フィリップの取り引き
《マモナ城――地下牢》
思えば今日は人生最悪の日であった。
日付が変わって早々、クラリスと喧嘩をし、会いたくもない
そう。ヴィクターは今、監禁されていた。
「ッ……やっぱり、開かないか……」
何度目かも分からない、靴の底から伝わる鉄の感触。
格子状の鉄の扉はいくら蹴ろうともびくともせず、いい加減に足が悲鳴をあげはじめていることが分かる。
両手は後ろ手にロープで縛られ、頼みの魔法も魔封じの術がかかっているのか、たいした威力のあるものは発動しない。
そもそも魔法ありきで今の今まで生き延びてきたヴィクターにとって、武術の心得なんてものははなから存在しないのだ。こうして何度も蹴っても開かないのならば、助走をつけようが体当たりをしようが開くはずがないのである。
――なにもできない、か……。クラリスが危ない目にあっているかもしれないのに……
時計も窓もなく時間の概念を感じることができない今、ヴィクター自身もはたして自分がどれだけの間気絶していたのかは分からない。
その不安や苛立ちをぶつけるかのように、こうして牢の扉に八つ当たりまがいのことをし始めてから三十分以上は経過しているはずである。
いい加減、疲れと諦めも顔を見せはじめてきた。
「……」
ヴィクターは扉から離れると壁に背をつけ座りこむ。
ろくに掃除も行き届いていない埃っぽい空気と、気絶する直前まで吸いこんでいた相性最悪な毒霧のおかげで頭痛がする。本当ならば横になって休みたいという気持ちもあれど、硬い石の床を前に今はそんな気分にもなれなかった。
「――んだよ。思ったよりも早い目覚めじゃねぇか」
「……フィリップ」
音もなく、黒い羽根をまき散らしながら牢の外に現れたのはフィリップであった。
羽根は床に落ちるたびに黒い光の粒となって消えていき、その光に囲まれたフィリップは牢の奥で壁にもたれるヴィクターを見つけると怪しい笑みを浮かべる。
「早いっつっても、常人よりはって話だけどな。昔のオマエだったら五分ですら寝ることなかっただろ」
「……今は、あれからどれくらいの時間が経っている」
「ん? だいたい一時間くらいじゃねぇの。ホントは客室でも用意してやろうかと思ったんだけどなぁ。ポールちゃんが、あの女に張りついてるオマエにヤキモチやいちゃっててさ。オマエはここがお似合いだとよ」
「ッ! クラリスは。クラリスに手出しはしていないだろうね」
少しうつむき気味だったヴィクターの顔が跳ねるようにあげられる。
ここまでなにもヴィクターからの反撃や使い魔の襲撃がないことを見るに、フィリップがほどこした魔封じの術が効いているのだろう。
余裕ぶって優位に立つことが好きな相手がなにもできない状況に、フィリップは内心でほくそ笑んでいた。
「あーなんだよオマエはもう。二言目にはクラリスクラリスって。俺はなにもしねぇよ。ちょうど
「……彼女になにかあったら」
「俺の喉笛食いちぎってやる、だろ? 分かってるよ。俺も別にオマエを怒らせたいわけじゃねぇんだ」
そう言うとフィリップは腕を組んで牢に背を預ける。
「それにしてもポールちゃんってば、えらくあの女のことを気に入ったらしいな。たしかに顔はいいし……出自を教えてやったら目の色変えてねだりはじめてよ」
「ふん、そこは見る目があるじゃあないか」
「なんでオマエが得意そうにしてるんだよ。おかげさまで俺は、オマエがあの女から離れるまで四六時中監視しなきゃならない羽目になったんだぞ」
「それならば別に、昨日キミがワタシに手駒を差し向けていた間にでも時間はあっただろう。ただの人間に下手な小細工までさせてきたくせに」
「そのつもりだったのに拠点に何匹も
フィリップはくるりと牢の中のヴィクターの方へ振り返ると、靴先で硬い床を軽く叩く。
すると数えきれないほどの黒い羽根がぶわりと彼の周りに浮き上がり、フィリップの姿が黒いカーテンに隠される。
気がついた時には、彼の姿はヴィクターのすぐ近くにまで
「いいのかい。そんな不用心にワタシの近くにまで来てしまって」
「魔法の使えないオマエなんて怖くねぇよ。それにこれから真面目な話しようってんのに、あんな鉄棒越しに話すだなんて、対等なトモダチのやることじゃねぇからな」
「真面目な話……?」
こんなにも人の自由を奪っておいて、今更対等とは。
きょとんとした顔でフィリップを見上げるヴィクターは、どうやら本当になんのことかが分かっていないらしい。
その様子を見てフィリップは「マジかよ……」と呟くと、呆れた表情で彼を見下ろした。
「もう忘れちまったのかよ。言っただろ。俺と取り引きしようぜって。そのためにわざわざオマエとあの女引き剥がしたんだから」
「あー……たしかにそんなことも言っていたね」
「そうだよ。オマエにとっても良い話だと思うぜ? なんせオマエの好きなことに関する話なんだからな」
「ワタシの?」
意味が分からないといった表情のヴィクターには、てんでフィリップの話の意図をはかることができない。
そもそも自分の好きなことと言われても、ピンと思いつくものがないのだ。
「ああ。単刀直入に話させてもらうよ」
フィリップはしゃがんでヴィクターと目線を合わせると、それまでとは打って変わって真面目な表情で話を切りだした。
「ヴィクター・ヴァルプルギス。
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