第50話 自慢

 肩や腕、アキレス腱などのストレッチの後に芝生に座ってもらう。


「じゃあ開脚してみて」

「はい」


 香月さんはペタンと座ったまま脚を開くが、その開口角は異常に狭い。


「それが限界?」

「すいません」

「謝ることないって。ストレッチは無理しても仕方ないから」


 香月さんの背後に回り、背中に手を置く。


「ゆっくり息を吐きながら身体を前に倒して」

「はい……」


 フーッと長く細い息を吐きながら香月さんはひょこっひょこっと小さく前後に揺れる。

 赤ベコの振り子人形程度の可動域だ。


「少し背中を押すね」

「お願いしま……い、痛っ! 痛いですっ!」

「息を吸いながら上体を起こして。はいもう一度前に倒して」

「んんんっ……痛いですぅっ……」

「なるほど」


 これはかなり固そうだ。


「思ってたのと違います! マッサージと違って痛いだけですっ……」

「え? 違うって説明したでしょ?」


 なぜか香月さんは恨めしげに俺を睨んでくる。


 焦らずゆっくりストレッチを繰り返していると多少身体も曲がるようになってきた。

 運動神経はよくないが、呼吸法は上手らしく飲み込みも早い。

 ただ時おり「ひっひっはー」とラマーズ法の呼吸をするのは気になったけれど。


 その後走る練習をしたがやはりすぐに改善されることはなく、相変わらずカクカクした走りだった。

 むしろ普段走ってるときの方が滑らかでまだ速いだろう。


「よし、今日はこのくらいにしようか」

「まだです。まだ走れます」

「いきなりやり過ぎても仕方ないよ。焦らなくても時間はまだあるから」

「……はい」


 不服そうだが頷いてくれる。

 頑張るのはいいけど気負いすぎるのが香月さんの悪いところだ。


「もっと気軽に楽しんで練習しよう。香月さんならきっと大丈夫だから」

「相変わらず相楽くんは優しいですね」


 汗で濡れた顔で香月さんが笑う。

 制服姿も清楚で可愛かったけれど、スポーティーな格好も爽やかで美しい。

 改めて香月さんが自分の彼女だなんて夢のようだと感じた。


「よし、じゃあ家まで競争」

「えー? 無理です。相楽くんに勝てるわけないですよ」

「俺に勝ったらマッサージはいつもより念入りにしてあげるよ」


 俺が言い終わる前に香月さんは駆け出していた。

 しかも先ほどとは打って変わって結構早い。


「わっ、ちょっと待って! ズルいって」


 あの調子で走れば問題ないのに。

 そんなことを思いながら香月さんの後を追った。



 ───────────────────



 練習を開始して一週間。

 練習熱心な香月さんはかなりまともなフォームで走れるようになってきた。


「さすが香月さんだね。きれいなフォームだよ」

「いや、でもタイムが縮まってませんから」

「それは、まあ、おいおい速くなるよ」


 形だけはしっかりしてきたのだが、肝心のタイムは今一つぱっとしない。


 走り疲れた香月さんはベンチに座る。

 まだ残暑は厳しく、運動するのに適しているとはいえない。


「お疲れさま。でも走る練習ばっかりで疲れて勉強できないんじゃない?」

「そんなことないですよ。むしろスッキリして勉強も集中出来てますから」

「それは意外だなぁ」

「脳と身体は別物じゃなくて繋がっているんだと思います。身体が充実していると頭が冴えてくるようです」


 溌剌と語っているのを見ると、どうやら強がりや気遣いで言ってるわけではなさそうだ。


「そういえば新学期が始まってどうですか? 困ったことになってませんか?」

「いや。今のところは大丈夫かな」


 香月さんと付き合うことで色んな人にやっかまれるかもしれないと危惧していたが、意外と実害はなかった。

 男子は羨望の眼差しで見てくるがウザ絡みしてくるヤツはいない。


「よかったです。やっぱり私と付き合ったらやっかみを受けるなんて相楽くんの妄想だったんですよ」

「そんなことはないと思うけど」


 影で悪口を言ってるヤツはいるのかもしれないが、顔もろくに知らない奴らにどう思われようが気にするだけ無駄だ。

 そんなことに気を病むより自分の人生を謳歌する方がよっぽど大切だろう。


「香月さんはどう?」

「お友だちからは冷やかされたりしますけど、それも含めてなんか楽しいです」

「そっか」

「でも私より沖田さんの方がみんなから冷やかされてますよ」

「そうなんだ?」

「恋愛なんて興味ないって感じだったからだと思います。しかも顔を赤くして怒るから可愛くて、余計みんな囃し立てるんだと思います」


 それはなんとなく想像がつく。

 沖田さんのキャラ的に面白いんだろう。


「でもそれ言ったら香月さんだって恋愛に疎そうじゃないの?」

「私はからかわれたら『相楽くんはすごく素敵な人です』って自慢しちゃうからいじり甲斐がないみたいなんです」

「え? そ、そんなこと言ってるの?」

「はい。だって本当のことですから」


 香月さんは元気良く頷く。

 まさか友だちに自慢されていたとは……

 恥ずかしさで顔が熱くなる。


「あ、そうそう。この間全国模試の結果が返ってきたんです。その成績を見せたらあまりによかったんで父が驚いてました」

「おー。それはよかったね」

「自由にやらせてもらえたから勉強も集中できましたって言ったら神妙な顔で『そうか』って言ってました」

「ふふ。香月さんも意外と言うんだね」

「はい。父もこれで認めざるを得ないと思います」



 勉強が捗るとかそういうことが俺の影響なのかは分からないけど、出逢った頃より香月さんはよく笑うようになった。

 それが俺の影響なのだとしたら、これ以上嬉しいことはない。

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