第32話 対面・上
サキとユウは到着した二台の救急車で病院に運ばれたが、ユウは即死で救命隊員にはどうする事も出来なかった。
ユウはサキの頭を庇うように抱き締めていたので、コンクリートで全身骨折の上頭部は陥没していた。苦しまなかっただろう、という事だけが唯一の状態だった。
サキの意識はまだ戻らないが、何とか生きていた。だが全身複雑骨折で、内臓の幾つかも痛めている。脊髄の損傷も激しく、もう自力で立つのは難しい体だろう。意識を取り戻しても、今までの様な普通の生活は出来ない。
病院で様々な器具に繋がれて、未だ目を覚まさず眠ったままのサキからは何も聞けない。一課は安井の話とサキの供述を元に、二件の事件の裏取りを始めた。
あの日からしばらくして、朝早くに櫻子は篠原を連れてエマの部屋を訪れていた。ブランド物の服やカバン、靴であふれかえった部屋だった。彼女もまどかの部屋が火災になった時に移動しているので、片付けが終わらないうちに亡くなってしまったのだろう。
「一条課長、ここへは何を…?」
篠原は、安井の
「『けり』を探しに来たのよ」
「『けり』?」
篠原の位置からは、サキが残した言葉を聞き取れなかったのだろう。
「篠原君、エマさんの身元照合をしたわよね?」
「はい。生まれは青森。大阪へは彼女が小学三年生の頃に、父親の仕事の関係で引っ越してきました」
篠原はカバンから取り出したタブレットで、エマの身元のデータを確認して口にした。前日に櫻子に言われて、彼女の身元を調べてその情報をタブレットに入れていた。もちろん、その作業をしたのは笹部だ。
「さて……どれだろう」
白い手袋をつけて、櫻子は靴があふれて置かれている靴箱を眺めた。ほとんどは箱から出されて並べられているが、五足ほどは箱に入ったままだ。櫻子は、その五足の箱を手にした。一足ずつ取り出して、左右ともゆっくり眺める。その五足の靴は誰もが知るブランド物で高値の靴だったが、その内の一足は
櫻子はカバンからカッターを取り出すと、ゆっくりその靴本体から綺麗に靴底を剥がすように注意した。高級ブランドの靴なのに、靴底は乾いた音を立てて簡単に剝がれた。驚いている篠原の目の前で、櫻子はつま先からゆっくり剥がしていく。
そのまま少しめくると、ビニール袋に包まれた小さなSDカードが出てきた。
「あ! これってまさか!?」
興奮する篠原に気を取られることなく、櫻子はそれを取り出すと再びゆっくり靴底を元に戻すことにした。再びポケットに手を入れると、接着剤を取り出した。それをエマのように雑には塗らず、綺麗に塗って張り戻した。放っておけば、乾いて何事もなく櫻子のした痕跡はなくなるだろう。
「『けり』は、青森の方言で『靴』の事なのよ。泥酔して意識が
櫻子は接着剤が乾いて汚れている袋からSDカードを袋から取り出すと、それをハンカチで包んで自分のカバンのポケットにしまい込んだ。
「あの、それって証拠品じゃ……?」
櫻子の行動に、篠原は驚いたように思わず小声になった。
「エマさんの叩き壊されたスマホのSDカードに入っていたのが、オリジナルよ。私が宮城さんにそう伝えるわ。この件に関して、篠原君は何も知らなかった。いい? 私が責任をとるわ」
この動画のせいで、不幸な事件が起きた。今更『榊光汰がレイプされている動画』が出てきたからといって、誰の得になるのだろう。サキがまどかを殺したことは許されないが、エマを殺したことについては精神鑑定で責任能力なしと判断されるだろう。サキは十分罰を受けたし、これからも檻の中で暮らしていくしかない。償うだけの人生が待っているのだ。
だから、もうこの動画は誰も見なくていい。
「……一条課長は、そんな秘密を抱えて苦しくないんですか……?」
静かに尋ねる篠原に、櫻子は瞳を細めてただ笑みを浮かべた。
「――それより篠原君、今から少し遠出するわよ。運転お願いね」
「はい、了解しました。けど、どちらに向かわれるんですか?」
篠原が運転する車は、兵庫県の
「水耕栽培の――工場?」
葉物野菜を中心とした野菜を育てている大きな工場の駐車場に車を止めると、篠原は全く意味が分からず櫻子に答えを求める。
「すぐに分かるわ」
櫻子はその工場に入ると、受付で工場長を呼んで警察手帳とは別の手帳を見せた。にこにこと笑みを浮かべていた四十歳後半に見える工場長の顔が、ふと厳しいものになる。
「ようこそ、一条警視――私は第二公安捜査、第三係所属管理官の
公安が、こんな工場で何を? 篠原はますます理解が追い付かない。
「私の腹心だから問題ないわ。刑事局長から連絡はなかった? 篠原大雅巡査部長よ」
その言葉で、青山管理官は櫻子に頭を下げると二人を工場の奥の、隠される様に置かれたエレベーターへと向かった。平屋なのに何故? もしかして、地下があるのか? 篠原には、全く理解できない。
鍵を三個使って
地下二十五階!?
長い時間乗っていたエレベーターがガタンと大きな音を立てて止まると、そこは全体に照明が点けられた明るい階層だった。
「面会だ」
青山管理官が先に歩き、壁に付けられたインターフォンのようなもののボタンを押して話しかけると、櫻子はその部屋の中央へと足を向けた。篠原も、櫻子の後に大人しく付いて行く。青山管理官が、ボタンのようなものを櫻子に渡した。
この地下二十五階は、眩しいくらいに明るく照らされたエリアで、大きな箱のような部屋が中央に置かれていた。こちらに向いている部屋の壁は水族館の様な分厚いガラスが一面に貼られていて、向こう側には肉声は届かないだろう。そんな水槽のようなガラスの向こうに、素材が良く分からない椅子に座った男が一人いた。
年の頃は三十代半ばだろうか? 白いシャツに黒いズボン。足元は裸足だ。フレームの細い眼鏡をかけた、緩やかなカーブを描く髪。薄い色素の瞳。整った顔立ちの彼は、椅子の手すりに付けられたボタンを押しながら穏やかな笑みを浮かべた。
「やあ、櫻子さん。やっと会えたね」
「そうね――桐生蒼馬、やっと会えたわ」
ボタンを押してから話し出した櫻子は、何故か笑みを浮かべていた。ようやく会えたのだ、この男に。
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