一難去ったら次は四難は来ると思え 前編
ありのまま今日起きたことを話すぜ! 『僕は今朝、知り合ってまだ一月くらいの知り合い以上友達未満の女にいきなり求婚された』何を言っているのかわからねーと思うが、僕もかなめが何をほざいたのかよく分からなかった……。
この女、今まで僕のことなんて将棋ができる全自動湯沸かし機兼衛兵くらいにしか思ってなかったくせに、僕の家のことを知ってからの変わり身が早すぎる。誇りとかないのか?
なーにが僕が助けてくれたら不安に苛まれずに済んだだ。そんなガラスの心のヤツが、ゾンビをあんなアグレッシブに撲殺した後に食い物が喉を通るわけがない。というか僕がいつでも助けられると思うな。
大体なんだよPPAPって。PTSDだろ。なんであの状況でピコ太郎出てくんだよ……。笑い堪えるのに必死で腹筋が裂けて死ぬかと思ったわ。
昔っからこうだ。僕に関わろうとする人間はみんな金目当てだ。最初から無心が目的なのはまだいい。一番傷つくのは知り合ってから僕の出自を知って目の色を変えることだ。
このせいでまともな友人は高校の頃までできなかった。高校はボンボンのお坊ちゃまばっかが行くような名門校に行ったからな。
いや、そりゃかなめには好かれたいとは思ったよ? でも、あんな急に態度を変えてきたら下心を疑いたくもなる。僕は家柄でなく森川誠一郎という個人を見てほしかったのだ。かなめには。
そもそも、僕はかなめの顔や体つきは好きだけど、彼女の性格は苦手だ。自分本位だし沸点低いし、僕を凌駕する面倒くさがりだし……。体つきが好みと言っても、まだ彼女の裸を見たこともないし、無論僕も見せたことはない。
毎回体を拭う時に水じゃなくてお湯を要求するのに答えてしまう僕にも非はあるが。何で僕はこう彼女に甘いのか。
こんなことになるなら正直に言うんじゃなかった。嘘でも何でもついておくべきだった。
僕がかなめの過去を知ったから、僕も一応公平に打ち明けるべきかと思ったのだ。かなめはいびきはかかないけど、すごくスラスラと寝言を言うから聞くまでもなかった。
コイツ何にも下調べせず、地元でスカウトされたAV女優の採用オーディションを勝手にグラドルのだと勘違いして上京したらしい。バカだバカだと内心思っていたが、ここまでとは思わなかった。
考えてみたら、僕はかなめにどういう形で好きになってもらいたかったのかが分からない。
恋人ではない。何故なら僕には許嫁がいる。
ウチの銀行の鮎川専務の娘の星子さんだ。次期頭取に最も近い人だから彼の娘と僕をくっつけることで、親父が頭取を退いても宇都宮銀行が森川家の手から離れないよう保険としての政略結婚だ。
もっとも、今となっては親子揃って連中の仲間入りしている可能性の方が高いか。
星子さん、3回しか会ってない。最初は互いの母親同伴で料亭で食事をした時。最低限軽く話したくらいで彼女のことは何も知らないけど、美人だったな。
中性的でボーイッシュな雰囲気の人。それでいて着物姿が色っぽかったことを覚えている。いきなり初対面でお袋から星子さんと結婚を前提に交際なさいと言われた時は、思わず聞き返した。
2回目にあったのは2か月前か。親父かお袋が教えたのか何故かこのマンションに突然訪ねてきた。その時に校章のワッペンがついた黒いブレザーを着ていたので、彼女が女子高生だと分かった。
アルバイト以外で年下の子に敬語を使ったのは彼女が初めてだった。何で来たのですか尋ねたら、開口一番に婚約を破談にしてくださいと頼み込んできた。
確かに、高校を卒業してすぐ親の一方的な都合で結婚なんて嫌だろう。だが、玄関前で絶対に僕とだけは結婚したくないと号泣された者の気持ちが彼女に分かるか? お?
何で1回しか会ってないのにそこまで嫌われたのかが理解できないが、靴も脱がずに玄関で土下座するJKの懇願を無下にはできなかったし、僕も彼女に執心していたわけじゃないから受け入れた。
彼女が置いて行ったぼたもちを食べながら、僕は親父に電話でこれこれこう当人達で話したから、婚約のことは全てなかったことにしてくれと伝えた。
そうしたら週末、お袋に実家に戻ってくるように言われたから日帰り気分で戻ったら、何故か家に鮎川夫人と星子さんが来ていた。その上、まだ昼間なのに親父と専務まで。
理由をお袋に尋ねると、親父→専務・お袋→夫人の順に関係者全員に破談を星子さんが求めたことが知れ渡っていて、慌てた親父が急遽僕らを引き合わせて双方の親の前で、互いに結婚を前提とした交際をするよう求めてきた。
星子さんはチベットスナギツネの顔真似をしていたが、家で相当揉めたのか泣き腫らした目で出された湯飲みの茶を見つめていた。
僕は星子さんが嫌だというなら僕も彼女を幸せにはできないから、僕の相手は僕の裁量で探すと言った。
そしたら、親父にお前のようなまともな恋愛をしたことがない人間が見つけてくる女など、見てくればかりの浅ましく小賢しい女だと、これまた失礼なことを言ってきた。悔しいけどだいたい合ってる。
だから、お前のためにお前にはもったいない器量の女性を見つけてきたのだから、星子さんと仲良くしなさいと言われた。
右腕の前で親父と口論することもできた。しかし、ここで断ってもまた日を改めてしつこく交際を迫られるだけだし、何より一応は婚約者の星子さんの前でみっともないところを見せたくなかった。
だから、星子さんに僕なんかでいいんですかと今一度尋ねた。そしたら彼女はか細く無無表情で、いいですと答えた。まぁまず(僕が)いいですじゃなくて(もうどうでも)いいですだろうな。
親父はホッとして決まりだなと言い、お袋は鮎川夫妻に出来の悪い息子だがよろしくお願いしますと事務的な挨拶をして、帰る3人を見送った。
フィアンセには泣いて結婚を嫌がられ、母には出来の悪い息子と言われ、一番傷ついたのは僕なのに、さらに帰った後に親父の手を煩わせるなと怒られた。今思い返してもキレそう。
そうして交際は始めたものの、僕は星子さんとはメールですらやり取りせずに、それ以降は両者一切の交流はなかった。高校は二学期のど真ん中だから仕方ないが、せめて初対面の時に僕のどこを嫌悪したのか教えてもらいたかった。
「いって!」
今生で会うことはあるんだろうか。僕がそう思いながら寝っ転がってあくびをした時、隣のかなめが寝ぼけて僕の前髪を引っ張った。僕が親父似で親父がハゲなのを知っての狼藉か?
全く踏んだり蹴ったりだ。
かなめは恐怖に怯えて僕と密着していないと怖くて寝れないとかわざとらしく抜かしてきた、僕は嫌だったが僕の性欲は賛成したのでやむなく同じ布団で寝ている。
良くも悪くも警戒されなくなったなとつくづく思う。以前は毛布を掛け直してやっただけで掌底を食らわせてきた女と同一人物とは思えん。男として思われてるのか?
添い寝は彼女の体温を間近で感じ取れるからあったかくはあるのだが、流石に一人用のに二人はきついので、僕はかなめが寝た頃合いを見計らって寝袋で寝るつもりで布団から出た。
「シチューと硫化水素とモスクワと革命のエチュードは一緒に食べてもうまくないと思うぞ」
連中は夜行性らしく、夜中はかなり活発に動く。何の関連もない単語を繋げただけだが人語を話す声も聞こえる。僕も夜間の連中は殺したことがないので未知数なところがある。
寝袋を引いたが、少し小便がしたくなって、壁を手探りにトイレに向かった。流石にトイレの中では明かりを点ける。
そういえばあの二児のお父さんの家にあった包丁を、ケースに入れて便器の横に置いてみた。これで大便中に連中が来ても戦える。ちなみに槍は危ないから普段はリビングのテレビの上の台座を定位置にしている。
僕は小便を出し終わって流して立ち上がってドアノブに手をかけた時だった。
「あぴゃっ」
「何で私を一人にさせるのよ」
ドアが勝手に開いたと驚いたら、すぐそこに熟睡していたはずのかなめが、虚ろな生気のない目で立っていた。と、書いたらいかにも心を病んだみたいに感じるだろうがただ眠いだけだろう。
危なかった。たまに僕はドアを開けてからズボンを上げてるからな。
「起きてたのか。別にトイレくらいいいだろ。それともなんだ。君が風呂に入ったりトイレで用を足してる時に、僕が隣にいてもいいのか」
僕は変な声が出たことを誤魔化すために、少しきつい言葉遣いをかなめに話しかけた。かなめはそれにこう答えた。
「いいわよ」
「えぇ……」
マジかよ。どちらもただの変態じゃないか。しかし、少し語弊があると感じたのか付け加えた。
「いや、ドア越しにってことよ。せーがいなくなったのを敏感に察知して飛び起きちゃうくらい私の神経はダメージを負ってるの! いいから寝直すわよ!」
そう言って、しかめっ面で僕の二の腕を掴んで強引に僕をリビングに連れ戻していった。
うん、神経にダメージを負ってる人は自分で神経にダメージを負ってるなんて絶対言わない。しかも、洗ってない僕の手ではなく二の腕を掴む冷静さも持ち合わせている。
全く急に僕に懐きおってこの悪女め。財産目当てで擦り寄ったところで無駄だ。
「かなちゃん、気配を消してドアの前に立つのやめてくれる? すげービビったんだけど」
「まぁ私がせーにやられたら血祭りにしてるわね、だからやらないでね?」
「変だなー心的外傷負った人が脅迫なんかしちゃうんだ」
「うっ」
早くも馬脚を現しかけたな。
しかし、この小悪魔な部分と天真爛漫な性格が同居しているポンコツなかなめに、僕は妙な愛おしさを感じてしまう。僕が好きなのは彼女の容姿だけのはずなんだが。
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