第39話 拗らせ両片想い

 そして向かえた女子1500m決勝。

 予選通過タイム的にいえば決勝進出者のなかで沖田さんは下から二番目だ。

 確かに厳しい戦いになるのだろう。

 陽祐の言葉で一時は緊張がほぐれた沖田さんだったが、スタートラインに立つ表情はとても固い。


「楽しんで走れよ、沖田ぁー!」


 陽祐の声援もまるで聞こえていない様子だ。

 スタートの号令と共に一斉に駆け出す。

 予選とは打って変わって沖田さんは集団に入れず離されてしまい、最後尾につける。


「そこからだ! いいぞ、沖田!」


 陽祐はギュッと拳を固く握って声を張る。

 その表情は自らも走っているかのように苦しげに歪んでいた。

 沖田さんは置いていかれないだけで精一杯の様子だ。

 800メートルを過ぎた辺りで仕掛けだす選手が現れる。


「焦るな、落ち着いていけ!」


 きっと沖田さんの耳には届いていないだろうが、陽祐の声援は続いていた。

 このままではまずいと思ったのか、沖田さんは早めに速度を上げ始めた。

 しかし──


 沖田さんは脚を縺れさせ、バランスを崩して転んでしまった。

 会場から「ああっ!」という声が響く。

 陽祐は唖然とした表情で一瞬凍りつく。


「が……頑張れ、沖田! 大丈夫だ!」


 陽祐は力の限り叫んだ。

 その声が届いたかのように沖田さんは立ち上がり、再び走り出す。

 膝には血が滲んでいた。


 当然選手団は遥か先を走っている。

 追い付くはずはないが、沖田さんは走っていた。

 全員がゴールしたあと、沖田さんはまだ一人で走っていた。


「いいぞ、沖田! ラストまで頑張れ!」


 陽祐の声に反応するように他の観客も沖田さんを応援していた。

 チームの仲間も、他校の生徒も拍手している。

 大分遅れ、ようやく沖田さんはゴールした。


「ナイスファイト!」


 陽祐をはじめとして大きな拍手が送られる。

 仲間が沖田さんに駆け寄りタオルを被せた。

 肩を借りて歩く彼女は終止俯いていて、その表情は見えない。

 でも見なくともどんな顔をしているのかは、想像に難くなかった。



 大会終了後、出口ゲートで待っていても沖田さんの姿はなかった。

 うちの陸上部の生徒も出てきたが、その中にもいない。


「あの、沖田は?」

「あ、さっきの応援の……あの子、一人になりたいって……」


 二年の先輩は寂しそうに競技場を振り返った。

 陽祐も唇を噛み、競技場を見詰める。


「よし、行くか」

「ちょっと待てよ。陽祐」

「なんだ?」

「今はそっとしておいてやろう」

「ばか。いくら俺でもこのタイミングでコクらないぞ? 頑張ったんだから労うだけだ」


 陽祐の気持ちも分かる。

 落ち込んでるなら励ましてやりたい。

 好きならばなおさらのことだ。

 でも誰とも会いたくないという沖田さんの気持ちも分かる。


「今は一人にしてあげよう。辛いときに人に慰められるのって、思っている以上に本人には辛いものなんだよ」

「辛いときに一緒にいてやれなくてどうするんだよ。一人になんてさせねぇよ。ウザがられても俺はそばにいる」

「俺にも人と会いたくないって時期があった。そんな時は慰めや励ましさえ痛く感じるものなんだよ」


 母さんが亡くなったとき、いろんな人にいろんな言葉で慰められ、励まされた。

 でもそれが俺には余計辛かった。


「じゃあ今度相楽が一人になりたい時があったら俺に教えてくれ。すぐに駆けつけるから」


 陽祐は笑顔で親指を立てる。


「なんだよ、それ」


 なんだか支離滅裂で思わず笑ってしまった。


 陽祐は本当に競技場に向かってしまう。

 放っておいたらなんだかとんでもないことになりそうなので俺もそのあとを追った。


 沖田さんはロビーのベンチにいた。

 靴を脱いで膝を抱え、顔を埋めて座っていた。

 痛々しい姿に一瞬陽祐は顔を歪める。

 が、すぐに無理やり笑顔を作っていた。


「ここにいたのか。お疲れ。帰ろうぜ」


 沖田さんは肩をぴくんっと震わせ、更に身体を丸くする。


「いい。先に帰って……」


 話をするはおろか顔も会わせたくない状況なのだろう。

 しかし怯むことなく陽祐は沖田さんの隣に腰かけた。


「なあ覚えてる? 保育園の運動会で一緒に走ったときのこと」


 返事を待ったが沖田さんは何も言わずにじっと動かない。


「俺と沖田が一緒に走ったよな。沖田が速すぎて全然追いつかなくて、しまいにコケてビャービャー泣いた。そしたらお前が助けにきてくれて、立ち上がって一緒にゴールしたよな。覚えてる?」


 陽祐は笑っているが沖田さんは無反応で顔を埋めて丸くなっている。


「お前は偉いよな。泣きもせず、助けてもらわず、最後まで走ったんだから」

「…………当たり前でしょ。高校の陸上大会だよ」


 少し鼻をすする音を立て沖田さんが反論した。


「でもまだ立ち上がれてはいないみたいだな。今度は俺が沖田を起き上がらせて助ける番だろ?」

「そういうの、ほんといいから」

「よくねぇよ。沖田がコケて泣いてるんだから、放っておけねぇだろ」

「私は……痛くて泣いてるんじゃないの」

「沖田は俺が痛くて泣いていたと思っていたのか?」


 沖田さんが顔を上げそうになるので咄嗟に壁の裏に隠れた。

 ここは二人きりで話すべきだ。


「俺は沖田に負けたくなくて、転んで恥ずかしくて、悔しくて泣いたんだ。でも沖田が助けにきてくれて、それですべてちゃらになったんだ」

「なにそれ」


 沖田さんは涙を陽祐からもらったリストバンドで拭いながら笑う。


「なんつーか、かっこよかったよ。コケても立ち上がって諦めないで走ってた沖田、かっこよかった」

「かっこよくはないでしょ。大切なところでコケたんだから」

「いや。かっこよかった。あのレースで、いや、今日の大会で一番かっこよかった」

「か、カッコいいカッコいい連呼しないでよ。女の子なんだから、可愛い方が嬉しいし……」

「バッ……バカ、別に可愛くねーとは言ってねーし!」

「言ってるようなもんでしょ!」


 恒例の照れ隠し口喧嘩が始まったので笑いを噛み殺しながらそっとその場を立ち去る。

 お互いあそこでもう少し素直になって勇気を出せればいいのに。

 まあそれが出来ていればこんなに幼馴染みの両片想いを拗らせてないんだろうけど。


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