。つまり、今のヘルマー領の兵力だけではアルベルツ侯爵を相手するのは逆立ちしても無理だということだった。


(でもこればかりは天に祈るしか……こんな状況になっちゃったから私一人だけサヤさんの所へ行って説得するわけにもいかないし……)


 東邦へ向かったリアと、ゲーレへ向かったウーリのことも気になるが、ライムントと違って転移魔法が使えない私には確かめる術はない。



 だが、知らせを待ちながら街の周囲の柵を点検していたある日、祈りが通じたのか私は懐かしい魔力を感じた。


「──まさかそちらから来てくださるなんて」


 私は虚空に向かって呼びかけた。すると、目の前の空気がゆらりと揺らめいて、茶髪の少女が姿を現した。黒い身体に張り付くような衣服にマントという出で立ちは間違いなく私が探していたイザヨイ・サヤだった。


「へぇ、ほんとにこんな田舎領地にいたのね」

「ま、まぁ……で、サヤさんはなんでこんなところに? あの岩の城から動かないつもりだったのでは?」


 尋ねると、サヤは面倒くさそうに額に指を当てながら俯いた。


「オルティス公国よ」

「オルティス?」

「そ。あそこ、オルティス公国との国境に近かったでしょ? オルティス公国がセイファート王国へ侵攻を開始したから、逃げてきたのよ。──争いは嫌いだから」


 ──あっ


「あぁぁぁぁぁぁっ!?」

「どしたのよティナ……頭でもおかしくなった?」


「オルティス……私としたことがオルティスの存在を忘れていました! もしオルティスがアルベルツ侯爵のバックについているんだとしたら大変なことに……」


 私は途端にパニックに陥ったが、サヤはこちらが苛立つほど落ち着き払っている。


「戦争なんてよくあることじゃない?」

「今はちょっとまずいんですよ……王都でアルベルツ侯爵がクーデターを起こしていまして……それにオルティスが呼応したのだとしたら……」

「ふーん、まあ頑張りなさい。わたしは誰も訪れないノーザンアイランドの雪山の上とかに引っ込むつもりだから。──ティナと会うのはこれで最後になるかなと思ってお別れを言いにきたの」


(それはまずい……ノーザンアイランドの山奥へ引っ込まれるとほんとに探しようがなくなる……)


 そしてそれは彼女の助力が一生得られないことを意味する。なんとか引き止めたい私は、彼女の気を一番引けそうな話題を持ち出すことにした。


「本当にそれでいいんですか? クラリッサさんは、クーデターに巻き込まれて亡くなったんですよ?」

「──クラリッサが?」


 案の定、サヤは食いついてきた。

 魔法学校時代からサヤの一番の親友はクラリッサだった。魔法について詳しいクラリッサと色々議論していたサヤ、そしてクラリッサもサヤが扱う東邦の魔法に興味津々だったので、お互いウマが合ったのだろう。


 少なくとも魔法の理論には全く興味のないライムント、マテウス、シーハンの三人より、サヤはクラリッサのことを大切に思っていたことは間違いなかった。



 私はなおも畳み掛けることにする。


「それに、故郷の東邦はいいんですか? このままだとオルティスは東邦へ攻め込みますよ?」

「……」


 物静かであまり物事に動じないサヤの瞳が僅かに揺れている。──手応えはあった。


「──でもわたしは争いは嫌いだって言ったでしょう? わたしが魔法を使って守るのは自分の身だけ、他人を守れるほど自分の魔法に自信が持てないわ」

「サヤさんが自信を無くしていたら、世の中のほとんどの魔導士が絶望しなきゃいけなくなりますけど!」

「もういいのよ、わたしは静かに一人で暮らしたいわ」


 もう一押し……となると私に残されている手はこれしかなかった。



「──分かりました。料理をご馳走するので城の厨房へ寄っていってください。──それくらいいいでしょう?」


 サヤは「何がしたいのか分からないけど……」とでも言いたげな表情でゆっくりと頷いた。

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