第18話 花束・中
「エマさんのご家族や友人など、ご存じありませんか?」
二人の間に割って入った櫻子の言葉に、香田はゆっくり首を振った。そして、スーツの内ポケットから鍵を取り出して櫻子の前に置いた。
「エマの部屋の鍵や。店のモンに見に行かそうと思ってたが――あんたに任せる。部屋を調べたら、何か出てくるかもしれへん」
「ご協力、有難うございます」
一度店に戻ったのか届けさせたのか、送迎用の車のキーケースに付けているマンションの鍵だろう。カズヤが、香田にエマの話もしてくれたらしい。櫻子は頭を下げてその鍵を受け取ると、その鍵を宮城に渡した。鑑識がいる一課に任せた方が早いと、考えたのだろう。なにも分からなければ、自分が出向かえばいい。
宮城はそれを受け取ると、自分のスーツのポケットに直した。
「もしなんか聞きたいことあったら、ここに電話してくれるか? アンタからなら、いつでも出るわ」
香田はスーツの胸ポケットから名刺ケースを取り出して、一枚名刺を取り出すと名刺の裏に携帯番号を書いて櫻子に差し出す。櫻子は再び頭を下げてそれを受け取ると、名刺の表に目を通す。そこには、『
「……まあ、随分
櫻子は、彼が極道であることより彼の名前に興味が湧いたようだ。その言葉に、香田は自分の膝を叩いて笑った。
「親父が、時代劇好きだったからなぁ。雪の降った日に生まれたそうやし。小さい頃はよう笑われたもんやけど、今となってはええ名前やと思うわ」
渋みのある、どちらかというと女性にモテそうな顔つきの彼に、櫻子は内心女性方面で有利な名前だったんだろうなと邪推した。
「私は、こちらに」
櫻子も名刺を取り出すと、自分の番号を書いて渡した。
「アンタもええ名前やな、ええ女やし気に入った」
香田も櫻子の名刺を確認して、それを胸ポケットに直した。「極道の人は桜が好きだしなぁ」と、篠原はそのやり取りを見ていた。
「では、後のことは宮城さんにお任せします。詳しい事は、またよろしくお願いします」
立ち上がり頭を下げた櫻子に、香田はあからさまにがっかりとした表情を見せた。
「なんや、もう帰るんかいな。こんなオッサンの顔見飽きたわ」
「また、後日お会いできると思いますよ」
櫻子は笑顔を見せて、部屋を出た。篠原も慌てて頭を下げると、櫻子に続いた。櫻子は道頓堀交番の警官に挨拶をして、御堂筋まで歩いた。
「笹部君も待ってるし、タクシーで帰りましょ」
「了解しましたが、同席しなくていいんですか?」
手を上げてタクシーを停める篠原は、不思議そうに櫻子に尋ねた。そろそろ暗くなってきた辺りは、夜の蝶やその蝶を眺めに来る人、きらびやかな男や女で賑やかな繁華街になり始めていた。
「オーナーからは、あまり話が聞けそうにないわ。宮城さんはエマさんから話が聞きたいでしょ。彼に貸しも出来たし、新情報がないか明日にでも聞きましょ。もう一度、事件を整理したいわ」
桜海會は、関西で大きな暴力団の一つだ。そこの若頭がオーナーという事は、名目だけで実際の経営は下の者が回しているに違いない。多分気まぐれに店の女の子をつまみ食いしているだけで、詳しい事情は知らないだろう。しかし、香田という男と知り合えて好印象を得られたなら、ここに来たのは大きな収穫だった。
桜海會を味方にしなければならないような事が、これから起こるかもしれない――櫻子は、そんな爆弾も抱えていた。
「遅くまでごめんなさい、笹部君」
ノックして部屋を開けると、笹部は机に突っ伏して寝ていた。櫻子の言葉に顔を上げると、大きな欠伸をしてからぺこりと頭を下げた。
「お帰りなさい、ボスと篠原君。ある程度報告書をまとめておきました――あ、そうだ」
笹部は、櫻子の机を指差した。
「ボスに、贈り物ですよ」
「え?」
不思議そうに櫻子は部屋に入り、自分の机の上に置かれた『贈り物』を見た。それは、マリーゴールドと赤いヒヤシンスの鉢が入ったバスケットだった。花が届けられるような覚えはない。
その果てを手にして眺めていると、マリーゴールドの花の中にメッセージカードが見えにくく入っていた。
「『
櫻子が呟くと、篠原が不思議そうな声を上げた。
「こうた?」
消えた黒服の『ユウ』と『コウキ』と似た名前の差出人――何故ユウとコウタが近いかは、櫻子に教わっていた。『ユウ』とカタカナで手書きした時、書き方が悪いと『コウ』と読まれる事がある。逆も同じだ。だから、あだ名をつける話をした時に黒服は同じ人物かもしれないと、櫻子がうどん屋で話してくれたのだ。
「――まさか、犯人からなの?」
「持ってきたのは、普通の近所の花屋さんでしたよ。調べましたが、怪しい所はなさそうでした」
笹部は、櫻子に言われる前に仕事をしていた。
「ボスに心当たりない名前なら、榊光汰って人をネットで探せる限り探してみますね」
笹部のキーボードを叩く音が、辺りに響く。櫻子は疲れたように、椅子に座って溜息を零した。
「……篠原君」
「はい」
「珈琲淹れて頂戴。今日は、ほんの少し砂糖もお願い」
「あ、僕もお願いします」
パソコンの画面から目を離さずに、笹部も口を挟んだ。篠原は「分かりました」と返事をして、お湯を入れに給湯室へと向かった。
関係者の名前が多くなってきて、篠原の頭もはパンクしそうだった。その為に、落ち着ける作業が出来ることが嬉しかった。
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