2. 最弱冒険者のモーニングルーティーン
☆ ☆
──翌日、私は慌ただしい物音で目が覚めた。スラム街は喧騒が絶えないものだけれど、どうやら私の住処の目の前で誰か男女が言い争っているらしい。
「──ですから、もう決まったことなんです! これはヘルマー伯とティナさんの契約なので、あなたが口を挟める問題ではありませんよ!」
「けどよ! いきなりティナを連れていかれたらこちらとしてはたまったもんじゃねぇ! 冒険者ギルドは俺たち飲食業を馬鹿にしてるのか!? どうして皆寄ってたかってティナを連れていこうとするんだ!」
(なんだ……二人とも知り合いじゃん)
言い争いをしているのは昨日の冒険者ギルドのお姉さんと、私の今の雇い主である『黒猫亭』の主人だ。どこからか噂を聞きつけた『黒猫亭』の主人が私を引き留めようと住処を訪れて、そこに私を迎えに来た冒険者ギルドのお姉さんと鉢合わせをしてしまったようだ。
確かに、ヘルマー伯とやらに雇われるのが決まってから『黒猫亭』に辞める報告はしていないけれど、昨日話を聞いてからの今日だ。そう、今日話そうと思っていたのだ。
「近年のグルメブームで飲食業は競争が激しいのは理解しているつもりです。ですが、この件は他でもないティナさん自身の希望でもあるんですよ!」
「……」
冒険者ギルドのお姉さんの言葉に、『黒猫亭』の主人は黙り込んでしまったようだ。
(これはこじれる前に私が出ていかないとな)
私はパパッと荷物をまとめると、住処から顔を出した。すると、案の定そこには柔和なお姉さんと、大柄でハゲ頭でエプロン姿のおじさんが顔を突き合わせており、一触即発の気配に釣られた
おじさん──『黒猫亭』の主人は私の姿を確認すると、顔をほころばせてズカズカとこちらに歩み寄ってきて、私の背中をバシバシ叩きながらこう口にした。
「なあティナ。ティナはうちで楽しそうに働いてくれてたよな? お客さんにも人気で……もちろんこれからもうちで働いてくれるよな?」
(……気まずい。でもちゃんと伝えないと)
「ごめんなさいおじさん。でも私、本当はずっと冒険者になりたかったんです……!」
「そんな……でもそれがティナの意思なら……尊重するしかない、か……」
一転して憮然とした様子になってしまったおじさんに、私はいくばくかの罪悪感をおぼえた。
『黒猫亭』で料理人として働くことは楽しかったけれど、私には夢がある。せっかくその夢を掴む機会が巡ってきたのだから、それを逃す手はない。私の気持ちは固かった。
「お姉さん。お姉さんが来たということは、私はどこかに連れていかれるのでしょうか?」
私は気まずい思いを振り払うように、冒険者ギルドのお姉さんに話を振ってみた。
「あ、えーっと……実はヘルマー伯は多忙のようで、ご一行は早々に領地に戻られてしまいました。なのでティナさんには直接ヘルマー領に行ってもらうことに──」
「ヘルマー領といったら、セイファート王国でも西の果てに位置する領地じゃねぇか。まあティナはまだ若いんだから、今のうちに経験を積んでおくのもいいとは思うが──軽い冒険だぞ?」
「えっ!? ヘルマー領ってそんなに遠いんですか!?」
おじさんが綺麗に髭の切りそろえられた顎を撫でながら呟いた言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「そうですよ? 果ても果て、隣国ゲーレ共和国に接するド田舎です」
「ド田舎……」
(伯爵家って言ってたから、てっきり王都とはいかないまでもそれなりに発展した領地で優雅に過ごせると思っていたのに……)
自分でも、次第に顔が引きつっていくのが分かる。私はよく調べもせずに貴族に雇われるというお得さに釣られてほいほいと承諾してしまったことを少しだけ後悔した。
(で、でも、冒険者になったことには変わりないんだし!)
そう自分に言い聞かせてなんとか平静を保つ。そもそも一度了承してしまったからには今から断ることはできない。腹を括るしかないだろう。
「嫌なら断ってもいいんだぜ?」
「いえ、行きますよもちろん! 冒険者が冒険を怖がってどうするんですか!」
まだ私に未練があるらしいおじさんがこの期に及んで引き止めようとするが、私は首を横に振った。すると、冒険者ギルドのお姉さんはニコッと微笑む。
「ティナさんならそう答えてくださると思ってました!」
「いえ、だって──夢ですから」
「夢か……そうだよな。俺も料理人になるのが小さい頃からの夢だった。──ティナの夢が冒険者っていうなら、もう俺には何も言えねぇ。引き留める資格はねぇよ」
「おじさん……」
黒猫亭のおじさんは、どうやら理解してくれたようだ。なんとなく胸が痛くて、顔を逸らしかけた私に、おじさんはさらに続けて語りかけてくる。
「けどよ。ひとつ忘れないで欲しいことがある」
「……なんですか?」
「ティナの料理人としての腕前は本物だ。その若さで料理のセンスはずば抜けている。頭も舌もバカじゃねぇ、天才だ。──お前は間違いなく、『一番料理の上手い冒険者』だろうよ」
「あ、ありがとうございますっ!」
あまり人のことは褒めてくれないおじさんだったけれど、私は初めてこの人に一人前だと認められたような気がした。口下手のおじさんにとっては最大限の賛辞なのだろう。傷んだ胸に温かいものが満ちてくるような感覚に襲われて、私は思わず涙ぐんだ。
すると、おじさんは「わかっている」と言わんばかりに何度も頷き、私の背中をまたバシバシと叩く。多分こちらは照れ隠しのつもりなのだろう。
引き留めるのを諦めたおじさんは「また気が向いたら『黒猫亭』に遊びに来いよー!」と言い残して去っていった。喧嘩の見物に来ていた野次馬たちもつまらなそうに消えていき、その場には私と冒険者ギルドのお姉さんだけが残された。
「お姉さん、私これからヘルマー領に行ってきます」
「あっ、ちょっと待ってください! そんな服で雇い主のもとにいくつもりですか?」
「えっ?」
私は慌てて自分の身なりを確認してみる。
薄汚れたボロ布のような服、くせっ毛の髪は寝起きでボサボサ、おまけに18歳にしては幼い容姿から孤児に見られることも多い。そればかりか、男の子だと思われることもしばしばあった。このスラム街においては男の子だと思われていた方が何かと都合がいいのだけど。
「……ダメですかね?」
「ダメです! 身だしなみはしっかりとしないと……服を用意しますので私と一旦冒険者ギルドまでいらしてください」
「あ、でも服を買うお金なくて……」
「そんなのいりませんから! みすぼらしい身なりの冒険者を貴族に寄越したとなると私たちの面目も立ちません! ほら、ついてきてください?」
こうして私はヘルマー領へと旅立つ前に冒険者ギルドのお姉さんに拉致されることになってしまったのだった。
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