第7話



 物事は転換点を超えることができさえすれば、変化が一気に現れるものである。


 襲ってくる人間を撃退すること。

 その戦闘の余波によって破壊された周辺地形の修復を行うこと。


 今回の問題はそのふたつであったわけだが、前者が穏便にやり過ごせるようになったおかげで、後者も問題なく作業を進めることができるようになった。


 荒れ果てた大地に手を入れる余裕が出来るようになった。


 もっとも、我輩がここに腰を下ろすまでここにあった環境を元に戻すことができたわけではない。


 あくまで、その状態にやがて至るだろう可能性を残しつつ、緑が必ず回復するようにと手を加えたに過ぎない。


 ……我輩の手が入ってしまったことを良しとするべきかは、判断がわかれるところではあるが。


 我輩も大きな尺度で見れば自然の一部なのだから、これも自然の成り行きによる結果であると自分を納得させていた。


 ……何もかもを満足させる結果を得ることはできぬ。


 そもそもの話をするならば、我輩と人間が争った結果として周辺地形が変形することも自然の成り行き、その一部だと言い張ることもできよう。


 我輩に、そうした経緯で発生してしまった惨状をそのままにしておきたくなかったという願望があり、その願望を押し通し叶えてみせるという意地があっただけだ。

 

 ……誰かがこの結果を気に入らぬというのであれば、我輩はその意見を聞き入れるとも。


 ただし、あとは自分でなんとかしろとしか言わんが。


 ……我輩に出来ることは十分に行った。


 今この場所は、我輩が知るかつての姿には届かぬまでも、立派な緑が栄える豊かな森に戻っている。


 少なくとも、叶うのならばこのままこの場所に居続けたいと、我輩がそう思う程度には居心地のよい状態になっていたから。


 ……これ以上、我輩に出来ることはない。


 そう結論を出して、最後の行動を開始した。





 人間のもつ言葉の中に、立つ鳥跡を濁さず、ということわざがある。


 我輩は竜であるが、その言葉の意味するところ、その精神は見習うべきものであると心底からそう思う。


 ゆえに、我輩はこの場から立ち去るにあたっては、何度やられようとも懲りずにやってくるあの人間に一言断っておくことにしたのだった。


 ……我輩がどこにいるのかと探し回る過程で、またこの場を荒らされてはかなわぬからなぁ。


 我輩の努力が全て水泡に帰すようなことにはなってほしくない。


 ただそれだけの話である。





 ――目の前で、我輩が造ったヒトガタと人間が戦っている。


 ヒトガタと人間の体格は似通っている。


 ヒトガタを造るにあたって参考にしたものがその人間だったから当然の話であるが、眺めてみれば、動きの差異が大きいことがよくわかった。


 ……我輩のヒトガタは歪であるな。


 反応のカタチに違和感がある。

 動かぬモノが生き物を真似ていることがありありとわかる不恰好さ、とでも言えばよいのだろうか。


 ――このヒトガタは生きていない。


 しかし、生きていないからこそ実現できる動作をもって目の前の人間を圧倒する様を見れば、目的を果たすために必要十分な最低限の機能は実装できている。


 それは間違いない。だが、


 ……そこにまだ探求の余地がある。


 と、そんな言葉が頭を過ぎったから。


 今後も研究と研鑽は必須であるなと、心の中で言葉を追加した。


 ――そこで決着がついた。


 肉を叩く重く鈍い音が響いた。


 意識を思索から現実へと引き戻して視線を前に向ければ、決着の形が見えた。


 ヒトガタが地に倒れ伏す人間の眼前に武器を構えている。


「……っ」


 ヒトガタを通り越して、こちらに悔しそうな視線を送ってくる人間と目があった。


 ……頃合いであるな。


 そう考えて、言葉を思う。


『勝負ありというやつだな、人間よ』


 思った言葉が確かな肉声として響いた。


 その言葉を聞き届けた人間も内容を理解できたのか、驚きに目を見開いている。


 ……実装は成功か。


 声音の発生元は我輩の喉ではなくヒトガタの喉である。


 ……竜の構造ではどう足掻いても発声できなんだからなぁ。


 ヒトガタを介さず発声する方法を考えることもあったが、今後のことを想像すれば、ヒトガタから声が出るようにしておく方が有意義だと判断したのだ。


 似たような形から知った言葉が出てくれば、大抵の生き物はそれに耳を傾ける。

 意識の空白とでも言うべき瞬間が必ず出る。


 これから先も生きていくことを選んだ以上、否でも応でも人間と関わることになるのだろうと思えば、ひと手間を惜しむ理由が見当たらなかっただけだった。


『我輩はこの場に残ることを諦めた。

 今後この場所に来ても我輩はいないぞ。来るだけ無駄だ』


 だから暴れてくれるなよと、そう言葉を続けた後で身体を起こした。


「……おまえ、喋れたのか」


 翼に意識を巡らせて羽ばたく。


『……必要が出てきたから学んだだけだ。

 言葉を解す頭があるとわかったところで、おまえたちの行動に変化はあるまい。

 ただ、もしも望みを聞く気があるというのならば、我輩は静かな暮らしを望んでいるとだけ言っておこう』


 押しやられた空気が風になって木々の間を走り抜ける。

 葉が擦れる音を聞いて、その音を打ち消すように翼を更に強く動かした。


 飛ぶ。

 身体が地上から離れて、全身を浮遊感が包み込む。


「ま、待て。待ってくれ。話が出来るのなら――」


 遠くなる地面の上から、人間が声をあげたけれど。


『今更だ、人間よ。我輩はもう決めた。

 だから、それは別の機会に試すとよい。

 もしも次があったのならば、まずは会話から始める努力をしてみることだ』


 その為には力が必要であるがな、と付け加えて言葉を返した後で、ヒトガタを回収してその場から離れた。


「――!」


 既に遥か後方へと去っていった景色の向こうから人間の声が聞こえた気がしたが、動きを止める気にはならなかった。


 ――空の上は静かで平和だった。


 相変わらず美しい光景が視界に入ってくる。


 そう感じられる機能があることに対して、あらためて素晴らしいと感動を覚えながら空を行く。


 ……南のほうが暖かいという記憶があるな。


 今度はそちらに新天地を求めてみるかと、針路を修正。


 ……次の場所では、あまり厄介な面倒事が起きなければよいのだがなぁ。


 そう思いながら、新たに腰を落ち着けるための場所を探すために、空の中を前へ前へと飛び続けた。



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