第52話 『清く正しく』の条件付き

 体育祭一週間前になり、練習も更に熱を帯びてきた。

 今日も放課後二人で運動公園に練習で訪れていた。

 リレーということで俺も手伝ってバトンタッチの練習までする。

 まあ本番は俺とバトンタッチするわけではないが、動作的な練習にはなるだろう。


「そう、今の感じ! ちゃんとバトンを受け取って速度も落ちなかったよ」

「ありがとうございます! 相楽くんのお陰です」


 まだまだ速いとは言い難いが、練習する前と比べて格段によくなってきている。

 少なくともごぼう抜きされたり、転んでしまうことはないだろう。


 徐々に日暮れも早くなってきており、遮るもののない公園は夕日で赤く輝いていた。


「体育祭の練習頑張ってるな」


 声をかけられ振り返ると、逆光でシルエットしか見えない男性が近づいてきていた。


「えっ……お父さん!?」


 香月さんが目を見開いて驚く。


「えっ……ええっ!?」


 いきなりのお父さん登場で、情けないことに俺の声は裏返ってしまった。

 厳しい人だと聞かされ続けていたので、緊張で背筋がピンっとなる。


「君が相楽くんだね?」

「は、はいっ!」

「娘がいつもお世話になっているね。ありがとう」

「い、いえいえっ! おれ、いや僕の方がいつもお世話になってるくらいでしてっ……」

「なんでお父さんがここにいるのっ」

「お母さんから聞いたんだ。悠華が最近ここで彼氏と体育祭の練習をしているって」


 ようやく見えたその顔は、想像よりずっと優しそうなものだった。

 身長も高くなく、威圧感もない。

 香月さんからの伝え聞きから抱いていたイメージとはまるで違っていた。


「すいません。俺が勝手に練習に連れてきているんです」

「なに言ってるんですか! 私がお願いして付き合ってもらってるんです」


 相反することを言い合う俺たちを見て、お父さんは口許を緩めた。


「別に二人を咎めに来たわけじゃない」

「えっ……そうなの?」


 香月さんはキョトンとした顔になる。


「相楽くん。君と知り合ってから娘は明るくなった。いつも笑顔で何をするにも自分から積極的に取り組むようになったんだ。ありがとう」

「い、いえ……僕なんか特になにもしてませんし……」


 予想外の展開に鼓動が速くなる。


「学生の頃、私は常に必死で勉強してきた。そうしていい成績を納め、希望していた大学に入学できた。だからそれが唯一の正しいことだと信じてきた」


 お父さんは優しい顔で見詰めてくるが、香月さんはまだ警戒した表情のまま話を聞いていた。


「娘にも同じように歩んで欲しいと願い、それを押し付けていた。間違った人生を歩んで欲しくなったからね」

「はい。それは間違ったことじゃないと思います。香月さんの幸せを願ってのことなんですから」


 少し生意気だとは思ったけど、正直に考えを伝える。


「ありがとう。やはり君は優しくて聡い子だね。いや、『子』なんて言い方失礼か。しっかりした男だ」


 お父さんはにこやかに頷いて俺を見ていた。


「しかし自由を奪ってまで親の思う通りに生活させることが子供の幸せになるとは限らない。もちろん間違った方向へ行きそうな時は正しい方へと導くのが親の役割だ。でも何から何まで決めるのは、むしろ子供の成長を阻害することになりかねない」


 俺の父さんも同じようなことを言っていたのを思い出す。


「君と出会い、恋をして、娘は大きく成長出来た。ありがとう。感謝するよ」

「い、いえ……俺なんか、特に感謝されるような男じゃないですし」

「お父さんっ……」


 香月さんは目に涙を溜めていた。


「悠華、大きくなったな。もう昔みたいに父さんにじゃれついてくる年じゃないし、自分で何にも決められない存在でもなかったんだな。頭では分かっていたのにな」

「ありがとうっ!」

「わっ」


 香月さんはお父さんに抱きつき、静かに泣いていた。


「おいおい……相楽くんに笑われるぞ」

「香月さんはお父さんを尊敬してます。それは話していて分かります」


 煙たそうにしたり、反発していたけど、お父さんに認めてもらいたいという気持ちが強いのは感じていた。

 それは尊敬の裏返しだ。

 自分もそうだから、よく分かる。


 こんな風に抱きつかれるなんて久し振りなんだろう。お父さんは困った顔をして、でもとても嬉しそうに香月さんの頭を撫でていた。


「相楽くんは娘にいい影響を与えてくれている。本当にありがとう。これからも娘のことをよろしく頼むよ」

「は、はい! ありがとうございます!」

「それって、父さんも私たちのことを認めてくれるってこと!?」


 香月さんは驚いた顔で父を見上げていた。


「認めるもなにも、悠華は相楽くんのことが好きなんだろ?」

「はい」

「じゃあお父さんが口を出すことじゃない。悠華は自分のことをしっかりと決められるし、相楽くんは間違ったことをしない立派な青年だ」

「ありがとう、父さん!」


 香月さんはぎゅっと首もとに抱きついてから俺にも抱きついてきた。


「よかったね、相楽くん!」

「ちょっ、香月さん」


 いま一瞬お父さんの表情が鬼のように険しくなった気が……


「認めるといっても、もちろん高校生らしく節度ある清く正しい交際をしてもらわないと困るけどね。分かってるよね、相楽くん」

「は、はい! もちろんです!」

「くれぐれも娘を泣かせることのないように」

「当然です。あはははは……」


『キスは清く正しいに含まれますか?』なんて冗談はとても言えそうな雰囲気ではなかった。





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