望まなかった婚約

 すっかりポールへ軽蔑けいべつの眼差しを向けるクラリス。しかしそんなことにも気がつかない彼から次に発せられた言葉に、彼女は耳を疑った。


「クラリスちゃんが来てくれたから、これで僕の花嫁探しも終わりだ。――実は今、君の故郷に連絡をとっていてねぇ」


「ッ! 私の……故郷……?」


 クラリスの故郷。――ヴィクターが教えてくれなかった、今のクラリス彼女の記憶の奥底に眠る過去のクラリス彼女のこと。


「そうだよ。君の故郷のコーディリア国だ。聞いたよぉ。クラリスちゃんはあの《禍犬まがいぬ》につきまとわれて、誘拐されてしまったんだよね。今まで怖かったよねぇ。でももう大丈夫。フィリップ僕の親友がいれば、もうあんな魔法使いなんて怖くないから!」


「まが、いぬ……? それってヴィクターのこと――待って。そうなんだったらヴィクターは? ヴィクターは今どこにいるの!?」


 もう態度を気にしている場合ではなかった。

 それもそうである。ポールの言い方は、まるで彼の身になにかがあったことを思わせるようで。


「心配すんなって。アイツなら牢屋で大人しくしてもらってるからよ」


 そう答えたフィリップは、いつの間にかクラリスの背後へと移動していた。


「いやぁ、最後まで健気けなげなもんだったぜ? 動けなくなってもオマエになにかあったら許さねぇって言っててさ。アイツのあんな必死な顔なんて久しぶりに見たわ」


 クラリスの耳元で彼はそう囁くと、パッと姿を消して再びポールの後ろへと控える。


「……私だって。彼になにかあったら許さないわよ」


「なんだよ。そこは『今まで私につきまとっていた誘拐男から救ってくれて、ありがとうございます。フィリップ様』じゃねぇのか?」


「誘拐って……誰がそんなこと言うもんですか。王様のお目当てが私なら、彼はこのことに関係はないはずよ。今すぐ解放して」


「それはできねぇお願いだよ……なぁ、ポールちゃん?」


 新しくワインが注がれたグラスを一気に飲み干し、ポールはフィリップの言葉にうなづいた。


「その通りだ。彼はコーディリア国に追われている罪人。だから身柄を引き渡すことを条件に、僕はクラリスちゃんを救った英雄として、あの大国に優位な関係を結ぶのさ! ……あとは君とさえ挙式をあげてしまえば、地位もクラリスちゃんも僕のものになる……!」


「そ、そんな……じゃあヴィクターは……」


「それは僕の知ったことじゃないさ。おおかた一生独房に閉じこめられるか処刑されるか、そんなところじゃないかなぁ。不老の力をもってる魔法使いなら老いて死ぬこともないし、過去には発狂してもずっと牢に閉じこめられてたって例もあるからねぇ」


 おおげさな物言いではあるが、しかしクラリスには重く響いた。

 いくらヴィクターといえど、彼が今現在手も足もだせないような状態であるのならば――おそらく彼に明るい未来は待ってはいない。

 ヴィクターが罪人であるということはクラリスも分かっている。そして世界中の人間から見れば、きっと彼にとってその結末がのだということも。


 ――でもそんなの、嫌だ。


 しかし、それがクラリスはたまらなくだった。

 なんでかは分からない。しかし理由なんて考えるだけ無駄だということは分かる。

 彼女の心の中の、彼女も知らないもう一人の自分が。彼をこの世界から失うことは嫌なのだと、そう叫んでいた。

 ゆっくりと、クラリスが椅子を引く。


「――私、王様と結婚します。なんでも言うこと聞きます。食べものも、服の好みも、王様の望まれるものすべてに応えてみせます。だから……」


 クラリスは立ち上がると、視界を薄い涙の膜で歪ませながらも深く頭を下げた。


「お願いですから、ヴィクターを助けてください。お願いします……!」


 力をもたないただの人間クラリスには、そう懇願こんがんすることしかできなかった。

 そう、頭を下げて。自分の思いに無視をして。限りなく嫌いに近いであろう相手に、びへつらって助けを求めることしかできない。


 彼女の献身的けんしんてきな態度をポールはそのギョロりとした瞳で見つめていたが、やがて彼はゆっくりと身体を揺らして立ち上がるとメイドを数人手招きで呼びつける。

 彼の元に招集したメイドたちはそれぞれ慣れたようにポールの手や腰を支え、彼が転倒しないようにと誘導をしようとする。


「王様!」


 そのまま扉へ向かおうとするポールにクラリスは顔を上げて慌てて呼び止めようとするが、ポールは振り返ることはしなかった。


「君のお願いは聞けないよ。クラリスちゃん」


「ッ……どうして……」


「だって、クラリスちゃんが僕のためになんでも言うことを聞いてくれるのは当たり前だろう? 僕のお嫁さんになるんだもん。それが他の男のため仕方なくだなんて、そんなの僕は面白くないよ」


「……」


「きっと君はまだ混乱してるんだね。フィリップに君の部屋まで案内させるから、そこでゆっくりおやすみ。またディナーの時間になったら僕とおしゃべりしよう。ね、クラリスちゃん」


 その言葉を最後に、ポールが部屋を出ていく。

 呆然とその去っていく後ろ姿を見ていたクラリスは、ペタリとその場に座りこんだ。


「なんで……私はただ、ヴィクターを……」


 ――彼に偉そうに説教をしたのは私のくせに、連れ去られた人たちを助けるどころか、ヴィクター一人ですら助けることなんてできないじゃない……


 悔しさと、申し訳なさと、後悔とでクラリスの瞳からついに涙がこぼれ落ちる。

 そんな彼女をすぐ近くで冷ややかに見下ろしていた男は、うなだれたままのクラリスを足先で軽くつついて声をかける。


「オイ、そんなところで座ってんなよ。メイドが皿片付けんのに邪魔になんだろ」


「……」


「はぁ……めんどくさ」


 動く様子を示さないクラリスを見て溜め息を吐くと、フィリップは右手の人差し指をクイと上げる。

 するとひとりでにクラリスの身体は本人の意思とは関係なく立ち上がり、差しだされたフィリップの手をとる。


「ほら。ついてこい」


 足が勝手に彼の言葉に従って動きはじめたが、驚くことはなかった。フィリップはヴィクターと同じ魔法使いなのだから。

 宮廷直属の魔術師と彼は名乗っていたが、その正体が例の魔導師様であるのならば彼はヴィクターの旧くからの知り合いということになる。


「……あなたは、もしもヴィクターがコーディリア国に引き渡されて……その、死んでしまったりしたら。それでもいいの? あなたとヴィクターは友達なんでしょ?」


 食堂をでた先は赤いカーペットが敷かれた長い廊下に、クラリスの身長よりも高いたくさんの窓。ジェイクがマリーを見たというのも、きっとこの窓から見えたもののことなのだろう。

 廊下の途中には点々と扉があり、その中の一つにあたる場所に着いた時。クラリスはフィリップに対して問いかけた。


「ああ? まぁ、そうだな。死んだらそりゃあ悲しいよ。ただ、たしかに俺はアイツのオトモダチだが……あっちは俺のことを腐れ縁としか思ってねぇぜ」


「でも、それならなんで見捨てるような……わざわざ彼を追い詰めるようなこと……」


「……俺はな。アイツと取り引きがしたいだけなんだよ」


「取り引き……? いったい、あなたはなにを――きゃっ!」


 フィリップは魔法で部屋の鍵を呼びだして解錠かいじょうをすると、隣のクラリスの背中を押して部屋の中へと押しこむ。

 思わず柔らかなカーペットに手をついたクラリスであったが、その背後から鍵の閉まる音が響いたのに気がつくと、彼女は急いで扉へと駆け寄り少し乱暴にドアノブまわす。

 しかし内鍵のついていない扉はいくらドアノブをまわしてもガチャガチャと音を立てるだけで、クラリスは扉を叩きながら外にいるだろうフィリップへと呼びかける。


「ちょっと、なにするのよ! ここから出して!」


「ギャハハ! やーだねっ。ポールちゃんも言ってただろ。ディナーの時間まで大人しくしてろって。安心しろ。ヴィクターが取り引きにさえ応じてくれりゃあ、アイツの命の保証はしてやるからよ」


 フィリップはそう言うと、クラリスからは見えもしない扉の向こう側で、一転ニヤけた表情を押し殺す。


「まぁ、もしもアイツが応じなかったんなら。その時は……ぜぇんぶ。オマエのせいだけれどな。クラリス・アークライト」

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