第11話




 異変が起こったのは、洞穴に人間がやってきて夜も深まった頃になってからだった。


 我輩は明日になったらどこへ向かっていけばよいものだろうかという迷いと、次こそは何事もなく穏やかに――可能な限り長い期間をひとところで過ごしたいという願望を胸に抱きながら眠っていたときのことだった


 ――静かな闇の中に、甲高い金属音がひとつ響き渡った。


 耳に長く残る音が段々と小さくなって消えていくのを感じながら、まぶたを開いて音源を見れば、そこにはヒトガタと女の姿があった。


 ヒトガタは我輩と女の間に、壁となるように立っていた。


 女はヒトガタを挟んだ向こう側で、地面に尻餅をついていた。


 そして、女が体を支えるために地面に押し当てている手には、夜光をぴかぴかと弾き返す武器が握られていた。


 視界に入ってきた情報を見て、なるほど、と状況を理解した。


 ――女が我輩に夜討ちを仕掛けようとして、出していたヒトガタに阻まれたということなのだろう。


 その事実を改めて頭の中で言葉にし、まず最初に浮んだ感情は感嘆だった。


 ……随分と度胸のあるものだ。


 と、心底からそう思った。


 なぜならば、女が持っている武器が、魔術などといった特別な技術による何かしらが施されているわけでもない、ただ丁寧に仕上げられただけのものであったからだった。


 ……それでは我輩の鱗に傷をつけることすら叶うまい。


 相手が寝ているからという理由があったとしても、たったそれだけの武器を手にして己よりもはるかに巨大な生き物に手をかけようとする選択を選んだ事実に、感動すら覚えるほどであった。


 ――それがある種の慢心であったことに気づくことができれば。

   もう少し違った結果になったのかもしれないという後悔はある。


 我輩は女に向かって言った。


『素晴らしい度胸である。見事だと言っていい。

 ただ、その度胸は新天地で生活を始めるまで取っておくべきであるな』


「……ああ、やっぱり違う生き物なのよねぇ」


 我輩の言葉を受けて、女はぼやくようにそう言って表情をゆがめた。

 笑い、泣き、嘆き、憎む。

 女の浮かべた表情が、それらの感情がいっしょくたに混ぜ合わせられた、奇妙な貌になっていた。


 その顔を見て、わずかに怖気が走った。


 ――それはいわゆる、嫌な予感だったのだろう。


 その怖気を誤魔化すように、大きな息を吐いた後で我輩は言葉を返した。


『そんなこと、一目瞭然であろう。

 目が見えるのであれば、誰にだってわかることだ』


「違うわ、そうじゃない。

 あなたは単に、私たちの言葉を理解して会話ができるだけなんだ、ってそういう意味」


『どういう意味だ』


「あなたは人間という生き物がどういう考えで動いているのか、想像できているようで、まったくできていないということよ」


 そしてそう言って、女は手にもった武器を己に突き立てた。 


 ――肉を断つ音は、繊維質を裂く響きである。

   張られたものが弾けて、ぷっつりと音を立てて切れていく。


 ――血が滴る音は、何かがこぼれる響きである。

   傷跡から噴き出してた大切な何かが、ぼたぼたと落ちていく。


『――――』


 そのときの我輩には、この女がなぜこんなことをしているのか、理解ができなかった。


 呆然としている我輩に向かって、女がまだ動く口で言葉を作った。


「……新しい場所で、新しい生活をする。

 それは、とてもステキな響きだと思うけれど。

 人間はそんなに簡単に切り替えられないのよ。

 ――そうするくらいなら死んだ方がマシだって思うこともある」


 一息。それに、と口端を歪めながら、


「こうすれば、事実は変わらない。

 あなたが実際にどう思っていたとしても、竜がいたから人間が一人死んだことに、変わりはない。

 だから、きっと誰かが私の仇を討ってくれる。私の無念を晴らしてくれる。

 ――私の人生を台無しにしたあなたに、私じゃ与えられない報いを与えてくれるって期待してる」


 そう言い切った。

 言い切って、事切れた。


『…………』


 女の言葉に、我輩は何も返すことはできなかった。


 ……ただ一方的にぶつけられる呪詛に、我輩から何を返せたというのであろうか。


 女が携えていた武器は自決用のそれだったのだろう。

 ひと思いに、あっさりと死ねるようにと、予め用意していたものだったのだろう。


 ……自殺という行為を選ぶ精神は、確かに、我輩では理解が及ばぬものである。

 

 ただ、女が吐き出した呪詛の内容は現実的なものでもあった。


 ――人間とは勝手な解釈でもって他を害する生き物である。


 人間が生贄として一人の女を選んで竜に差し出した事実は、竜から望んで生贄を差し出させたという真実に書き換わって伝わるに違いない。


 ……そうなれば、我輩は目出度く人類の敵として認定されることであろうし。


 女が望んだ通りに、いつか、我輩を倒しうる何かがやってくることになるかもしれなかった。


『……はぁ』


 そこまで考えたところで、我輩は声に出してため息を吐いた。


 ……まったくもって迂遠な努力である。


 自らを殺さんとする意思があるのならば、新天地でより豊かな生活を築き上げることも出来たはずであろうにと、そう思う。


 ……この女からしてみれば、それが理解が及んでいない、ということなのだろうな。


 だったら一生理解できる必要はないと、強く思ったが。


 ……懸命に生きるという行為は、解釈の余地が多いものである。


 そう思い直した。


 死にたくないとだけ願い、周囲からの評価など気にもせずに行動をするものもいる一方で。

 ただ生きているだけでは嫌だと、周囲に認められたい一心で自ら死地へ足を踏み入れてまで成果を得ようとするものもいる。


 ……そのどちらが正しいということはない。


 間違っているということもない。


 正否をつけるのであれば、それは行動を起こしたものが為した結果が、行動を起こしたものが望んだ形に近かったかどうかという点だけだろう。


 ――しかし、それでもあえて正否をつけるのであれば。


 我輩は生きるために選ばれる行いこそが正しいものだと信じている。

 確信している。


 だが、


『だが、今回は貴様の勝ちだな、女』


 思いをあえて言葉にして吐き出した。


 今回の件で、我輩は負債だけを負う形となった。


 この女が命をかけてそうしたのだ。


 それを負けと言わずに、何を負けというのだろうか。


 ……そして、敗者は勝者の言を受け入れるものである。


『ゆえに、我輩はこの件について一切の言い訳をしない。

 いずれ貴様が望んだ結果になるかどうかは、冥府の先で楽しく待っているといい』


 そしてそう告げてから、我輩はこの場を立ち去った。


 残った女の身体は、ヒトガタを使って綺麗に埋葬したが。

 それを弔うものがあの場に再び訪れるかどうかについては、一切の興味がわかなかった。 


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