堅物騎士団長とトゥシューズ

采火

異世界へのグラン・パ・ドゥ・シャ

第1話 騎士と妖精のアントレ

「妖精が飛べなくて泣いているんだ」


 汗と筋肉のまじわるロテワデム国騎士団の訓練場で、騎士団長の肩書を持つ男が至極真面目な顔をしてそう言った。

 さっぱりとしたアッシュグレーの短髪に、獣のような琥珀の瞳、不愛想ながらも精悍な顔つきに、無駄のない引き締まった肉体を持つ騎士の名前はロイク・ディヴリー。

 訓練とはいえ騎士団長の肩書に相応しい剣を繰り出していたロイクは、ふとこぼした呟きの間にも手を休めることはなく、隙なく木刀を横へ薙いだ。

 絶賛手合わせ中だった騎士団長付き補佐官のランディ・スレイドは、数歩後退することで木刀を躱す。

 ランディの赤い髪が剣圧でふわりと舞う。

 体勢を整えつつ、ランディは堅物と評判の団長が珍しい冗談を言うものだとニヤニヤと笑った。


「どういう謎かけですかね。団長が妖精とか似合わなさすぎでウケるんですけど」

「そのままの意味だ。先日、遅番で夜半に帰宅した時に妖精をつかまえたんだ」

「はぁ?」


 冗談の割にはしっかりした返答が返ってきたことに油断したランディは、その隙をつかれて団長から重い一撃を頭上へ振り下ろされる。回避が間に合わないと判断し、迷わず自分の木剣で受け止めた。

 みしり、と木がたわむ音が鳴る。


「ランディ、教えてくれ。飛べなくなった妖精はどうやったら飛ぶんだ?」

「……いや、待ってくださいよ団長。ちょっとその顔で妖精妖精連呼すんな混乱する」


 ランディは大真面目な顔でものすごくファンシーなことを尋ねてくるロイクにたまらず両手を上げて降参の意思を示した。

 ロイクは不満げに眉間へぎゅっと皺を寄せる。ロイクはただでさえ表情筋が仕事放棄をしているというのに、そこに眉間へ皺を寄せるものだから厳めしそうな顔になってしまう。不愛想さに拍車をかけるロイクに、いつものロイクだとランディは安心した。

 そのまま口を閉じたロイクに対し、ランディは混乱する頭をなんとかまとめると、よしと気合いをいれてロイクに向き合った。


「団長お疲れでしょう。今日は帰宅されたらいかがか」

「ふむ……妖精も一人じゃ寂しがっているだろうし、お前が帰れと言うなら帰るか。気遣い感謝する」

「そういう意味じゃねぇよ阿呆」


 全くもって意図が伝わらない堅物にランディは頭を抱えたくなった。

 そもそも。


「団長、それ本当に妖精なんですか。本当に妖精なら視える奴限られるでしょ。団長ってそういう体質だっけ?」


 妖精なんてものは、常人では見ることが叶わない。

 優れた魔術師のように特殊な体質を持つ人間なら可能性があるが、ランディの記憶ではロイクはそういった体質ではなかったはずだ。

 予想通りロイクはゆるりと首を振った。


「いや……」

「んじゃ、視えてんの団長だけ?」

「使用人達も視えているぞ。俺がいない間は世話を任せている」

「どんな姿してんの?」

「我々と同じように人のような姿をしている」

「羽は? 魔力は? 飛ぶなら必要でしょ」

「それがないんだ。だが飛べないと泣いている。可哀想に、羽をもがれたのかもしれない」


 今度こそランディは頭を抱えた。

 ここまで分かっているのに、なぜロイクはその事実に気がつかない。本当に気づいていないのかこの堅物は、と内心で悪態をつく。


「……団長はなぜそいつを妖精だと思ったんですか?」


 気付けこの野郎と念じつつ、ランディはロイクに尋ねてみる。こんなに色々と分かっているのになぜ妖精と言う結論になるんだ。

 するとロイクは、ぽそりとまるで秘密にしたかったとでも言うようにつぶやいた。


「見たんだ」

「は?」

「一瞬だけだがな。彼女の背中に、とても美しい羽を見た気がしたんだ。飴細工のような羽に繊細で、虹のように七色の光を放つ羽。硝子のように砕け散った後、風に消えた」

「はあ?」


 奇妙なことを言い出すロイク。

 見たとまで言われれば信じざるを得ないが……実際のところ、本物の妖精が理由もなくロイクの前に現れたということが解せない。

 妖精と呼ばれる存在は、おいそれと人前に現れるものではない。普段は妖精界と呼ばれる世界に住んでいて、時折こちらの世界の様子を伺っているといわれている。ただ、この話だってお伽噺めいていて、あまり信憑性がないのも事実だ。

 この話は非現実的すぎると踏んだランディは、容赦なく話をぶったぎることにした。その上で、話の中で気になったことを順に聞いてみることにする。


「妖精って女の子なの?」

「そうだ」

「飛べないと泣いていると」

「そうだ」

「団長はどうしてやりたいの?」

「分からない。飛べるようにしてやりたいが……このまま俺のもとに留まってほしいとも思う。それほど彼女は愛らしい」

「なに、惚れてんの?」

「彼女は妖精だ」


 答えになってない返答が帰ってくる。

 表情が変わらず内心が読めないが、否定しない辺り肯定と受け取ってやる。そもそも手元に置きたいと望むなら、惚れているに違いないとランディは確信した。

 この堅物が自分の心を偽るはずがない。

 ランディは肩に木刀を担ぎ、訓練の緊張感で固まっていた首をぐるりと巡らせた。


「それで、妖精はどこで拾ったんですか」

「屋敷の俺の部屋のテラスだ。空から降ってきた」

「は?」


 ランディは怪訝そうに眉を顰める。

 空から降ってきた?


「……もう少し詳しく」

「そのままの意味だ。夜空から降ってきて、俺が彼女を受け止めた。部屋に控えていた執事のサロモンも、メイドのナディアも、驚いていたぞ」

「……それ普通に侵入者じゃ」

「妖精だ」


 頑なに主張を曲げないロイクに、ランディはとりあえず彼の屋敷の警備は大丈夫なのだろうかと不安になる。

 まぁそれは後で進言するとして。


「その妖精はどこから来たんですかねぇ」

「さてな。飛べないと、国に帰っても居場所がないと泣く。泣いている彼女を見ているのはつらい」


 国とか言っている時点でやっぱり人間なのでは? いやでも人間が飛ぶ? 飛べるくらいに風魔法に長けている魔術師なら引く手数多のはずだ。それなのに居場所がない? 魔法が使えない状態なのだろうか?

 ランディの頭がフル回転する。堅物のくせして現在脳内お花畑な騎士団長の思考回路は宛にならない。


「……とりあえず、そいつ騎士団に連れてきた方が良くないすか? 身元不明ならそれなりに手続きがいるんで」

「妖精なのにか?」


 駄目だ、この団長ネジが飛んでいる。

 ランディは深くため息をついた。


「……明日時間とるんで、俺が伺いますわ。団長だけに任せておけない」

「お前は妖精の扱いが分かるのか?」

「ああもう。そういうことにしておいてくださいよ」


 ランディはやれやれと肩を落とす。もういい、疲れた。いつもは厳しくて堅苦しいほど堅いロイクの内心がこんな状態だと知りたくなかった。

 そろそろ執務に戻る時間だとロイクが言うので、二人は剣の稽古を終えて訓練場を後にする。

 ふとランディは頭痛の種から目を逸らすように視線を彼方へやる。

 雲一つない、爽やかな空の水色。

 こんなにも広い空から落ちてきたという妖精は、いったいどんな魔法を使ってロイクの元へと飛んできたのだろうか。

 突然降って沸いた、騎士と妖精の出会いの話。

 魔法が満ちる世界においても不思議な展開に、ランディは戸惑いつつ、今日の騎士団業務へと意識を切り替えた。

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