半月前の日記

@takatosipop

そしてジジイはマイクを捨てた

以前カラオケスナックへ行った。スナックは雑居ビルの4階にあった。もちろん個室はないので、歌ったらスナックにいる全員に聞こえる。


私の向かいのテーブルには、おじいさんが座っていた。おじいさんは、ギリギリ青年に見えるくらいの男性と2人で来ていた。


おじいさんとギリギリ青年は、たくさんカラオケを歌っていた。おじいさんは、おじいさんの割に若い曲を歌う。加山雄三などは歌わず「ワインレッドの心」などを気持ちよく歌っていた。


歌えば歌うほどに、おじいさんの気持ちよさは高まっているようだった。私は、もうすぐ満潮を迎えるんじゃないかと、ひそかに予測していた。


そんな中おじいさんは、ゆずの「栄光の架け橋」をオーダーした。これまたおじいさんの割に若い曲である。


ギリギリ青年が「奇跡の星」を歌い終わり、マイクがおじいさんの手に渡っった。


「栄光の架け橋」が流れ始め、おじいさんも歌い始める。サビへ近づくにつれ、おじいさんの声量が上がっていく気がする。


マイクを強く握りしめ、サビにどんどん近づいている。そして気のせいではなった。明らかにおじいさんの声量は上がっている。サビはもう目の前だ。


「いくつも〜の〜!」


すごい声量。グッと目をつぶりサビを歌い上げる。


サビが終わってもおじいさんの声量は衰えない。次のサビに向かってますますアクセルを踏んでいる。おじいさんにはブレーキなど搭載されていないのだ。


まもなく2度目のサビ。どれほどの声量が待っているのか。期待せずにはいられない。おじいさんの高ぶりも最高潮だ。さあ行け!おじいさん!サビに突入だ!


「もう〜これいらね!!」


おじいさんはマイクを投げ捨てた。


「いく〜つ〜も〜の〜〜!!」


バカみたいな声量。大股開きでソファーに腰掛け、大声を上げている。もうマイクは持ってない。空いた手で自ら拍子を取っている。まさしく豪傑。


「すみません、マイクは投げないでください」


そしてボーイさんから注意を受けた。


「え!?ダメなの!?」


そりゃダメだろ。おじいさんはボーイさんの注意に不服そうである。


「もういいよ!」


おじいさんは怒ってしまった。店員に会計を投げつけ、店を出ていった。ギリギリ青年は「ごめんね〜wごめんね〜w」と恐縮しながら続いて店を出た。


「ジリリリリリリ!」


おじいさんたちが出て行った数秒後である。非常ベルが店内に鳴り響いた。非常ベルは雑居ビルの入口に設置されている。


「おじいさんが腹いせに押したんじゃないか」


客も店員もみんな同じ見解だった。なんてジジイだ。


ジジイはスナック全体の非難の的となった。スナック中が怒りに沸いている。


私は正直めちゃくちゃ面白かった。


「マイクを投げ捨て、大股開きで歌うクソジジイ」


「栄光の架け橋」を耳にするたび、この光景が蘇ってしまう。


TVなどで「栄光の架け橋」が流れる場面はけっこうある。だいたい感動の場面である。私はもう、そんな場面で感動できない。やってくれたぜクソジジイ。


スナックはけっこうな混乱具合だった。非常を知らせるけたたましい音。怒りに沸いた人々。カラオケの採点画面は「63点」を表示している。モラルは0点だったのに。


私からいくつもの感動を奪ったクソジジイ。ただひとつ、声量だけは100点満点だった。

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