外はゾンビだらけ。だから僕らは立てこもる。

ザワークラウト

プロローグ

「うるさいなぁ……眠れないじゃないか……」


 誰かが玄関のドアをしつこく叩いている。いや、その激しさはドアを殴っていると表現した方が正しいだろう。こうもうるさいと寝ようと思っても中々寝れない。

 時刻は午前11時で、なおかつ今日は火曜日とゴリゴリの平日だが、どうでもいい。僕は寝たい。7時に目が覚めて、次は10時半くらいに目が覚めたが、三度寝だろうとそんなこと関係ない。


「よく飽きないもんだな……」


 ドアを叩く音が止むのを僕はじっと待ったが、一向に止む気配がない。ここまで諦めが悪い個体も珍しい。大体は1分、長くても3分もしたら消え失せるんだが、今日のヤツは数えてないが少なくとも15分は叩いている。朝ドラ終わるぞ。


「クッソ……眠気飛んだわ……」


 僕は嘆息してソファから起き上がって、テーブルの上の開けっ放しでしけたポテチを何枚か摘まみながら、その横にある手製の槍を掴んだ。 

 槍と言っても福引で当てた自撮り棒に包丁をくっ付けただけのシンプルなヤツだ。突き刺す時に力を込めすぎると、柄が縮んでしまうのが欠点だが、結構気に入っている。


「何? 昨日も来たでしょ? またぁ?」


 フローリングの上に毛布を敷いて、敷布団の下敷きになってあべこべに寝る来栖かなめも、その騒がしさに起きた。

 彼女は女優を目指していただけあって色白で顔はかわいいし、ついでに巨乳だけど、やや感情の起伏が激しくて、怒らせると怖くはないが、ネチネチと後を引くからタチが悪い。今着てる僕のジャージも強引に奪われたものだ。そして布団も。


「もしかしたら、人間を察知できるのかもね。僕がやるからかなめは寝てな」


「言われなくてもそうするつもりよ?」


  僕はそれを持ったままタンスが置かれた廊下を渡り、途中忘れた軍手を取りにリビング引き返して、手にしっかりはめつつサンダルを履いた。

 ドアはまだ叩かれている。見ると、バリケードとしてドアに置いていた下駄箱が振動で動いて間に隙間が出来ていた。僕は下駄箱を脇にどかすと、同じ目線の高さにあるドアの小さな覗き穴に目を近づけた。あまり接近しすぎると、目を打つので慎重に。


「うーむ……」


 やはり、ヤツらがいた。

 別に放置してもいいのだが、付近のが引き寄せられて、これ以上うるさくなったら困る。ドアは流石に破れないだろうけど。

 僕はストッパーをドアにかける。これをかけないでロックを解除するのは絶対にやってはいけない。僕は槍を握り締めると、もう一度ドアストッパーがちゃんとかかっているかを確かめてから、意を決して上下二つのカギのつまみを回して、開錠した。


「うおお……やっぱり何回見ても気持ち悪いなアンタらは」


 開錠した瞬間、ドアがすごい勢いで後ろへ開き、そこにドアストッパーが引っかかって耳障りな大きな音を立てた。同時に、傷んだお米の臭いを10倍キツくしたような、ひどい悪臭が僕の鼻の穴に押し入ってきた。


「一応聞いてみますが、こんにちはーおはようーハロー、ニイハオ、カムサハムニダ、ジャンボ……あとはえーと、 ガラブ・ワナークサン!」


「アッサラームは?」


 ドアを挟んだ向かい側にいるのは、人間の形をした何かだ。目や鼻はあるし、手足も4本あって、きちんと立っているが、血走った目に錆色の肌、顔中に巨峰のような紫色の吹き出物が現れた醜い姿は、とても僕と同じ生き物とは思えない。

 ありふれた言葉を借りるなら、これは「ゾンビ」だ。

 数か月前から、今目の前で唸り声を上げて僕を襲おうとしているゾンビと同じようなのが各地で現れ、それはツイッターのトレンドにも入っていたが、僕含めて哀れな精神病患者か何かだと思って楽観視していた。でも、ある日を境にコイツらは爆発的に増え、一日で僕の住む区内を飲み込み、占領した。


「うん、やはり会話は成立しないか」


 今、目の前にいるようなのが街には溢れかえっている。僕はマンションの8階に住んでいるのだが、どうやらエントランスのオートロックドアが破壊されたらしく、こうやってわざわざ階段を上がってやってくるヤツがよくいる。

 最初の頃はコイツらがドアを叩くと、玄関に近づくことすら出来ず、毛布に包まって震えていたものだけど、最近はドア越しなら大して怖くなくなったし、何体かはこの手で始末している。そして、コイツもその内の一体になるのだ。


「おっ自分から狙いやすくしてくれるのか」


 僕が槍の長さを調節していると、ゾンビはドアの隙間に手をねじ込んできて、ドアが半開きで固定された。

 僕はその瞬間を好機と捉え、素早く槍をヤツの喉笛に突き刺した。そのまま手首をひねって槍を横向きにすると、引きちぎるようにゾンビの首を切断した。 

 僕は非力だが、ゾンビはやはり腐敗しているからか体が脆い。故に、群れではなく単体ならそれほど脅威ではない。痛覚が消えているのか、腕や腹に槍を刺しても平気の平左なのはかなり不気味だが、それでも今みたいに迷わず首を刎ねてしまえば心配ない。

 落ちた首は真横に転がって僕の死角に消え、胴体は腕がドアに挟まって邪魔だったので、かなり嫌だったが、手首を掴んでぐいっと押し倒した。


 「今回は血が刃を伝ってないな。ああなると掃除が大変だから助かるよ。おっと」


 僕はあることを思い出し、ゾンビの死体という言葉も変だが、とりあえず死体の擦切れたスラックスや上着のポケットを刃で叩き、膨らみがあるかを確かめた。

 財布を持っているか知りたいからだ。もちろん今はホテルにもコンビニにも行けないが、もし救助が来た場合、避難所とかでも悠々自適に過ごせるよう、少しでも現金は多く持っていたい。


「おっラッキー長財布だ。どれどれ」


 ゾンビの上着の内ポケットに革の財布が入っていた。引き寄せて中を検めると、万札が3枚と千円札が1枚入っていた。あとは運転免許証と西新井のラーメン屋のポイントカードに、アパレルの会員証とかだった。


「沢村圭三郎さんか。この金は大事に使わせてもらいます」


 僕は財布から現金だけ抜いて、あとは死体の腹の上に投げ捨てた。玄関前には他にも2体の僕が倒したゾンビが転がっている、冬だからまだいいが、夏場ならきっと見るも無残なものになっているだろう。無論臭いも。

 僕は再びドアを閉めて、鍵をかけた。

 そして下駄箱を元の位置に戻すと、サンダルを脱いで洗面所に向かい、乾いたタオルで刃についた血を拭いた。ここで指を切って感染とかしたら全く笑えないので真剣に拭う。

 できるなら真水で洗いたいところだが、水道が止まっている今、水は貴重なので体を拭いたり飲む以外での使用は極力控える。

 僕は槍を収縮してテーブルに置き、窓を開けてベランダに出て、寒風を肺に満たした。快いものだったが、背後でかなめが空気を読まずにぶっきらぼうに愚痴った。


「寒いんだけど」


「すいませんね」


 いつだったか、人は3日間部屋から一歩も出ないと発狂すると聞いたことがあるが、あれは多分、日光が入らない完全密封の暗闇の中での監禁のことを言うのだろう。そうじゃなければ、すでに4週間近く家から出ていない僕が、正気でいられるはずがない。


「救助はいつ来るのかな……自衛隊が全滅したなら国連でも何でもいいから来いよ……」


「だから寒いんだけど」


「わかったよ」


 身を乗り出して真下を見ると、横転したり乗り捨てられた車が散乱する車道を、我が物顔で複数のヤツらが闊歩している。車の中を覗き込んだり、アスファルトの亀裂につまづいて転ぶのもいるが、どれもみな薄汚れた格好でふらふら歩き回っている。

 ヤツらは座ったり立ち止まったりせずに四六時中動き回っているが、どこか行く当てはあるんだろうか? それともマグロみたいに止まったら死ぬのか? 

 僕はどこに行けばいいのかわからない。目的地があったとして、この変わり果てた死者が支配する街を命を保ったまま出歩き、無事にそこにたどり着くという自信は全くない。

 何日か前に、外を出歩いていた若い女の生存者を見たが、すぐにゾンビに取り囲まれて断末魔を上げたかと思えば、その数分後には連中の仲間入りを果たした。それを間近で見せられてからは、一層外に出るのが怖くなった。


「さて、寝直すか」


 このマンションは僕の唯一にして最大の砦。僕は蛮勇に駆られることもなく、絶対にこの部屋から一歩も出ずに生き残ってやる。食糧も水もまだ余裕はあるが、追い詰められたら別の手は考えてある。

 しかし、ゾンビも怖いが、一番の敵は孤独だ。もし地球がヤツらのみになり、僕が最後の一人になったらどうなるのか、考えない日はない。ソファに寝っ転がった今も。

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