暗い日曜日 前編
かなめが布団から出ていき、隙間から染み込む寒気で目が覚めた。
まず思い出すのは昨晩のこと、思い返してみたら昨日の僕、キスだけで済ませて最後まで決して手は出さないのめちゃくちゃかっこよかったな。童貞は捨てられなかったけど同時に誇りも捨てなかった。
「……」
しかし、昨日は深夜だったからあまりよく見れなかったけど、いざ朝になって着替えるかなめを後ろから見ても、昨日ほどの興奮をあまり感じないのは何故だ。
アレか。人は無制限の自由よりも限られた中での僅かな自由をありがたがるっていう言葉のように、想像力を掻き立てられた暗い時の方が僕は興奮したのか。
現に今、かなめの爪がやたら長かったり、初めて会った時よりおなかが弛んでいることに気づいてしまった。昨日のはジョークで言ったのに本当だったのか。悪いことをした。
僕は、実は起きてると気づかず引っ張り出してきた僕のセーターを勝手に着るかなめを見ていた。それ素肌の上から着るものじゃないんだけどな。
今は何もできないので、僕は再び昨日のことを思い出した。考えてみたら昨日僕は彼女から求められてもそれを拒んだ。となると、もう僕の方からさせてくれなんて恥ずかしくて言えなくなった。
だが、彼女の方からまた誘ってくるのがいつになるかは分かんないし、もうないかもしれない。
クソッ、そう思った瞬間にかなめの汗で湿った肌が脳裏に浮かんでどちゃくそムラムラしてきやがった。バカなのか僕は。
もういいや。どっかの落語家も「若い時の嫁は食べちゃいたいくらいかわいかった。今思えば本当に食べとけばよかった」って言ってたし、かなめが綺麗な内にその美しさを僕の記憶の結晶として永遠に残していてあげよう。
「かなめ、ヤラせ」
「アギャアァアアアアアアァァァァアアァアアアアッッッ!!!」
僕がカーテンを開けるかなめに声をかけた時、かなめが両腕をもぎ取られたみたいな尋常じゃない絶叫を上げて僕に飛びついてきた。僕の大事なちんちんの数センチ前を踏みつけてすっ飛んできたので、背筋が凍り付いた。
「な、何どうしたのクモでもいたか?」
「ア、アタタタタ」
急にケンシロウの真似をして何なんだと、僕はかなめの抱きつく手の温かさがやたらダイレクトに感じると思いながら、かなめが指差す方向を見た。
「え!? どこから入り込んだんだ……?」
そこにはベランダでこちらを見てガラス戸を叩く全裸のゾンビが何故かいた。そして、僕も全裸だったことに気づくのには、それほど時間はかからなかった。
まだ眠気から冷め切ってないのと、あわや股間を踏み潰される寸前だった恐怖からも抜け切れていなかったので、自分でもおかしいと感じるくらい冷静でいられた。
「ど、どうしようせー……」
かなめは怯えて全裸の僕に抱きつくが、この構図だけ見ると彼女を間男に寝取られてる現場に彼氏が遭遇したみたいで面白いな。だが、ふざけてる場合じゃない。
「かなちゃん、槍持ってきて。僕が隣の部屋から回って倒すからとりあえず君は囮役になってくれ。適当に戸を割られても逃げられる距離でいい」
「え? うん」
かなめはテレビの上かゾンビの眼光に委縮しながら何とか槍を持ってきて、僕はその間にとりあえずパジャマを再び着なおした。
「え……!? 何でパンツ履かないの……?」
「履いてる時間が惜しいからです! というか人の着替えをジロジロ見ないでもらえますかねぇ! いやらしいなぁ」
「おや? さっき私の生着替え見てたの知ってますよ~」
「よし着替え終わったぞ! かかってこいゾンビ今すぐブチ殺してやっからなオイ!」
「あ、無視した。ねぇ私も一応武器欲しいんだけどなんかない? あの割れたビンはちょっと頼りないから他ので」
かなめから槍をひったくったが、そのかなめが戦闘に意欲のあることを言ってきた。昨日のゾンビを殺してしまったた罪悪感で心を病んだというキャラ設定はもう忘れたのか。
「あーそうだなぁ包丁とかでいいだろ。あっちの家にもあったから最悪アイツの血で汚れても構わない」
「うぃーっす、噛まれたらさっさと飛び降りて死んでね。昨日死んでも思い残すことがないようにしようとしてあげたのに断ったんだから後悔の中で死ぬがいい」
「ブラックジョークにしてはちょっとキツいな」
そう言って、僕はそそくさと隣室に移った。これでゾンビが僕の方に来てもそれはそれでいいけど、まぁ僕がゾンビなら若くてかわいい女の子の方を狙うよな。同い年だけど。
この部屋、特に何もない空き部屋だから一応かなめに貸し与えてるのに、本人は全然使おうとしない。僕も密室で寝るのはちょっと怖いから気持ちはわかるけど、あの子は一人の時間とか欲しくないんだろうか。
僕はその部屋のドアの鍵を開け、なるべく音を立てないようにサンダルを履いてベランダに出た。薄いパジャマ姿で屋外に出るのはやはりとてつもなく寒い、部屋の中でさえ肌寒いのだから当然だが、まるで知らずに冷たい露天風呂に入ってしまったようだ。
なので早く殺して熱い紅茶を飲みたい。あーホットアップルサイダー飲みたい。
うまいことかなめはゾンビを引き付けてるようだ。こっちには全く気付いていない。あえてガン無視するような賢しさは奴らにはないから嬉しいね。
「天誅!」
こういうのは出方を探っておっかなびっくりやってちゃダメだ。一気に駆け出して首を目掛けて一思いに斬り捨てる。ゾンビは走ってくる僕に気づいて黄色い目でこっちを向いたが、その時にはもう僕は槍を振り終わっていた。
「あーパジャマが血で汚れちまった。まぁ他があるからいいか」
僕は槍についた血を払う前に、切断された首を掴んで外に放り投げた。頭って思った以上に重い。生首を掴んでぶん投げたことがある大学生は国内では僕だけだろうな。
僕がリビングの方に目を向けると、かなめは我関せずと言った風でテーブルの上で板チョコをかじりながら漫画を読んでいた。そうですか。僕に任せて自分は楽するんですか。
「おーいかなちゃん。終わったよ!」
僕がガラス戸をコンコン叩いてかなめを呼び寄せると、かなめはのんきに欠伸と背伸びをしてから開錠してのろのろ戸を引いた。コイツ、僕がもし噛まれてゾンビになってたらどうする気だったんだ。
「おつかれー」
「大丈夫? 朝カーテン開けてゾンビが目の前にいたんじゃまたトラウマが呼び起こされちゃったんじゃ……」
「……トラウマ? あーそうね! せーが私より早く起きて私が寝てる間に殺してくれたらこんなことにならなかったのに! 全く勘弁してよね!」
やっぱり忘れてるじゃないか。だいぶ苦しくなってきたけどまだやる気なのか。もう馬脚どころかたてがみまで露になってますよ。
「うー寒い寒い、あーでもこれだけはやっとかないと」
僕はかなめを抱きしめて暖を取っていたが、ゾンビの死体を放置してもいいことは何一つないので、脇腹を歯を食いしばって持ち上げ、掛け布団を干すように手すりにかけると、死体は自重で真下に落ちた。5秒くらいして、血肉が入った水袋の割れる音がした。
「ダメだ寒くて死ぬ。ちょっと熱い茶を入れるから一緒に飲も」
「うん、ところでせー、ずっと前から聞きたいことがあるんだけどさ、嫌だった答えなくていいんだけど」
何だ急に改まって。怖いぞ。
「せーって何でゾンビ、というか人の姿をした生物をそんな躊躇いもなく殺せるの? 普通なら殺したとしても私みたいに苦悩するはずだと思うけど、それもないし。いや、別にせーを冷血動物だなんて思ってないわよ?」
言われてみればそうなんだが、僕だって初めてドアを叩くゾンビを殺そうと思った時は半日くらい悩んだ。
殺した後も心臓、その時はまだ首を切り離すのが一番効果的とは知らなかったから、刃が心臓に到達した瞬間に硬くなって力を強めなきゃ進まなくなったあの感触が、まだ手に消えないで残っている。
ようは慣れだ。
「簡単だよ、慣れただけだ。連中を人間とは思わず、犬や猫だと思えばいいんだ。そうすれば殺すのに遠慮はいらなくなるし、罪の意識も感じなくて済む」
「え? ワンちゃん殺したことあるのせー……? 最低」
急にかなめが僕をゴミを見る目で見てきた。何だその顔は、結婚を申し込んだ人間にしていい顔じゃないぞ。そして戸を閉めるな鍵をかけるな。
「誤解だ! 今のは単なる比喩表現だから! ああもう、というかあのゾンビはどこから入り込んだんだ……もしや」
隣の家のドアがまさか破られたのかと僕は疑い、すぐにそっちの方に向かった。
「ちょっと私を一人にしないでよ!」
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