21. 魔導士のプライド

(私、負けたんだ……)


 急にそんな実感が湧いてきた。やっぱり食材の質の差を私の腕では埋められなかった。これは料理人失格だ。──いや、私がステーキソースを作ってしまったから……。あれでミリアムの料理を美味しくしてしまったから……。それが勝負の決め手になってしまったのだろう。

 この勝負はあくまで料理の美味しさで競われていて、私のお節介は図らずも敵に塩を送る形になってしまったのだった。


(……でも)


 でも私は料理人。料理があったらどうせなら少しでも美味しく食べてもらいたいと思ってしまうのがさがだった。


「はぁ……仕方ないか……」


 私はゆっくりと厨房を後にした。ミリアムは私が負けたらヘルマー領から出ていけと言っていた。私は約束は守る……だから……。


(短い間だったけど、ヘルマー領で過ごした時間はなかなか楽しかったな……ほんとは領地を盛り上げたかったけれど……私はもうクビってことだよね……)


 ユリウスやウーリの顔が脳裏に浮かんだが、一度決めたことは曲げるつもりはなかった。

 城を出て、荷物をまとめようと住処に戻ろうとした時、背後から誰かが走って追いかけてくる音が聞こえた。

 タッタッタッタッと規則的な足音は、私のすぐ後ろでで止まった。



「ティナさん!」


 なんと、追いかけてきてくれたのはユリウスではなくミリアムだった。私が振り向くと、白い踊り子風装束を身につけたミリアムは「はぁっ……はぁっ……」と自らの膝に手をついて呼吸を整える。


(そんなに必死な思いをして走ってきてくれて……何の用だろう?)


 ミリアムにとって私は敵のはず。少なくとも好かれてはいないと思う。私を追い出したがっていたのも他でもないミリアムなのだ。だから私がヘルマー領を出ていくのを止める理由はない──むしろいい厄介払いだと思うのだが。……それか、立ち去る私を笑いに来たのだろうか? いや、どうもそのような雰囲気ではない。


 私はミリアムの意図が理解できなかった。


「なんですか? 約束どおり、私はヘルマー領から去ります」

「ティナさんの料理、ユリウス様に分けてもらってわたくしも食べましたわ!」

「……!」


 ミリアムは必死に訴えかけるように言葉を紡ぐ。


「……それで? 自分の料理の方が美味いと……?」

「いいえ! わたくしでは逆立ちしても敵わないと思いましたわ! しかも、わたくしが勝負で勝ったのだって、ティナさんがステーキソースを作ったからだと……そう思いますの!」

「……? 何が言いたいんですか?」

「あーもう! つまり……」


 ズビシッ! と私の胸に指を突きつけたミリアム。私は反射的に身を引いてそれをかわした。


「ティナさん!」

「だからなんですか?」


「──勝負ですわ!」

「勝負はもう終わりました。私の負けです」

「いいえ」


 ミリアムはブンブンと勢いよく首を振って否定する。彼女が後ろで縛った水色の髪がさらさらと可憐に揺れた。


「今度は本当の意味での勝負ですわ! 七天『変幻自在Unchangeable』のティナ・フィルチュ。わたくしと決闘しなさい!」

「……どうしてですか?」

「七天を倒したとなれば自慢できますので!」

「なんですかそれ……」

「もしティナさんがわたくしに勝ったら、追放処分は取り消しますわよ?」


(なるほど、要するにミリアムは私にチャンスを与えてるんだ……私の料理が美味しかったから……)


 ヘルマー領に残るチャンスがある。この状況は、私が見失いかけていた冒険者魂に火をつけた。地を這い、泥を啜ってでもチャンスにはしがみつくもの。これは結果がどうであれ逃す手はない。


「……いいでしょう。受けて立ちます」


 私の言葉に「そうでなくては」とばかりに頷いたミリアムは、「では、こっちですわ」と私を城から少し離れた所にある広場へ案内した。周りに何もなく、手加減なしで魔法を使ったとしても被害が出ることはないだろう。まさに決闘に最適な場所だと言える。


「ここら辺でいいでしょう。──手加減は無用、本気で来ていいですわよ? わたくしも本気でお相手しますわ」

「私は戦闘は苦手なのですが、冒険者として決闘の申し出は受けざるを得ませんので」

「ふっ、都合よく冒険者と料理人を使い分けますのね、ティナさんは」

「都合のいい人間ですので」



 私とミリアムは5メーテルほどの距離を開けて向かい合った。ミリアムはどこからか取り出した自分の背丈ほどの長さの杖を右手だ構える。私はそれに応じるように背中の麻袋からフライパンを取り出して身体の前で構えた。

 傾き始めた日が私たちの長く引き伸ばされた影を地面に映し出している。


「それでは──始めですわ!」


 またしても不意打ち気味に決闘開始を告げるミリアム。と同時に彼女が振った杖の先から幾本もの氷の矢が飛び出し、一直線にこちらに向かってきた。『氷弾アイスミサイル』という初歩的な氷魔法。もちろん私は使うことができない。かといってこの距離では魔力に直接干渉してコントロールすることはできないので、物理的に対処するしかない。


「──『硬化vulcanite』!」


 私はフライパンに硬化魔法をかけて、飛来する氷を弾き返した。ガンガンガンと手首に凄まじい衝撃が走るが、必死に耐える。副作用のめまいを堪えながら前方に視線を向けると、そこにはすぐ近くまで走り寄ってきたミリアムの姿があった。私の胸元に伸ばされた左手にキラキラとした氷の魔力が集まる。何かをしようとしているのは間違いないが、これは近くに魔力の流れが検知できたので、その魔力を変換してやることにする。


(氷から……雷!)


 バチンッ! と目の前で閃光が弾けた。ミリアムは衝撃で後ろに大きく弾き飛ばされる。雷魔法を軽く当てたので、身体が痺れて暫くはあまり動けないだろう。私が倒れたミリアムに近づくと、彼女は両手を頭の上に当てる魔導士特有の降参ポーズをしていた。


「降参、ですわ!」


 しかし、私はその様子に違和感を覚えた。


「本気で相手すると言ったのに、どうして本気を出さないのですか? 魔法を使わなければ、魔力の変換しかできない私なんか簡単に倒せますよね? ミリアムさんはそのくらい頭の回る魔導士だと思いますけど」

「……確かに、あなたを倒す手段はいくらでもありますわ。でもそれはティナさんも同じのはず。料理対決で、ステーキソースを作っていなければ負けることはなかった。そう思いませんか?」


 ミリアムはゆっくりと体を起こしながら続けた。


「わたくしも魔法を使わずに戦えば、体格で劣るティナさんに勝つことはできたでしょう。でも、魔導士としてのプライドがそれを許さなかった。魔法で戦うことにこだわったのです。ティナさんもそれと同じでは? 料理人としてのプライドが、あの場面でステーキソースを作らせた……」



 私は驚愕した。ミリアムの言っていることは、そのまま私の思ってたとおりのことだったのだ。そしてその後に続いた言葉に、私はさらに驚くことになった。



「ティナさん、ごめんなさい。私、ティナさんのことがよく分かってなくて、酷いことをたくさん言ってしまいました。でも、ティナさんがこんなに誇り高い人だと知って、とても嬉しいですわ! ぜひその力、ヘルマー領で存分に役立ててくださいまし!」

「えっ……」



「そして、もしよろしければわたくしのことは『先輩』と呼んでくださっても構いませんわよ?」

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