暗い日曜日 後編

「じゃあ行ってくるね」(ブチギレ)


「行ってらっしゃい」(ガチギレ)


 僕はムカムカしながら椅子の上に乗り、上部のハンドルを回して梯子を下に降ろした。

 この梯子は下の階の住人が降ろすことを想定していないので、展開する梯子の隙間に腕を入れてハンドルを回すのだが、そうすると当然隙間の位置もズレるからめんどくさい。

 一々腕を抜いてはまた突っ込まなくちゃならん。


「まぁこんなもんでいいのかな」


 なんかブラブラするけど、とりあえず梯子はこれ以上降りないし、これでいいんだろう。

 僕は最初に槍を上に放り投げようと思ったが、その前に鼻腔をひくつかせた。連中が発する腐乱臭はしない。音を出してみたが連中の気配も感じない。

 どうやらバルコニーにいたのはアイツだけらしい。良かった。顔を出したら連中がよだれを垂らしてもてなしてくれるなんて、ありがた迷惑の極みだからな。


「んじゃ死んだらごめんねー」


「死ぬのはいいけど感染したらさっさと飛び降りてねー」


 かなめに一応軽く今生の別れを告げたら、相応にかなめも軽く返してきた。構わないけど、ウチのリビングに戻りながらこっち向かずに吐き捨てるのはひどくない?

 アイツ、僕が死んでも泣いてくれそうにないんだよなぁ。


「うーなんかこれ揺れるんだよなぁ。それにしても木枯らしが骨身に染みる染みる」


 僕は軋んだ音を立てる梯子をおっかなびっくり登った。恐らくこのマンションが建設されて以来、この梯子を実際に使用した住民は僕以外にはいないだろう。

 だから何だよという話だが、信頼性は高いのかと疑ってちょっと怖い。というか現代っ子なので、梯子自体登ったのは今日が初めてな気がする。

 僕は槍を先に上に置いてから、バルコニーの上に上がった。砂埃がひどくてもう手が真っ黒になった。

 一応頼りないがマスクをつけてから、僕は槍を拾って、実家の僕の部屋の浴室くらいはあるバルコニー全体を見回した。10畳くらいか。


「こっちは床がタイルなのか」


 床は一面がザラザラした肌色のタイルで覆われていて、飾り気はないが温かみあるデザインだった。

 手すりも僕のところのようなレンガと鉄筋コンクリートではなく、分厚い曇りガラスだ。その下には小さなランプが4つついている。

 何が最上階の作りだけ違う建物みたいだな。部屋数が下の階より少ないから、バルコニーの面積も広いし、もちろん部屋数も多い。

 親父も空きがあったらこちらを契約してたろう。


「ずいぶんでかいラジコンヘリだな」


 カーテンが下されたガラス戸前に置かれたガーデンチェアの上に、池の鯉くらいのサイズのラジコンのヘリコプターが置いてある。

 ラジコンには詳しくないが、サイズ的に見て相当高いヤツだろう。リモコンが見当たらないが、室内にあるだろう。


「さて、中をガサ入れさせてもらうか」


 僕の部屋よりもこちらの方が住み心地が良さそうだ。何ならかなめを今のところに住ませて、僕はこっちに居を移すことも悪くない。蓋閉めたらかなめからはこっち来れないし。

 次、裸で密着しあったら多分18禁行為に及んでしまう。流石にそこまでしたら責任取ってかなめと結婚しなくちゃいけなくなる。

 行きずりの女を襲って孕ませて結婚なんて最悪絶縁もありうる。そうでなくても実家は追い出されるだろう。


「しかし、かなめをほったらかすのもそれはそれで心が痛む。かなめキレると精神年齢が10下がるからなぁ」


「ぁあ!?」


 しまった口に出してたか。かなめから憤怒の声が聞こえてきた。尚更帰りたくなくなってきた。

 僕はそう嘆息してガラス戸の取っ手を掴んだ。


「あら。鍵がかかってやがる」


 ここもここで鍵がかかっている。仕方ない、後でガムテープで塞ぐとして、なるべく穴が小さく済むよう注意して割るとしよう。

 僕は隣室で見つけたカナヅチをコートの裏ポケットから取り出し、ロックのスイッチがある窓枠の真ん中ら辺を割ると、指を切らないように慎重に手を入れた。


「お?」


 すると、何かがガラス戸を押さえつけるようにカーテンを挟んだ先でぴっちりと置いてある。端をめくってみたら、どうやら脚が見えるしソファのようだ。


「まるでバリケードみたいだな? 何のつもりだ?」


 ん? バリケード? 僕は変なことが不安と共に頭に浮かんだ。

 このガラス戸は外から鍵はかけられない。つまり、あのゾンビは誰かから追い出されてバルコニーにいたってことになる。そして、このソファはアイツが入ってこないようにするため。

 となるとつまり。


「誰か中にいるのか!?」


 僕が槍を最大にまで延長した次の瞬間。カーテンを引きちぎって大量のゾンビがガラスで顔を押し潰さんばかりに擦り付け眼前に現れた。最低でも5匹はいる。

 その内の一体は、顔を押し付ける力が強すぎて本当に鼻を潰してしまった。肉体が腐っているので、そのまま鼻が潰れてガラスに張り付き、ずるずる下に落ちていく。

 もう一体の女のは僕が割った箇所に気づき、自分が傷つくことなんか構わず、そこに何度も頭を叩きつけて亀裂を拡大させていった。

 冬眠明けのヒグマに見つかった鹿の気持ちが理解できた。


「ヒッ……うわァァーッ!!! ギャァァァッッッ!!! マジか嘘だろ!?」


 漢の中の漢の僕も、流石に恐怖に慄き絶叫した。慌てて退却しようと梯子を降りつつ蓋を閉めようとした。


「クソッ閉まらん!! 最悪だキレそう!!」


 梯子を降ろした状態では蓋が閉まらないようになっていて、慌てて閉めようとしたが再びハンドルを回す時間がない。


「あっ」


 なので逃げる方を僕は優先して梯子を降りたが、不幸にも足を滑らせて下のベランダにずり落ちてしまった。


「おうっ……」


 うまく足から着地できたが、流石に膝から下が悲鳴を上げ、ハンマーで殴られたような痛みが足首全体に走った。ひねったらしい。


「ど、どうしたのせー……?」


 かなめが僕の元に靴下で駆け寄ってくるが、その顔は青ざめている。なんかかなめが怯えてると庇護欲が駆り立てられるな。


「まずいことになった。あの部屋ヤバいぞ5匹はいる。僕を感知したから窓破って襲ってくるぞ! おい部屋部屋部屋!! かなめは部屋に引きこもってろ! 何があっても出てくるな!」


 僕は槍を振り回して、自分らの部屋を指差して、かなめの背中を手で尻を膝で押して家に入れた。


「待って! 戦わなくても蓋を閉めたらいいじゃない!」


「溶接しない限り絶対開けてくるよ!! それに閉めてる暇もない!」


「話変わるけどせーも漏らした!?」


「黙らっしゃい! 何期待してんだ!」


 そう言った時、上でガラスが割れる音がした。その破片を踏み割る音も。


「オラ退け! あっ退いてください!」


 僕がかなめを押し退けて武器になるそうなものを取ろうとしたら、乱暴な言葉遣いにイラついたかなめが、こんな時にも襟を掴んで邪魔してきた。


「クソッ有り物でやるしかないか……」


 例の熊よけスプレーと割れたビンの破片とハンマーの他に頼みの綱と言えば槍しかない。しかし、やるしかない。


「待ってよ私も戦うけど」


「いいよ女の子を危ない目に合わせるわけにはいかないだろ。君を守るために僕はここに招いたのに本末転倒じゃん」


 一人の女も守れないヤツに企業を守れるわけがないからな。


「誠一郎君……」


「かなめ……」


 僕らは互いに抱き合い、これが今生の別れになるかもしれないから、せめて愛を確かめるためキスをしようと顔を近づけた。


 ガチッ!


「いたっ……」


「いったい!! 何すんじゃゴルァ!!」


 お互いキス慣れしてないせいで、パキケファロサウルスの如く頭突きのような速度で唇を重ね合ったら前歯がぶつかって歯茎を切ってしまった。

 それだけならまだいいが、怒ったかなめが誠一郎の誠一郎に膝蹴りをかましてきたのは人としてどうかと思う。


「ぐぁぁぁあぁぁぁぁッ!! あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? テメェェェェェ!! 何してんだァァァァァァ!?」


「そんなオーバーリアクションしなくていいから。どうせ大した大きさじゃないんだから伸び広がった方が立派になるでしょ」


 なんで僕はこんな女を守るためにこれから命張らなきゃならんのだと、一瞬そんな疑問が脳裏をよぎり、ふん縛ってベランダに放り捨てようかと思った。


「いてて……じゃあ僕は隣の部屋で闘うから。何があってもホントマジで出てくんなよ。生きて帰ったら覚えてろよ」


「分かりました。じゃあ頑張ってねせいぜい! 死んだら骨は拾ってあげるから」


 と、僕らは憎まれ口を叩きあって別れた。だが、本当に嫌ってたら罵倒もしないからな。何だかんだ僕らは仲が良いってことなのか。いや、両思いなのか。


「ふー……」


 真上で連中が僕の侵入経路を探しているのか、あるいは飛び降りるのを躊躇しているのか、あちこちを徘徊する足音が聞こえた。

 僕は忍者の暗器だったというまきびしの存在を思い出して、ビンの破片を梯子付近に撒き散らした。

 そんな中で、もし僕が死んだらそこにどんな意味があるのかを考えた。生きている者はどんどん死んでいく世界で、生者が淘汰されるのが当たり前というなら、遅ればせながら僕もそれに加わる日が来たのか。

 まぁそれがそうなんだとしても、僕も黙って食われるのもムカッ腹が立つことなので、せいぜい命果てるまで死者が死ぬまで殺してやるとしよう。

 惚れた女のために死ぬなんてそれほどかっこよくもない。

 2024年12月29日。日曜日。今日が僕の命日になるのか。まさか自分が10代で死ぬ日が来るかもなんて夢にも思わなかった。

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