#12 神崎ママの心配事

 食卓に広げられたホカホカご飯の前で、神崎がムキになって否定する。

「だから、ちがうのよ! わたしがこんなのと付き合ってるわけないじゃない!」

「ほんとぉ?」

「本当よ! お願い信じて! こんなキモオタ虹豚マジキャス箱推しVtuberオタクと……つ、付き合ってるなんて思われたらわたし死んじゃうから!」

「キモオタとオタクがかぶってるぞ」

 俺はママさんの作ってくれた味噌汁をすすりながら、どうでもいいことをつっこんだ。

 ママさんが用意してくれたのは、鱈の西京焼き、里芋の煮っころがし、野菜たっぷりの味噌汁、しめじといんげんの入った炊き込みご飯。

 こんな手のかかったもの、タダで食っていいんですかって感じだな。

 俺は西京焼きに箸を進める。


「でも、一緒にお風呂にまで入る仲なんでしょう?」

「そ、それは誤解だって言ってるでしょ!」

「どうかしら、人見君? お口に合うといいんだけど」

「めっちゃ美味しいです。うちの母さんは料理けっこうやっつけなんで」

「そんなこと言っちゃダメよ。きっと忙しいんじゃないかしら。わたしは今日たまたま早く上がれたから手をかけられたけど、働きながらご飯の支度をするのは大変なのよ?」

「そうですね。母さんにも感謝しなきゃ」

「うふふ。素直でいい子ね」

 ママさんが、神崎とよく似た美貌で微笑んだ。


 神崎の母親なんだから、実年齢は若くても三十代後半だろう。見た目はほとんど二十代にしか見えないんだが。

 母娘だけあって、顔立ちは神崎とよく似てる。ママさんのほうが、顔全体の印象はやわらかい。神崎とは逆にすこし下がった目尻の下にほくろがあって、大人の色香を漂わせている。

 髪も瞳も黒いので、神崎の外見は父親譲りなんだろう。


「あんたもなに平然とご飯食べてるのよ!? どうしてただのクラスメイトと母親まじえて晩ご飯食べなきゃいけないわけ!?」

「あらぁ? 人見君にはパソコンのことでお世話になったんでしょ? ママとしてはお礼がしたいわ」

「そ、それは……」

「学校でのこの子の様子も聞きたいし」

「や、やめてよ!」

「いやぁ、絵美莉さんは学校でもこんな感じですよ」

「あんたも一瞬でゲロってんじゃないわよ! っていうか名前で呼ぶな!」

 だって、ママさんも「神崎」だろ。


「こんな子だけど、嫌われてなぁい?」

「そんなことはないと思いますよ。たしかにキツいことは言ってますけど、不思議と尾を引かないですから。絵美莉さんが嫌いってやつはほとんどいないんじゃないかな」

「ほとんどってことは、ちょっとはいるのかしら?」

「まあ、好きな男子が絵美莉さんに惚れてる女子とか、絵美莉さんに告ってフラれた男子とかは、どうしてもいるんで」


「ちょっと! ママになんてことバラしてんのよ!?」

 神崎が抗議してくるが……当然だろ。これくらい、聞かなくたってわかるはずだ。ママさんも、若い頃はそれはもうイヤってほどモテたにちがいない。いや、今だって同じくらいモテそうだ。神崎にはない、大人の女性ならではの色気や余裕まであるからな。包容力のある母性キャラは、いつの時代も根強い人気があるものだ。


「あらあら。絵美莉ちゃんはモテるのねえ。人見君は?」

「俺ですか? モテませんよ」

「ふん、そんなの見ればわかるでしょ」

「うるせえ! 本当のことだけど言うんじゃねえよ!」

 俺と神崎のトゲトゲしいやりとりに、ママさんはなぜかほっこりとした顔をする。


「じゃなくて、この子のこと。どう思う?」

 からかうように、ママさんが聞いてくる。


「……うーん。どうとも思ってない、かな」

 俺は、感じたままにそう答える。


「ちょっと! どういう意味よ!?」

「あ、いや。そういう意味じゃなくて。これまで、あんまり関わりがなかったろ。だから、好きとか嫌いとかちゃんと考えたことなかったなって」


 こいつは、中身がこんなでも美少女だ。

 たとえ好きになっても、俺では絶対に報われない。

 最初から、自分とは別世界の人間だと思ってたのだ。


 クラスで摩擦がなかったとはいわないが、陰キャにはよくあること。むかっとすることくらいはあっても、憎いとまで思ったことはない。

 こいつは面と向かってキモいとか言うやつだけど、聞こえよがしに「あいつキモいよね」「わかる〜」とか嘲笑してくるタイプじゃないし。

 ……いや、面と向かってキモい言われたらさすがにキレていいんじゃね? と言われそうだけど、「キモい!」「うるせえ!」以上! でカラッと済んでしまうというか。

 憎まれ役としてのありがちな陽キャって、根っこの部分では自分が他人からどう見えるか不安で、他人を下げることで自分を上げようとしてるとこがあるもんだけど、こいつにはそういうかげみたいなものがないんだよな。

 だから、俺の神崎への認識は、「たまにイラッとさせられる別世界の住人」という程度のものだった。


 こいつの正体を知って――いや、逆か。七星エリカの正体がこいつだと知って、俺はこいつの秘密を共有することになった。

 マジキャス沼にハマってる俺と、マジキャスライバーの中の人。

 いまなら、話のネタにも困らない。

 その意味ではもう、神崎は俺にとって別世界の住人とはいえないだろう。


(もともと七星エリカは好きだったしな……)


 でも、じゃあ中身である神崎まで好きかと言われると、そんなに単純な話じゃない。

 七星エリカが「好き」だったのは、あくまでもVtuberとしてだ。身近な異性としてではない。


「たまたま事情を知ってしまっただけで、これを機に近づいてやろうとか、そういう気持ちはないですよ」

 とても釣り合うとは思えないし。

 叶わぬ夢を見ても恥をかくだけだってことは、アニメやマンガ、ラノベ、Vtuberの黒歴史語りなどを通してとっくに代理学習が済んでいる。


「ふぅん……しっかりした子なのねえ」

 ママさんが、目をキラリと光らせ、俺の顔をじっと見る。


「そんなこともないと思いますが。ふにゃふにゃですよ、俺なんて」

 クラスに君臨する陽キャ女子の母親に褒められてもな。

 配信はともかく、クラスで「しっかり」してるのはまちがいなく神崎のほうだ。


 神崎ママが、俺のほうに身を乗り出す。

 神崎よりさらに大きな胸が食卓に乗った。

(胸って、乗る・・んだ……)

 こみ上げる感動に震えていると、隣の神崎に太ももをつねられた。

 俺は、ママさんの胸元に吸い込まれていた視線を慌てて剥がす。

 神崎ママと、正面から目が合った。


「ねえ、人見君」

「は、はい」

「よかったら、これからも絵美莉ちゃんの話し相手になってあげてくれないかしら?」

 神埼ママがいきなりそんなことを言い出した。


「ちょっ! ママ!? 何言ってんのよ!? わたし、ちゃんと友達いるし!」

「わかってるわよぉ。駒川さんたち、よく遊びに来てくれてるものね」

「だ、だから――」

「でも、駒川さんたちにはあなたがヴァーチャルアイドルをやってることは秘密なんでしょう?」

「そ、それは……そうだけど」


「ママ、配信のことを気兼ねなくお話しできる友達が、絵美莉ちゃんには必要だと思うの」

「そ、そんなの、全然平気だし! 事務所の人とか、他のライバーさんとか……相談できる人なんていくらでもいるわ!」


 神崎がそう言った途端、ママさんの顔から笑みが消えた。


「……絵美莉ちゃん。嘘はよくないって言ってるわよね?」

「う、どうして嘘だと思うのよ……」

 神崎がたじろいだ。


「絵美莉ちゃん。ママ、絵美莉ちゃんのお仕事について、口を出すつもりはなかったの。絵美莉ちゃんの負担になっちゃいけないと思って、ずっと黙ってたんだけど……」


 ママさんは、そこで言葉を切ると、神崎を真正面から見つめて言った。


「ママね。絵美莉ちゃんの――いえ、七星エリカの配信は全部見てるわ」

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