変わった関係。変わらない望み。

怜 一

変わった関係。変わらない望み。


 どこか知らない駅に降りたった。

 休日だというのに人がまばらなホームは、ぽっかりと穴が空いているような、そんな虚しさが漂っていた。

 改札を出ると、ロータリーに停まっている一台の車に目が止まった。傷や凹みは一切見当たらず、新品同様の綺麗な紫色のミニバンだった。


 手に下げていたトートバッグからスマホを取り出し、アズサさんから送られていた車のナンバーと、ミニバンのナンバーを見比べる。


 「…20。アレか」


 ミニバンに近づき、運転席のウィンドウをノックする。中に乗っていたアズサさんは、私に気がつくと笑顔で話し始めた。しかし、ウィンドウ越しのため、アズサさんの声はさっぱり聴こえてこなかった。

 私がジェスチャーで指示を送ると、アズサさんは慌ててスイッチを操作し、ウィンドウを開いた。


 「ごめんごめん。全く気がつかなかったぁ。アハハッ」

 「べつに。それで、私はどこに座ればいいですか?」

 「助手席でも、後部座席でも好きな

方でいいわよ。どっちに乗りたい?」

 「…それじゃ、助手席に乗ります」


 私を乗せたミニバンは、アズサさんの新居に向け、走り出す。

 新車特有の真新しい匂いと、微かに混じるガソリンの臭いが鼻をつく。

 音楽も会話もない、静かな車内。

 窓の外を流れる景色は、背の低い建物や自然が多く、いかにも田舎を感じさせるものだった。

 

 あの、お洒落なバーで私を口説いたアズサさんのイメージとはかけ離れた、素朴で平和でツマラナイ街並みは、なぜか、私の心を尖らせた。


 「いきなり、引越しの手伝いなんて頼んじゃってごめんね」


 沈黙を破ったのは、アズサさんだった。


 「あの人が、急に外せない仕事が入っちゃったって言うから、どうしようかなって困っちゃって」


 アズサさんは、そう言いながらも微笑んでいた。

 私は、相変わらずそっぽを向いたまま、返事をする。


 「休日に仕事なんて、酷い会社ですね」

 「そうなのよ。でも、仲の良い上司からの頼みだから断れないって、朝、バタバタしながら出てったわ。優しいところはすっごく好きなんだけど、優しすぎるのも考えものね」


 新妻と過ごす時間より、仕事を優先する人って、本当に優しい人なんですか?

 そんな、意地悪な疑問が頭を過ぎる。


 「でも、おかげでカナちゃんに会えたから、ちょうど良かったわ。私の披露宴以来、お互い都合が合わなかったじゃない?だから、カナちゃんが手伝ってくれるって言ってくれた時は、久々にカナちゃんに会えると思って、ホント嬉しかったわ」


 アズサさんは屈託のない笑みを浮かべ、無邪気にはしゃいでいた。

 本当は、私の予定は空いていた。しかし、適当な理由をつけて、今日までのらりくらりと避けていた。もし、私の心の整理がつかないまま、アズサさんと二人きりになっていたら────。

 そう考えただけで、醜悪と悲壮に塗れた感情が溢れ出し、胸の奥が苦しくなった。


 信号が赤になり、ゆっくりと停車する。

 苦い顔をした私に、アズサさんが心配そうに声を掛けてくれた。


 「カナちゃん、気分悪い?運転下手でごめんね。もう少し、ゆっくり走ろうか

?」

 「大丈夫です。心配しないでください」


 私の素っ気ない返事で、再び、車内に重い空気が流れる。冷たい態度を取ってしまったことに、今更、罪悪感を覚えた。

 アズサさんは、どんな時でも私に優しい。会社でも、プライベートでも、ベッドの上でも。でも、だからこそ、私がこんなに苦しんでいるって、アズサさんは解ってない。

 アズサさんも人のことは言えない。

 優しすぎるのも、考えものだ。



+



 目的地に着いた車から降り、目の前に建っているアズサさんの新居を見上げる。綺麗に整えられた住宅街に並び立つ、立派な一戸建てのうちの一つで、不自然なくらい明るい雰囲気に包まれていた。


 「いらっしゃい。カナちゃん」


 アズサさんの後を着いていくように、家の中に入っていく。アズサさんに通された広いリビングの左側はキッチンに繋がっており、キッチンから家族の食事を一望できるような造りになっていた。


 私は、黒革のソファに座らせられた。アズサさんは待っててと言って、小走りでキッチンに向かい、数分後、取っ手がついた木目のトレイに、白色の陶器でできたティーセットとお茶菓子を載せて、運んできた。

 

 「少し、休憩しましょ」


 アズサさんは私の隣に座り、紅茶を注いだティーカップを私に差し出した。

 紅茶から漂う香りに、懐かしい記憶が蘇る。あの時も、私はアズサさんの家に連れられ、この紅茶を差し出された。

 こことは違う、でも、居心地の良い、狭いマンションの一室。そこで、アズサさんと理想の家について語り合った。

 

 二階建てがいいねとか、いっぱい日差しが入るリビングにしたいとか、ペットが飼えたら嬉しいとか。そんな、楽しい妄想に浸っていた。でも、私は家なんてどうでもよかった。入れ物よりも、中身の方が、私には大切だったから。


 「ここ、良い家ですね」


 私は、心にもないことを口走る。

 アズサさんは、ありがとうと言い、にっこり笑った。

 その笑顔に、また、胸の奥が苦しくなった。



+



 それから、少し陽が傾いてきた頃。

 お茶を済ませた私とアズサさんは、廊下から階段で繋がる二階へ上がり、アズサさんの部屋にある荷物の整理をしていた。

 アズサさんの部屋には、シングルベッドと洋服を入れるチェスト、備え付けのクローゼット以外には、片付けられていない段ボールしかなかった。


 私は、カッターを片手に持ち、段ボールを留めるガムテープを剥がす作業を任されていた。その時、ふと、とある疑問が湧いた。


 「アズサさん。なんで、パートナーと部屋を分けたんですか?」


 披露宴で見た以来だったが、アズサさんとパートナーは、見ている側が嫌になるくらいベタベタとくっ付いていた。さらに、先程も気持ち悪くなるくらい、沢山の惚気話を聞かされた。それほど仲が良いのにも関わらず部屋を分けたことが、なんとなく、気になってしまった。


 プライベートに踏み込んだ質問だったが、アズサさんはアッサリと答えてくれた。


 「あの人が、別々がいいって言うから」


 アズサさんの態度とは裏腹に、背後から聞こえてきたその声は、どこか寂しさを纏っているような気がした。

 段ボールを留めるガムテープに、思い切りカッターを突き刺す音が響く。


 「アズサさんは、それでいいんですか?」


 アズサさんを困らせる質問だと分かっていたが、どうにも、私の口が止まらない。


 「うーん…。できれば、私は一緒の部屋がいいんだけどね」

 「それ、相手に伝えたんですか?」

 「うん。でも、近すぎるのも問題があるから、それぞれの部屋があった方がいいって言われちゃって」


 私の作業する手が止まった。


 「そんな曖昧な理由でアズサさんのお願いを断っちゃうなんて、酷い人ですね。」


 つい、心の声が口をついて出てしまった。


 「ねっ。酷いよね。フフッ」


 顔を見なくても、アズサさんの表情が手に取るように解る。

 なんで、アズサさんの笑顔を奪うような人を、アズサさんは選んでしまったのだろう。

 なんで、私じゃダメだったんだろう。


 小高い山間に落ちていく夕陽が、部屋を真っ赤に染める。私の内側からジリジリとした熱が込み上げ、身体を昂らせる。

 奥歯を強く噛んだのは、感情のせいなのか、作業のせいなのか、そんなことも分からなかった。

 どうすれば、この現実を受け止められるのか、私には解らなかった。


 「ねぇ?カナちゃんってば」


 不意に、背後から肩を叩かれた。

 驚きのあまり、身体が大きく跳ねる。すると、バタンと音がした。振り返ると、ベッドに仰向けになって倒れているアズサさんがいた。


 「もー!カナちゃん、いまのは面白すぎるっ!いくら呼んでも反応してくれないから、肩叩いたら、ビクゥ!って。どんだけ驚いたのよ。アハハハッ!」


 人の気も知らずに笑い転げてるアズサさんに、妙に怒りを覚える。


 「そんなに笑うことじゃないでしょ」

 「でも、ビクゥ!って。アハハハッ!」


 アズサさんは、一旦、ツボに入ると笑いが止まらないため、放置するのがいつもの流れだ。

 私は、気にせずに荷解きに専念する。

 いつしか、アズサさんの笑い声が途絶える。


 「ねぇ?カナちゃん」


 また、アズサさんが私を呼んだ。

 今度は、一体なんの用だと力無く振り返る。

 アズサさんは、さっきと同じようにベッドに倒れており、私に向かって両手を広げていた。そして、目を細め、今までの笑顔とは違う、妖艶な笑みで、私を誘ってきた。


 「ねぇ?しないの?」


 突然の誘惑に、私の頭の中は真っ白になった。


 「な、なんで…」


 動揺を隠せない私に、アズサさんは、柔らかい声色で語りかける。


 「なんでって、私達、そういう関係でしょ?」


 その言葉に、私の視界は揺れた。

 私とアズサさんは、ただの友達以上で、恋人ではない。お互いの渇きや切なさを満たし合うだけの、そんな、どうしようもない関係で繋がっていた。

 そんな当たり前のことを、いつの間にか忘れてしまっていた。いや、忘れる訳ない。だけど、忘れてしまいたいくらい、私が、それ以上の関係を求めるようになってしまっていた。


 私は、手に持っていたカッターを捨て、アズサさんへと覆いかぶさる。アズサさんの細い両手首を握り、一切の抵抗を許さないようにする。

 ベッドに跳ねた衝撃で広がったアズサさんの香りが、脳を甘く痺れさせ、更に、私の思考を狂わせる。


 「フフッ。嬉しい」


 揺れた視界で、火照った顔のアズサさんを見つめた。

 私だって、ずっとアズサさんに会いたかった。会えなかった間、アズサさんを諦めるために必死で努力した。そして、ようやく諦められたから、今日、アズサさんに会いに来た。


 感情の昂りを抑えられず、自然と、両手に力が入り、アズサさんの皮膚に爪が食い込んでしまった。


 「イッ…!!」


 だけど、アズサさんから求めるなら、私は、もう我慢しない。私の望みを、全部ぶつけてやる。全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部。

 そして────。私は、掴んでいた手を、ゆっくりと離した。

 そう。これで、いい。

 これが、私の望みだ。

 戸惑っているアズサさんに、私は、冷めたトーンで言い放った。

 

 「アズサさん。あまり、私を見くびらないで下さい」

 

 ベッドから立ち上がり、アズサさんから眼を背ける。


 「アズサさんの幸せを邪魔するほど、バカじゃないんですよ。私」



+


 陽が沈み、真っ暗になった道をアズサさんの車で走り、駅まで送ってもらう。

 二人とも無言であったが、行きとは違い、清々しい雰囲気が漂っていた。


 あの後、アズサさんは泣き出し、何回も謝罪の言葉を口にしていた。私も、アズサさんが謝る度に慰め、落ち着いた頃には、二人で夕食を取っていた。

 その後は、食後のお茶を飲みながら、同じテレビを見て、笑いあった。

 私達は、今日、友達になった。


 駅前のロータリーに着き、アズサさんは車を停める。


 「今日は、ホントにありがとう。また、連絡してもいい?」

 「もちろん。私からも連絡しますよ」

 「やったー!」


 アズサさんは、両腕を思いっきり上げて、全身で喜びを表現する。

 袖がズレて、アズサさんの手首に付いた傷が見えた。それを見た私は、咄嗟に謝る。


 「すみません。その傷、痛かったですよね?」


 アズサさんは、手首の傷を大事そうにさすり、今朝とまったく変わらない笑顔を見せた。


 「全然、大丈夫」


 車から降りた私は、遠くに過ぎ去るアズサさんの車を見送る。

 一人、駅の改札を抜け、帰りの電車を、気長に待っていた。



end

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