第33話 一日目の終わり

 結論から言うと――、残りの駅にも盛り塩はあった。しかも、全て元通りになっていて……。六花の言うことが確かならば、盛り塩が現実に存在するようになったとしても、蹴散らしたものになっているはずだった。であるならば、誰かが盛り塩を元に戻した、ということになる。

 誰がそれをやったんだ?

 単純な疑問ではあるけれど、それを解決することは難しい。何せこの都市伝説に箔をつけるにはうってつけのやり方だからだ……。もし誰かが盛り塩を元に戻したのならば、その目的は間違いなく都市伝説を真実のものに近付けるためだろう。


「塩には、お清めの効果があります。……お葬式とかに行ったら、必ず塩の入った袋を貰うでしょう? そして、帰って来たら必ず塩を撒くはずです。それは、身体を清めるためであるということですね」


 今ではあまり信じていないのだろうが……、しかし葬儀場では慣例として塩を配っているらしい。感染症対策として消毒液を使うのと同じで、葬式を終えたら必ず塩を撒く。それはこの国の昔ながらのルールみたいなものでもあって、それを破るのは何だか罰当たりな気分になるのだ。


「でも、塩にそういう効果があるとして……、今の若者は信じているんだろうか? ぼくだって、昔からやっているからで通していて、そこまで信憑性はないと思っているぞ」

「プラシーボ効果、って奴ですかね……」


 プラシーボ効果。つまり思い込みによって、実際はそんな効果なんてないだろうにその効果が表れてしまう……、そんな効果だったと思う。そんな馬鹿みたいなことがあるのか、なんて思ったりもするのだけれど、案外人間の身体というのは単純な思考だったりする。確か全く効果のないタブレットがまあまあ売れているなんて話をインターネットの記事で見たことがある。何で飲んだところで効果のないそのタブレットが売れているのかといえば、認知症などで正常に判断が出来なくなった御老人のためだという。薬を飲めば治る、という価値観の上に成り立っているから、薬をいつでも飲みたがる。だけれど、薬には良い効果もあれば悪い効果――副作用もある訳だ。そして副作用は効き目の強い薬であればある程強くなる。だから、そんな薬を飲ませられない訳だ……。でも、飲まないと落ち着かない困った高齢者のために用意されたのがこの偽薬だったりするのだ。飲めば良くなると思い込んでいるなら、思う存分飲ませてやれば良い。ただし実際には何の効果もないタブレットを、だ。


「そうそう。そのプラシーボ効果っていうのは馬鹿に出来ないですよね……。だからこの盛り塩だってフィーチャーされている訳ですし」

「盛り塩なんて滅多に見ないからな……。非日常が日常の中に融和しているのが、何かと不気味ではあるのだろう。だったら、注目を浴びる理由も分かる気がする」


 ぼく達は探索を終えて、一度六花の事務所に戻ってきていた。時刻はもう夕方だった……。急いで帰らねば、夕飯になってしまって怒られてしまう。ぼくは妹程優秀ではない――ただの凡人なのだから。


「そう自分を卑下するの良くないと思いますけれどね。……『あやかし』を見られて安全を確保出来るのなんて珍しいんですよ。世の中には見たら死んでしまう絵画だってありますから」


 ……そんな絵画があったなら、美術館とかに飾ることが出来ないような気がするけれど、まあ注目を集めるには充分なのかもしれないな。聞いたことはあるけれど、結構不気味な絵画らしくて、それを見たら死んでしまうというのも何となく分かるような気がする。暗い日曜日を聞いたら自殺する、みたいな都市伝説と同じようにな。でもあれは実際に自殺者が出たから、ただの都市伝説と判断するのも難しいのかも?


「いずれにせよ、都市伝説を現実のものにしようとしているのならば……、たちが悪いですね。どうにかして、それを退治しなければなりません。ひいてはそれを行うことで、『あやかし』の退治にも繋がる訳ですから」


 六花はそう言うと、ココアを一口啜った。こういう事務所ではコーヒーか紅茶が出るのが定番みたいなところがある。小説や刑事ドラマの受け売りかもしれないけれど、そういう考えの人だって多いはずだ。ぼくだってそう思っている訳だし。

 しかしながら六花が入れてきたのは、粉末のココアだった……。六花に訊ねてみると、自分はコーヒーが嫌いだからココアにしているらしい。いや、本人が嫌いだからというかもしれないけれど、ここで甘い物を出すのはどうかと……。ってか、ゆるふわロールケーキを食べている時もココアだったっけ? あれはコーヒーだったような気がするけれど。


「甘い物を食べている時はコーヒーでも良いのですけれど……、やっぱり普通に飲むときはココアが良いんですよ。ココアってポリフェノールが一杯入っているから良いんですよ。健康にも良いんですから」


 ポリフェノールって黒豆とかにも一杯入っているんじゃなかったっけ? 確かにココアにも一杯入っているのだろうけれど、だからといってココアを飲むという理由にはならないような気がする……。そこには趣味嗜好が照らし合わされるだけであって、そこに何かメリットが生まれるとは考えづらい。


「頭が硬いですねえ、別に良いじゃないですか。ねえ、雪斬もそう思うでしょう?」

『……「ここあ」なるものは、良く分からないが……。こういうときは抹茶ではないのか?』


 駄目だ、この日本刀。ルールがいつまで経っても江戸時代から更新されていない。そりゃあ鎖国をしていた江戸時代ならココアなんて飲めていないのかもしれないけれど、今はグローバルな時代だ。感染症が世界的に流行しちゃったから、往来は憚られる時代ではあるけれど、それでも人と物の流通は止められない。結果的に、いつまで経っても外国の飲み物や食べ物といった文化は日本にやって来るし、逆に日本から文化を持っていくことだってある。最近だとタピオカがまたブレイクしたんだっけか。タピオカって定期的にブレイクしているイメージがあるけれど、逆にいつになったらブレイクしなくなるんだろうか……。


「とにかく、今日の調査は以上ですね。お疲れ様でした。……これ、少ないですが」


 ココアを飲み終わってしばらくして、時間も良い頃合いだったので、外に出ようとすると、六花から封筒を渡された。

 これはいったい何だ?


「――何故呆然とされているのか分かりませんけれど、今回はあなたはわたしの助手として動いてくれた訳ですから、謝礼ですよ。正確にはバイト代と言えば良いのかもしれませんね……。少ないので、もしかしたら東京都の最低賃金を下回っている可能性がありますけれど、それについてはご了承ください。ほら、一応ここは個人経営ですから……」


 別に値段のことは気にしていないよ。だって、幾ら貰えるなんて思っていなかった訳だし、ただ働きしてもおかしくないな――なんて思っていたぐらいだったからね。まあ、お小遣い稼ぎと考えれば悪くないのかもしれないな。それがどう転ぶかは分からないけれど、これは家族には内緒にしておこう。そうじゃないとお小遣いが減額されかねないからな。


「そこまで仰らなくても……。ただ、明日以降も調査はしていきたいと思います。一応、わたしが単独で調べていきますけれど……、もし人手が足りなくなったら呼ぶかもしれません。ええと、電話番号は――」


 知っているよ。だってこないだ名刺をくれただろう?


「ああ、そうでした。そこで連絡もしているので登録もありますね。……でしたら、今日はこの辺りで。お疲れ様でした」

「ああ、お疲れ様」


 そうして、事務所の扉がゆっくりと閉ざされた。

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