20. トンカツしか勝たん

 横目でチラッとミリアムの手元を確認する。彼女はぎこちない手つきで肉を切っていた。大人の手のひら大くらいの大きさ──あれは十中八九ステーキを作るつもりだろう。焼いて味付けするだけのステーキは、初心者でも簡単に作れる。野菜は付け合わせのつもりだろうか。


(──だったら!)


 ボウルを用意した私は、酒、みりん、酢、砂糖、ソイソースを手早く入れて混ぜ合わせる。最後に、牛肉チャーハンの残りのニンニクをすりおろして加え、味見をしてみた。牛肉チャーハンに入っていたヘルマー牛の味を想像しながら……。


(うん、いい感じ!)



 ひとまずそれは置いておいて、メインディッシュを作っていく。イノブタの肩肉を、ステーキと同じくらいの大きさに切っていく。そして、取り出したのはホラーツから仕入れた調味料。イノブタの独特の臭みを消すための秘密兵器だった。


 瓶に入ったそれを匙ですくってみる。黄色っぽい少し粘り気のある調味料。カラシナやシロガラシの種子やその粉末に、水や酢、糖類や小麦粉などを加えて練り上げたそれは、カラシの風味と酢の酸味が持ち味である。

 この国では『マスタード』と呼ばれていて、希少な嗜好品だった。商業ギルドのマスターであるホラーツが領地中を探して見つけ出してきてくれた最高の一品。さすがにミリアムも、食材は買い占めても調味料までは買い占めなかったらしい。それが救いだった。


 それを肩肉にまんべんなく塗り込んでいく。そしてさらに小麦粉をまぶし、苦労して野鳥を探して手に入れた生卵にくぐらせ、パンの粉をつけていく。手早くやったつもりだったが、五人分の下処理が終わった頃には、ミリアムのステーキはすでに焼きあがっていた。


「料理人のくせに、調理がおっそいですわね!」

「早ければいいってものでもありません!」


 憎まれ口を叩いてきたミリアムに言い返すと、鍋に油を入れて温める。油の中から泡が出てきていい感じの温度になったところで、下処理をした肉を入れていく。


 ──グツグツグツ


 と高温の油がいい音を立て始めた。


「ほう、肉を焼いたり煮たりするのではなく、油で揚げているのか!?」

「あんなもの、ほんとに美味いのだろうか?」

「わしゃ初めて見るぞ」

「いやはや、びっくりしました」


 四人のおじいちゃんたちが感嘆の声を上げているうちに、山菜も肉と同じように下処理をして揚げていった。


 たちまち、審査員の五人の前にはミリアムの作った『ヘルマー牛のステーキ』と野菜の付け合わせ、そして私が作ったイノブタの肩肉揚げ──通称『トンカツ』と山菜の『天ぷら』が並んだ。


「なんですのこの見たこともない料理は。──なるほど、いい匂いがしますわね」


 怪訝そうな顔でトンカツの匂いを嗅いだミリアムは顔を引きつらせる。私が予想外に美味しそうな料理を作ったので余裕がなくなってきているようだ。


「ですが! ですが重要なのは味ですわ! わたくしの肉はここら辺では一番美味しいヘルマー牛。味も香りも柔らかさも肉汁も全てがトップクラスの牛ですのよ? ──それをイノブタごときで……同じ肉料理で挑んでくるのは悪手でしたわね!」

「いい素材でいい料理が作れるのは当たり前です。私たち料理人の仕事は、どんな食材でも、そのいい所を最大限に引き立てられた料理を作ること。──イノブタのトンカツはヘルマー牛のステーキにも負けないくらいの逸品に仕上げたつもりです!」



「それを確かめるのが俺たちの役目だ。──いただこう」


 言い争う私とミリアムに業を煮やしたのか、ユリウスは早々とナイフとフォークを握り、料理に向かった。おじいちゃんたち四人も同じく料理に手をつけようとする。


「ではまずはティナの、えっと……トンカツ? からで」

「あ、食べる時はソイソースか私特製のタレをつけて召し上がってください」


 私はユリウスの目の前に茶色っぽいドロッとした液体が入った瓶を置いた。


「なんだこれは?」

「ウスターソース、トマトから作ったケチャップ、ソイソース、卵から作ったマヨネーズ、酒、砂糖、すりごま、マスタードを混ぜた『黒猫亭』特製ソース、名付けて『トンカツソース』です!」

「おお、何か知らんが美味そうだな」


 ユリウスは「せっかくだから」とトンカツにトンカツソースをかけた。そして肉にナイフを入れる。サクッといい音を立てて肉は簡単に切れた。


「イノブタの肉がこんなに柔らかい……嘘だろ」


 驚愕を顔に張りつけたまま、ユリウスは肉を口に運んだ。そしてサクサクと音を立てて咀嚼する。彼の口の中にはイノブタの肉汁が溢れ、トンカツソースと合わさって旨みが広がっているだろう。ユリウスは幸せそうに目を閉じながらその味を堪能していた。


「イノブタの臭みが綺麗に無くなっている! 魔法みたいだ!」

「信じられん! イノブタがこんなに美味くなるなんて!」

「わしゃ毎日これでも構わんぞ!」

「害獣がこんなに美味しく食べれるなんて……目からウロコです」


 おじいちゃんたちの反応も上々。私はお腹の前で手を握って喜びを噛み締めた。


(やっぱり、自分の料理を美味しく食べてもらえるのが一番嬉しい!)


 幸せそうなユリウスやおじいちゃんたちの姿を見ていると、もうこれで私が負けたとしても悔いはないとすら思えた。

 しかし、その様子が面白くなかったのがミリアムだった。


「はっ、しかし、しかし所詮はイノブタですわ! ヘルマー牛に敵うはずがありません!」

「そうだよな。実は俺もヘルマー牛を一番に楽しみにしていた」

「ほんとですの!? 嬉しいですわぁ!」

「では、いただこう」


 ユリウスは歓喜して飛び跳ねるミリアムには目もくれずにヘルマー牛に手をのばす。


「これは……やはり塩とかソイソースで食べるのか?」

「そうですわ! それが一番素材の味を楽しめますので」

「ふむ、そうか」


 ナイフで肉を切り分けて口に運んだユリウス。これもまた幸せそうに目を閉じ、モグモグと味わうように噛み締める。


「美味い! やはりヘルマー牛は美味いな! 蕩けるようだ」

「ですわよね! これは勝負ありましたわね!」


 が、ユリウスの次の一言でミリアムの笑顔は凍りついた。


「しかし、これはいつも食べてるからな……」

「なっ……そうでしたわね」

「たまには変わった味のものが食べたい」


(やっぱりね、ユリウス様ならそう言うと思ってたんだよ!)


 ユリウスの発言に私は内心ほくそ笑んだ。


「それならこれをどうぞ」


 私がユリウスに差し出したのは、最初に作っておいたボウルの中の調味料だ。


「ティナ。これはなんだ?」

「特製の『ステーキソース』です。ヘルマー牛に合うように私が作りました」

「まさか……最初に作っていたのはこれでしたのね!?」


 ユリウスに加えてミリアムまでもが分かりやすく驚いてくれた。ミリアムは性格はちょっと悪いが素直なリアクションがなかなか良い。私の脳内でミリアムに対する評価が上がったところで、ユリウスは匙を使ってボウルの中のステーキソースを、ナイフで切った肉にかけた。そして恐る恐る口に運ぶ。


 味を堪能するように肉を噛み締めること数回。彼の表情はみるみるイキイキとしてきた。


「美味い! なんだこれは! ただでさえ美味いヘルマー牛がさらに美味くなったぞ!」


 その声に、四人のギルドマスターたちも先を争って肉にステーキソースをかけて食べ始める。そして、口々に感嘆の声を上げた。



「で、では……皆さん投票の方を……」


 ミリアムが口にすると、ユリウスはギルドマスターたちの表情を見渡す。今までバラバラだったはずの五人の意見は見事に一致したようだった。ユリウスは満足気に頷くと、高らかに宣言する。


「この料理対決。勝者は──ミリアム・ブリュネの『ヘルマー牛のステーキ』!」


 厨房に鳴り響く割れんばかりの拍手。そして、当のミリアムは「信じられない」というような表情をしていた。が、やがて状況が飲み込めたのか、目の前で両拳を握って喜びをあらわにする。


「やっ……りましたわぁぁぁ! わたくし、勝ったんですのね!?」


 弾けんばかりの笑顔で喜ぶミリアムの姿を、私は薄暗い厨房の片隅で静かに見守っていた。

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