第2話 薄闇



「それでは次のニュースです──」


「今日の午後、加良から市の芹野せりの川で、女性が浮かんでいるのが発見され、その後、死亡が確認されました。警察は、身元の特定を急いでいます。


今日の午後5時すぎ「川に人が浮かんでいる」と近くを散歩中の人から消防に通報がありました。現場は加良市内を流れる芹野川、大橋付近の右岸で……」


 真崎征也まさきまさやは照明を消したアパートの一室でテレビの明かりを頼りに、夕食のカップ麺を口へと運んでいた。徐にテーブルの端にあったスマホを指先で手繰り寄せ、履歴から電話をかけた。


 数回の呼び出し音の後、男が電話にでた。


「やっぱり真崎か。かかってくると思ってたよ。芹野川のニュース見たんだろ?」


「そうだ。あれ、お前んとこの管轄だろ?やっぱりって、まさか当たりか?」


「いや、亡くなった女性には申し訳ないがはずれだ。上流部の道路脇で軽乗用車が横転しているのが見つかっている。現場は川沿いの急カーブ、ガードレールに車が接触した跡もあった。シートベルトをしていなかったようだな。可哀想に、車が横転した際に外に放り出されて川へ転落したんだろう。遺体の外傷はそれをよく物語っている。事故死でほぼ間違いない」


それにと、相賀小鉄あいがこてつは付け加えた。


「女性の両親は二人ともご存命だ」


「そうか、分かったよ。ところで忙しいところ悪いが、"あっち"の件はどうなってる?」


「それだ。実はその件について進展があってな。丁度電話しようと思っていたところだった。その、先月芹野川河口で発見された女性の水死体な、漸く身元が判ったよ。名前は松永頼子まつながよりこ、28歳、独身だ」


「独り身か、で?」


「でだ、両親とも随分昔に他界していた。ルームシェアなどをしていたわけでもなく独り暮らしだったようだ。7年ほど勤めた会社を1年半前に退社している」


「理由は?」


「ああ、会社では女性が海外で暮らすことになったから、というのが退職理由になっていたそうだが、この話を同僚のなかで本人から直接聞いた者は調べた限り誰一人いなかったよ。あくまでもそういう噂だったそうだ」


「なんだそれは。そんなんで通用するものなのか、普通。それで、肝心の勤めていた会社というのは?」


「聞いて驚け、重装建機株式会社だ」


 そうか、重装建機──


 驚かなかった。どこか当然の結果のように思えた。真崎独自の調べでは5年前に新社屋を建ててから、重装建機に関係が有りそうな行方不明者は10名、そして死者が1名だった。


 しかも、その死者とは実姉、真崎万優子まさきまゆこなのだ。当時姉の死を自殺と断定された真崎は「姉に自殺するような理由はない!」と警察に掛け合ったが状況証拠から自殺は間違いないと、取り合ってもらえなかった。


「征也、大丈夫か?」


「ああ、大丈夫だ。漸くだなと思ってさ」


「そうだな」小鉄が言った。


 行方不明者で、本人が確認されたのは今回がはじめてだったが、すでに死者ではある以上女性は何も語ってはくれない。

残る9人は連絡はおろか、生死の確認すら取れていない。


 しかし共通点はあった。全員がここ5年くらいの間に退職している「独身女性」であること。両親とは死別もしくは、絶縁状態で親戚とも疎遠であることなどが挙げられた。意図的にそういった境遇の人間を採用していた節もある。


 しかし、具体的な証拠は一切出てこないのだった。同じ会社に勤めていたという以外、関係性が浮かび上がって来ない。大手総合重機メーカーともなれば、その従業員数は数千から数万人というのはざらだ。重装建機といえど従業員は約8千人。その中の10数人など氷山の一角すら成さないだろう。


「それにしても、これだけ不穏な匂いのする状況で、何故お前たち警察は動かないんだ」


「それだよ。不穏な状況でしかない。しかも相手は大手重機メーカーの重装建機だ。政界とのコネクションも強い。薮をつついて蛇どころじゃない、とんでもないヤツが出てくるのを上は怖れてるんだ。とりあえず重装建機関係はオフレコで頼むぞ。下手すると俺の首だけではすまん」


「ああ、わかってるよ」


 小鉄は少し心配するような口調で続けた。


「なあ征也、お前もこっちに来ればいいだろ?もともと大学卒業したらオレと一緒に警察学校へ行くつもりだったんだ。ジャーナリストなんかしてないでさ。給料だって今よりずっといいはずだぜ」


「今さら警察官は無いだろ。それにお前は結構順調だったから26歳で念願の刑事だ。一生お前の部下かと思うとゾッとするよ」


 真崎は続けた。


「姉さんの事が無かったら警察官でも何でも成ってたさ。だが、あの時決めたんだ。自分自身で真相にたどり着くしかない、ってな」


「すまん、分かりきってること聞いちまって。たまに心配になるんだよ、お前見てるとさ。力になれることがあればいつでも言ってくれ」


「すまない、」


 それにもう一つ、と小鉄が付け加えた。


「重装建機が南インドのIT企業を去年買収したのは知ってるよな?」


「勿論。重機メーカーがなんでIT企業を、とは思うがインドIT企業の業績を見れば分からなくはない。ここんところずっと右肩上がりだ。2000年から見ればざっと20倍だ」


 小鉄が返す。


「そうなのか。そういう詳しい事はよく分からんが、そのIT企業へ日本の本社から出向していた女性が1ヶ月前に帰国している。しかしその女性は本社に戻らず、何故かそのまま地方の病院に入院しているらしい。しかもだ。詳しい理由はまだ分からないがその女性に両親はいないそうだ」


「なんだって?なぜ今まで黙ってた!」


「おい、待てよ。俺も昨日聞いたんだ。入院先の病院にいる知人からの情報だ。間違いない。後で詳細をメールしとくよ。だがな征也、くれぐれも派手に動くなよ。この情報は警察内でも一部の者しかまだ知らないんだ。マジで頼むぞ。それじゃ俺、仕事に戻るから」


「恩に着る」


「じゃあな、気をつけろよ」


 真崎は礼を言って電話を切った。


 送られてきたメールに目を通す。


 知らせてきた病院関係者はどうやら小鉄の、いや俺たちの大学の後輩のようだ。研修でこの病院に来ているらしい。病院にその女性を連れてきたのは男女の二人組。女性は二人を「お父さん、お母さん」と呼んでいた。しかし、書類を見る限り女性に両親はいない。しかも二人組は確認出来ただけでも、週に一回ほど女性を院外へ連れ出している、と云う。入院を必要とする状態にも関わらずだ。女性は未だ会社に籍を置き、治療費は会社がすべて負担しているようだった。


──もし女性がこの件に関係があるのだとしたら、唯一の"生きた"証人になる。明日にでもこの病院に行かなくては。



 真崎征也はフリーのジャーナリストだ。ジャーナリストの定義はこの国において曖昧だが、収入の半分以上が新聞や雑誌への寄稿によるものであるならば、ジャーナリストと云って差し支えないだろう。


 彼は両親を13歳の時に交通事故で亡くしていた。酒気帯び運転のトラックとの衝突事故死だった。姉の万優子は当時18歳。志望大学への入学を目前に控えていた万優子は、進学を諦め当時まだ中学1年生だったの弟を養うためにも就職をした。そして自分が果たせなかった大学進学とその先にあったであろう、まだ見ぬ夢を弟の征也に託した。


 そして征也は両親の死が直接の理由では無かったにせよ、友人で同期の小鉄の存在もあり、警察官を目指すようになっていた。


 そんなある日、万優子が突然この世を去った。征也が大学4年の時だった。検死の結果、薬物を大量に服用した後の入水自殺だろう、と結論付けられた。


 とても信じられなかった。姉に限ってあり得なかった。自分が誰よりも姉を理解しているつもりだった。しかし、警察は取り合ってくれなかった。それが5年前だ。あの会社が新社屋を完成させたすぐ後だった。


 姉は「重装建機株式会社」に勤めていた。


 真崎はジャーナリストになることを決意した。姉、万優子の死の真相を自らの手で暴くために──。



 真崎は記事を寄稿した新聞社で迎えの車を待っていた。


 待ち合わせ場所の駐車場に一台の白いミニバンが停車した。窓から男が笑顔を覗かせた。


「せんぱーい、お待たせしました」


 そう言ったのは、大学時代のサークルの後輩、高戸光佑たかとこうすけだ。高戸は小さな出版社でオカルト雑誌『レムリン』の編集者をしていた。サークルとはオカルト研究会。当時から二人は気が合ったし、今でもジャーナリストと編集者という互いの職業柄か仲が良い。よく経費を節約するために、内容は違えど、よく二人で取材に出掛けたりしていた。


 真崎は後部座席のスライドドアを開け、荷物を入れると助手席に乗り込んだ。


「おい、光佑、どうしてミニバンなんか借りてきたんだよ。コンパクトカーでいいだろ?」


「いやー、先輩。子供が出来た時のことを考えてですね、試乗がてら今回はコレにしました。それにキャンペーンとかでちょっと安かったんすよ」


「子供って、お前いつ結婚したんだよ。聞いてない」


「はい、言ってませんし、彼女すらまだいません」


「はあ?なんだそれ。それじゃ、いくらなんでも気が早すぎるだろ」


「はい、気が早いのが僕の取り柄ですから」


 高戸は笑って言った。


──そんな取り柄、聞いたこともない。


 真崎は無言でナビを設定した。


「暫くは高速だ。試乗したかったのはお前なんだから、今日は運転よろしくな」


「もちろんっすよ。じゃ、出発しまーす!」


 どこまでも明るいこの男のことを真崎は憎めなかった。



 四時間ほどは高速道路をひたすら走る。


「光佑さあ、お前んとこの雑誌の名前まだ『レムリン』なわけ?」


「そうなんすよ、このあいだ先輩に言われて、編集長の機嫌が良さそうな時を見計らってそれとなく聞いたんです。そしたら結構なこだわりのある名前らしくてですね、曰く、幻の大陸『レムリア』っぽい名前にはしたい。けれどモロだと某有名雑誌の姉妹誌みたいで気が引ける、だそうです」


「なるほどねえ。しかし、レムリンはなぁ」


「いや、それも某SF映画のキャラクターにあやかりたいみたいで、クリスマスのテレビ放映をきっかけに、もしかしたら読者が増えるかもしれないから、って言うんです」


「マジかそれ?」


「ええ、マジです」


「いかんだろ、それは。年一回の、しかもあるかどうかも分からんイベントに読者の増加を狙ってちゃあ。先が思いやられるよ。雑誌の内容が面白いだけに勿体ない」


「ありがとうございます。先輩」


「いや、礼を言ってる場合じゃないと、俺は思うがな」


「僕が編集長になった暁には速攻で雑誌の名前変えちゃいますから」


──やはり、この高戸光佑は気が早いのが取り柄なのかもしれない。



 高速道路を四時間ほど走り、一般道に降りた。車は暫く走り峠道へと入っていく。


「ここから後二時間ほどだ。ナビの言うことちゃんと聞いてりぁ着くから」


「はい、先輩。でも僕ばっかり運転させてもらっちゃって、いいんですか?」


 他の者が言えば嫌味なのだろうが、高戸は心からそう思っていた。そういう人間なのだ。


「いいんだ。存分に運転してくれ。でも疲れたり、飽きたりしたら言ってくれ。代わるから」


「はい、それで先輩。それはそうと、今回は何の取材なんすか?」


 光佑は真崎から取材に付き合ってくれ、と言われただけで、詳しい事は何も聞かされていなかった。いつもの事だった。先輩である真崎についていけば、大概良いことがある、と思っていた。あらゆる面で絶大な信頼を寄せていた。


 真崎は少しだけ真面目な顔になった。


「今回はなあ、俺がここ五年間追ってる重装建機関係だ。光佑も知ってるよな」


「ええ、先輩のお姉さんの勤めてた会社ですよね。でもマジでいいんすか?僕も一緒で。いつもこの件だけは一人で行く、って言ってたじゃないですか」


「そうなんだが、どうも今回は光佑の専門分野と云うか、俺たちオカルト研究会の知識がいるかもしれん。そういう案件が絡んできそうなんだよ。あくまでも俺の勘だがな。

しかし、お前がこれはまずい、危険だ、と思ったら直ぐに手を引け。いいな。俺をおいてでも自分の身を守るんだ。いいな、光佑」


「なんと!先輩にしては珍しくヤバそうな物言いですね。逆にワクワクしてきましたよ。でも多分先輩を置いて行かないっすよ、僕」


 しばらく真崎は窓の外を流れる林の木々を眺めていた。


 真崎は再び話始めた。


「なあ光佑、俺はここ何年か調べて思ったんだが、重装建機っていう会社はしごくまともなんだよ。それは高度経済成長期から現代に於いてもだ。政府関係、財界に強いコネクションがあるのも会社のインフラ整備に関する業績や歴史を見れば納得が出来る。すごく、クリーンなんだよ。歴代の経営陣も優秀だ。だが、」


「だが、何です?先輩」


「経営陣とは別に常に会社に何らかの形で関係している一族というか、家系があるようなんだ。そして──」


 言いかけると光佑がそれを遮るように、明るい声で言った。


「ほら!先輩。町が見えてきましたよー!」


峠を越えると、そこには小さな「町」が見えた。田舎町だ。


──人口はおそらく2万人といったところだろうか。


 真崎は取材で得た勘から適当にそんなことを思った。


「あの町だ。あそこに総合病院があるはずだ」


「へー、その病院で誰かに会うんですか?先生ですか?」


「いや、入院患者だ。女性で名を『アヤミネ シノブ』というそうだ」


 目的地の総合病院まではあと少しだ。


 車の外はすでに薄闇が立ち込め、空は今にも雨が降りだしそうな分厚い雲に覆われているように、真崎には見えた。


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