58. お母さんの味


 私は厨房の中の『黒猫亭』の主人であるおじさんに駆け寄ると、嬉しさのあまり勢いよく抱きつこうとした。


「──ぶへっ!?」


 しかし顔を大きな手で押さえられて止められてしまう。


「悪いが後にしてくれ。今は料理中だからな」

「そっか……そうですよね」


 料理中はいつでも真剣に、それはおじさんの口癖だった。

 少しでも目を離すと焦げてしまったり、美味しさが損なわれてしまう。そういうデリケートなところが料理にはあるのだ。


「で、どうしたティナ? やっぱり黒猫亭に戻ってきてくれる気になったか?」

「いえ、そうではなくて……友達を連れてきたのでなにか振る舞ってあげようと……」


 そう言うと、おじさんはようやくリアとアメノウズメの存在に気がついたようだ。


「なるほどな……いいぞ、うちの厨房を使え。その代わり──」

「──?」

「今日は久しぶりに『黒猫亭』を手伝っていけ」

「……! はいっ!」


 私が大きく頷くと、おじさんはフライパンで温めていたものをバンッ! と勢いよく皿に乗せる。白い皿には鮮やかな黄色──私の得意料理のオムライスが乗っていた。

 おじさんは店中に聞こえるような大声で叫ぶ。


「おいみんな! 今日は久しぶりにティナの作るまかないが食えるぞ!」


 オーッ! と店内で料理を運んでいたウェイトレスや厨房の奥で料理をしていた見習いシェフ、それに顔見知りの常連客などが歓声を上げた。私は身体の中をなにか温かいものが駆け巡るのを感じた。まるで実家のような温かさだ。


「っ! 頑張ります! 私、精一杯作ります!」

「おう、じゃあまずはそこのお嬢さんたちのためにティナのとっておきを作ってやってくれ」

「はいっ!」


 厨房に入ると、おじさんの隣で調理台に向かいあう。


(とっておきというからには私の得意料理のオムライスを作るのがいいのかもしれないけど……)


 私には少し気がかりなことがあった。アメノウズメの様子──どこか故郷の東邦帝国に帰るのを躊躇うような素振りを見せていた。恐らく道中の襲撃が怖いだけなのかもしれないが、なんとか背中を押してあげたかった。

 そして、私にできるのは“料理”だけ……。


(それならやっぱり……)


 私はエプロンを身につけて厨房の中でざっと材料を見繕うと、腕まくりをして包丁を握った。



「さてと、調理開始ショータイムです!」


 まな板の上に置いたのはメインディッシュになる『サバ』という名前の魚。それを手早くさばいていく。頭を落とし、骨と内臓を取り出した。そしてその上から薬缶に沸かしておいた熱湯をかけて臭みを消していく。


 次に取りだしたのは『ショウガ』という野菜。これを一欠片、みじん切りにしていく。ショウガをフライパンに入れて酒、みりん、砂糖、味噌を入れてかき混ぜ、じっくりと煮込んでとろみを出す。



 その間に別の料理の準備。鍋にごま油を敷き、豚肉を炒める。肉に火が通ったら、ダイコン、ニンジン、芋から作った『コンニャク』という加工食品を加え水を入れる。味噌、出汁で味をつけ、アクを取りながら煮込んでいく。ネギを刻んで入れれば東邦のスープ『とん汁』の完成。


 そうこうしているうちにフライパンの中の液体がトロトロとしてきたので、臭みを消したサバを入れて煮ていく。これで完成。定番の東邦料理の『サバの味噌煮』だ。


 この二品に白米を添えれば東邦では立派な夕食になる。ちょうど日も沈んできたところなので、リアとアメノウズメの二人もお腹を空かせているだろう。

 店内をロウソクの光が優しく照らし始めた頃、厨房の目の前のカウンター席に座ってこちらをじっと眺めている二人の前に手作りの東邦料理を並べていった。


「こ、これは……?」


 アメノウズメは私が出した料理を目にして息を飲んだ。東邦出身の彼女にとってはもちろん馴染みの深い料理だろう。


「『黒猫亭』では古今東西の料理を扱っているので、出汁も色んなものが揃っているんですよ」

「そ、そうなんですね!」


「えへへ、気に入っていただけるといいんですけど……」

「──! いただきますっ!」

「いただきまーす!」


 二人は同時に手を合わせ、箸を取った。そして勢いよく料理を口に運ぶ。


「うーん、相変わらずティナの料理は美味しいね!」

「ありがとうございます! リアさんはいつも美味しそうに食べてくれるのでとても嬉しいですよ!」

「そりゃあもちろん、美味しいからね!」


 満面の笑みを浮かべるリアは天使に見える。私が幸せを噛み締めていると、隣のアメノウズメがゆっくりと箸を置いた。



「アメノウズメさん……?」


(どうしたんだろう? 口に合わなかったのかな? やっぱり、本場の東邦料理と比べたら私の作ったものなんてまだまだだったのかな……)


 アメノウズメはその場で固まったまま動かなくなってしまった。


「あの……ごめんなさい私……上手くいかなかったみたいで……本当は、その料理を食べて故郷に帰りたくなってくれたらなって思ったんですけど……余計なことして本当にごめんなさい!」

「──これ」

「はい……?」


 彼女は突然ボソッと呟いた。私が首を傾げると、彼女の目から瞬く間に大粒の涙が溢れはじめた。


「あわ、あわわ……ど、どうしたんですかアメノウズメさんっ!? そんなにまずかったですか!?」

「──お母さんっ!」

「お母さん……?」


「サバにとん汁……この味はお母さんが作ってくれたものにそっくりです……!」

「ええっ!?」


(つまり──美味しいってこと!?)


「お母さん......会いたいよお母さん......っ!」


 どうやらアメノウズメは感動して泣いていたようだ。私としてもそこまで喜ばれると少し反応に困ってしまう。


「ティナさん、ほんとにすごいです! お母さんって呼んでもいいですか?」

「えっと……それはちょっと……」


「良かったな! 本場の人に認めてもらえて」

「うぅ……」


 リアとアメノウズメから褒められ、おじさんからも労われて、私は照れてどうにかなりそうだった。ヘルマー領でもそうだったが、褒められるのはどうも慣れてない。今までは散々バカにされて生きてきたからかもしれない。褒められるとこう……身体の色んなところがくすぐったくなってくるのだ。


 私は逃げるように厨房に戻り、別の客からの注文を受けて料理を作り始めた。


 その後も以前の勤めていた時のように黙々と仕事を続け、気づいたら深夜の閉店時間になっていた。



 最後の客を送り出すと、私はふぅぅと息を吐いてエプロンを脱いだ。店内で待っていてくれたリアとアメノウズメの二人は、椅子に座ったまま寄り添うようにして眠っている。二人には付き合わせてしまって悪いなと思いつつ、まずはおじさんに頭を下げました。


「ありがとうございました!」

「相変わらずティナがいると助かるな。──戻ってくる気は、ないんだよな?」

「……ごめんなさい」

「いや、謝ることじゃねぇよ。ティナがこうやってたまに友達連れてくるだけでも俺としちゃあ凄く嬉しいんだからよ」

「……」


 少しうるっときてしまった私の手に、おじさんは数枚の硬貨を握らせた。


「ふぇっ!?」

「駄賃だ。受け取っておけ」

「い、いえ! 受け取れません! だって……」


 だって、私はもう黒猫亭で働いているわけではないのだから。むしろ、勝手に厨房や食材を借りて、私の方がお金を払わないといけないくらいなのに。


「馬鹿野郎。お前みたいなやつをタダ働きさせられるかよ。俺に恥をかかせる気か?」

「いえ、そういうわけじゃ……」


 結局、おじさんの勢いに釣られて私は硬貨を受け取ってしまった。


「──またいつでも顔見せてくれよ? 色んな土地を冒険して、もっとたくさんの料理を覚えてきてくれ、『黒猫亭』はいつでも新メニューを模索しているからな!」

「は、はいっ!」


 私はリアとアメノウズメを揺すり起こすと、おじさんの声に送られながら『黒猫亭』を後にしたのだった。

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