退屈極まる籠城生活
「こうして、僕の引きこもり生活が幕を開けた。
水道と電気とガスはしばらくは使えたのだが、電気以外は使えなくなった。水道も出るには出るのだが、妙に水が濁っていて飲むのが怖い。上水道のどこかに奴らの死体が浮かんでたりしてそうで、迂闊に飲んだら感染しそうだ。
テレビは今も見れるのだが、番組は何も放送しておらず、それは間接的にテレビ局がある遠方もすでに絶望的な状況にあると察しがつく。もし無事ならば、たとえ有益な情報が入手できなくても、気晴らしにアニメでも時代劇でも放送しているはずだからな。
ある日、何となくテレビをつけたら、よく見ていたワイドショーのキャスターが、およそ放送中とは思えぬ疲れきって青ざめた顔で、いくつかこのパンデミックについてのニュースを口頭で読んだ後。
「このスタジオのすぐ下の階にも感染した方がいます。残念ですが、この番組は今日をもって一旦休止とさせて頂くことを、ここに深くお詫び致します、また皆様とお会いできる日が来ることを願って。さようなら」
と頭を下げた瞬間、画面に花畑の画像が表示されたっけ。
おそらくスタジオの扉を塞いだ状態での、死を目前にした放送だったのだろう。アナウンサーは整髪料はつけていなかったが、しっかりとアイロンをかけたシワのないスーツを着ていて、そこにプロとしての矜持を感じた。
以来テレビは砂嵐を写すだけの粗大ゴミと化した。こんなことならレコーダーやゲーム機を貯金を崩してでも買っておくべきだった。ゲームは成績が出た春休みになったら買おうと思ってた。
外を見ると、連中は今日も辺りを酔っぱらったような千鳥足でうろついている。片手が取れかけている、あのゴスロリを着た女のゾンビ、派手な服装で目立つからよく見るが、3週間以上経った今も変わりないということは、連中は飢えて死ぬことはないらしい。
このパンデミックはどこまで感染が広がっているのか知るすべがないのは恐ろしい。
下手したら、関東全域どころか、日本いやアジア全体、最悪地球全土が奴らゾンビでごった返しているかもしれない。そう思うと、僕は本当に生き残ったことが幸福だったのか疑わしくなる。
生存者は見たことはあるが、同時に死んでいくのも見た。
連中は非力な僕でもサシでなら殺せるくらい単体なら弱いが、複数で囲まれたら丸腰で振り切ることは難しい。
ゾンビの怖いところは顎。噛む力が常人よりも強い。いや歯が欠けたり、出血とかを意に介していないと見るべきか、普通に骨ごと肉を噛み千切ってるのを見た。
噛まれたら感染、あるかわからないが、免疫を持っていたとしても重傷は避けられない。あんなのと進んで真っ向勝負する気はない。車があるなら話は別だが、残念ながら僕は免許を持っていない。
化け物みたいな身体能力を持ったゲームの主人公でもない僕にできるのは、ただひたすらこのマンションの自室に立て籠もることのみ。
食糧は結構ある。生鮮食品はさっさと腐る前に食べたけど、それでも水は断水を予期して、コップやらペットボトルやらバケツやらに溜めていたのと、炭酸水が好きだったから箱買いしていた。あとはコーラと緑茶とレモン汁も未開封のものがある。
食べ物も、登山部でサバイバルマニアみたいなところがあったから、無駄に缶詰をたくさん持っている。乾パンや賞味期限が4年ある蒸しパンみたいな保存食も持ってるし、チョコとか菓子類も結構残っている。実家から送られてきた米も。
登山用のガスコンロとそのボンベもあるから、カップラーメンを食べることも可能だが、ガスは何か役に立つかもしれないから温存しときたい。
欲を言えば、よく食べていた油そばやそれこそ最後の外食だった寿司を食べたいが、無いものねだりをしたところで空しくなるだけだから、考えないことにしている」
「よし、寝るか」
「基本的に一番の敵は暇だ。マジですることがない。体力をあまり使わないように日中の大半をナマケモノのように寝て過ごしているが、起きている間は本当にすることがない。
買ってきたまま読まなかった本はもう全部読んだ。興味が無い不動産や英会話塾のチラシも読んだし、勧誘に来た宗教団体に押し付けられた、パンフレットというにはやたら分厚い書類も目を通したし、教授が印税目当てに生徒に買わせる、自分が書いた学術書も読んだ。
読むもんがなくなったら、妄想をして過ごした。それはもうここに記せないくらい破廉恥なものから、昔の思い出を脚色して鮮明に回顧したり。ただ、案の定数日で飽きた。
実家から、中学生の頃に好きだった縦笛を持ってくればよかった。楽器があったら今ほど暇はしなかったと思う。いや、楽譜が無いとダメか。
最近思いついたことは、目についたイラストや写真を模写することだ。まずはとりあえず、教科書にあるミツバチの写真を描いてみた。
1度目は蜂の面影をかすかに残した悲しきクリーチャーを産み出してしまったが、少しずつ上達し、4回目くらいで素人にしてはうまいくらいの出来になったのが面白かったので、今のマイブームとなっている。
と、まぁ暇を持て余している件についてはここまでにしよう。他に辛いことは孤独だ。やはり、独りぼっちは辛い。
元々、一人でいることが苦ではなかったのと同時に、それなりに話好きだから、サークルに入って友人を作っていた。誰かと話したい。
先日、近くに生存者がいないかと大声でベランダから叫んでみたが、返事は返ってこなかった。別の日には夜間にスマホのライトを点滅させてみたが、やはり返事はなかった。
こうして見ると、何十万人もいる区民の中で、自分だけが生き残ったことは本当に奇跡だったんだなと思う。倍率何倍なのかは検討もつかない。
今まで福引で駄菓子以上のものをもらったことがないが、ここにきて我が命という素晴らしい景品をゲットした。
誰かと会話がしたい。先日、レジ袋の中に丸めた紙を詰めて、それを人型に繋ぎ合わせた即席の人形「誠二郎くん」を作って話しかけてみた。
これが意外と楽しかったので半日語りかけていたけど、これに本気でのめり込んだらいよいよ発狂するなと感じ、自分からやめた。
よく布団を天日干しするためにベランダに出るが、その度に下を見下ろしてしまう。もしかしたら、心のどこかで孤独に耐えきれなくなって、自殺を考えているのかもしれない。
考えたくないことは山ほどある。家族や幼馴染やサークル仲間はどうしているのか、メールを送っても返事が来ないのが怖くて仕方がない。
このまま時が過ぎていけば、やせ細っていくのは心も同じで、そうして絶望のあまり死を選ぶのも違和感のある行動ではない。
今の僕の心を繋ぎ止めているのは、日課の毎日50回の腹筋とスクワットとシャドウボクシングに、写真の模写のみだ。ん? あれっ?」
もしかして、今までのこと全て口に出していたのか? 完全に無意識だ。喉が渇いたから水を少し飲む。
ここ最近、頭で思ったことがすぐに口に出てしまう。考え事と独り言が切り離して考えられない。頭の中にいる小人の言葉を、僕が小人に代わってそっくり代弁しているようだ。
そう思うと、何だか頭が痛くなってきた。気分を落ち着けるためにも、乾パンの缶詰に入っていた氷砂糖を口に入れた。砂糖の優しい甘さで脳がすっきりする。少し舌で転がしたら、吐き出してまた缶に戻した。
その時、もはや何度目かわからないドアが引っ張られる音がした。
「何だよ、また例のアレが来たのか。上等だ、ぶっ殺してやる」
「すいません誰かいませんか? お願い、助けてください!」
「あ?」
慌てふためいた女の人の声と共に突然、インターホンが押されてベルが鳴り、ドアが何度も何度も叩かれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます