17.独立国家のすすめ
通された部屋は少し広めの事務室のようだった。
千代田区の建築物とは違って殆どが木作りで、壁には東京全域の地図を始め、羊皮紙に記された様々な資料や本が散乱している。
「おいラヴレス様の下僕、貴様はこの世界についてどれだけ知っている?」
よほどネームレスという神の使徒という称号は崇高なものなのか、アネモネは意地でも僕の名前として呼びたくないらしい。
「神の下僕は君だろう。僕はあのこの性悪の下僕になったつもりは無い」
横に立つ――――正確には少し浮いている――――ラヴレスを指さして一応正しておく。
そのやりとりを見ながら当の本人はクスクスとニヤケ顔で笑っている。
「なあラヴレス様よ、流石に村の連中の前で使徒様の名前を呼ぶのはいらねえ混乱を招く恐れがあるんで、何か愛称みたいなもんでもないですかね?」
そうスミスが訪ねるとすかさず更紗が手を大きく上げて発言の許可を要請する。
「はーい、更紗ちゃん。なにか意見があるのかしら?」
まるで先生と生徒のようなやり取りだが、見た目には中学生と小学生のままごとにしか見えないのが滑稽だ。
「“ネム”様がいいです。薬師さまは良く眠そうな表情をなさってますから。それに呼びやすいし、何より可愛いです。ねむねむ」
無表情だとはよく言われたが、僕はそんなに眠そうな表情をしているのだろうか。
なんとも納得がいかないが更紗が言うなら多分そうなのだろう。
「ふん、確かに惚けた顔の貴様には似合いの名前だな! 如何でしょうか、ラヴレス様?」
「はいはい、更紗ちゃんからとてもいい意見が出ましたね。それじゃあ皆さん、これから人前ではネームレス君のことは“ネム”と呼ぶように」
こいつ先生ロールプレイを楽しんでいるな……。
仮にも自分で付けた名前が改変されているのに何とも適当なものだ。
まあ僕は何と呼ばれようとも構わないが。
「ふん、それでは寝ぼけ顔のネム、今現在、我ら亜人種と異界人が戦争中なのは知っているな?」
「ああ、大規模な戦闘は無いけど、冒険者やギルドの兵士が頻繁に亜人狩りをやってるのは知っている」
「……知っていて、貴様は止めなかったのだな!」
歯ぎしりをしながら怒りの籠った目で睨みつけてくる。
恨まれるのは仕方がないが、僕にだって限界はある。
情報があれば妨害することもあったが、現在のプレイヤー人口は数万にも上り、その全てを把握し、僕一人で阻止するなど不可能だ。
「やめなアネモネ、この旦那一人を責めても意味はねえ。俺たちオークとお前さんらエルフも、種族単位で見れば小競り合いは珍しくないだろう?」
「……そうだな。種を憎んで人を憎むな、というのはラヴレス様の教義でもある」
「あら、アタシそんなこと言ったかしら?」
ラヴレス、お前は少し黙ってて欲しい。
「はいはい、それじゃあアタシはそろそろ帰るわ。あまり外に居すぎると他の使徒に感知されるしね。それじゃあ皆さん下校チャイムの前には帰宅するように。
そう言って僕の影の中に沈んでいく。何度見ても不気味な光景だ。
夜にやられたら完全にホラーだぞこれ。
「ふう、ようやく人心地付けるな」
「ああ、ラヴレス様のお言葉を賜るのは光栄なことだが、流石に緊張は禁じ得ない」
どうやらラヴレスは想像以上に畏怖の対象らしい。
疲れ切ったように肩を落とすスミスとアネモネをよそに、更紗だけは会話の邪魔をしてはいけないと感じているのか、静かに出されたお茶をすすっている。
「それで、レジスタンスは異界人から亜人種を守るための活動ってことでいいのかな?」
イマイチ空気を読めない――――読まないラヴレスが帰ったところで無理やり話を戻す。
「守ると言ってもなあ、メンバーは後方支援を含めても三十人足らずだ。戦えるのは俺と……一応アネモネを含めても十三人ってとこなんで、実質難民を集めて匿うのが精いっぱいだな」
「一応とはなんだ! 私はれっきとした創造神教ラヴレス派の神官騎士だぞ!」
「戦争中とは言っても大規模戦闘になったことは
アネモネの突っ込みを無視してスミスは説明を続ける。
なるほど、面倒な相手はこうやってあしらえばいいのか、覚えておこう。
「戦況的にはどうなんだい? 大規模でないとはいえ、亜人領は何度も侵略を受けているはずだけど」
「領地を占領されたって話は聞かねえな。それに奴ら、不思議と女子供には手を出さないことが多い。強い戦士だけを襲う……まるで戦うことを楽しんでいるような感じだ」
非戦闘者を殺すことはインペリアルが禁止している。
とはいえ違反しても現行犯でなければバレることは無いし、ギルドの意向を無視する野良プレイヤーも多いので絶対ではないが。
「襲われた場合の勝率は?」
「最初は大体勝てる。だが襲撃者はきっちり始末しているにもかかわらず、一度発見された村は続けて襲撃を受けて、必ずこちらを上回る戦力で攻め落とされてる」
要はトライアンドエラーだ。
ゲームの基本として、一度挑戦して情報を仕入れた後に勝てる算段を付けて再挑戦する。
死んでも生き返れるプレイヤーならではの戦術は彼らには理解し難いだろう。
「亜人種の統治者に協力は依頼できないのかい? それに他の魔人種や不死種が異界人を襲わないのはどうしてだ?」
「この世界も一枚岩じゃねえのよ。制度上は竜種の
その中でも亜人種はさらに種族が細分化され、神の名のもと教皇が統治しているが、それでも種族間の些細ないざこざは多いという。
大雑把に言えば竜種の治める宗主国の下で、魔人種、不死種。亜人種の各国が勢力争いをしており、亜人種は一つの宗教からなる多民族国家だが、派閥の違いによって混乱している――――という事らしい。
「亜人種は能力的に優勢とは言えねえ。そんな時に異界人なんてものが現れやがって戦闘状態になっちまった。他種族はこれ幸いとばかりに亜人種の弱体を狙って傍観を決め込んでるって訳さ」
思い起こせば戦闘の発端は彼らが僕らの街を襲撃したのが始まりなのだが、話を聞く限りそれも何者かによる、プレイヤーを焚きつけるための陰謀説も考えられてくる。
「うん、大体の現状は理解できた。とりあえず目指すべきは亜人種の戦力を整え、これ以上他種族からの圧力を受けないよう独立国家として成立させることだね」
「は……? 独立国家……だと?」
「ふん、馬鹿者め。関与してこないとはいえ我らは竜種の支配下にある。独立宣言などしたら世界中を敵に回すことになるぞ」
「こっちには神の使徒、ラヴレスがいる」
その時コトリと湯呑を置く音が聞こえたかと思うと、突然更紗が口を開いた。
「世界を変えるためには新しい力が必要だと……とと様は言っていました。本来は異界人との同盟でその力を手に入れるつもりでしたが、使徒様の名の下であれば他種族の信仰者たちを取り込んでその代わりとできるのではないでしょうか」
更紗の言葉に僕も頷く。
プレイヤーとの同盟が出来れば望ましいが、そのためにはまず亜人種をまとめ上げ、対等に交渉が出来るだけの力と立場が必要になる。
宗教色の強い亜人種をまとめるには神の使徒と言う存在はこの上なく強力な手札になるはずだ。
「はあ、ったく、随分と話がでかくなってきやがったな」
「私も正直困惑している……ラヴレス様の威光は確かに強大だ。しかし独立戦争など……竜種の怒りを買えば亜人種は絶滅しかねないぞ」
どうやらいきなり話を広げすぎたようだ。
協力するにしても、あくまで決めるのは当事者である彼ら自身だ。
今はプレイヤーに襲われる亜人種を減らす、そのことに注力するべきなのかもしれない。
「すまない、今のはあくまで提案に過ぎない。とりあえず今はレジスタンスの協力者を増やし、規模を拡大することが先決だと思う」
その場はそれでお開きとなった。
しかしこの時の僕の言葉をしっかりと聞いていたラヴレスが、密かに喜色の笑みを浮かべていたことを僕はすぐに知ることになるのだった。
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