エピローグ


「ただいま!」


 ドアの開く音とその声に、リビングの三人は大慌てで出迎えに走る。

 あのシロさえ気が焦ってしまって迅速に走りだし、三人は玄関に転がり込む。


 そこで待つのは変わらぬ姿のクロ――だけだ。


「クロ!」

「よかった無事で!」

「……せんせーは?」


 まずはクロのなにごともない姿に安堵はするも、すぐにいるべきもうひとりの不在に不安に駆られる。

 クロはその心配がよくわかるので、もったいぶらずにすぐさま答える。

 拳を握ってにやり笑う。


「うん、ちゃんと生きてるわよ。翠天を、ぶちのめしたわ!」


「よっ、よかったぁ……」


 三人はそこで脱力し、崩れ落ちるように床にぺだんと尻を落とす。

 心配していたのだ、すごくすごく、心配だった。

 たった数時間の別離が永遠のようで、遠く感じる魔力の波動が別世界のように隔たって。

 挙句――一度アカの魔力が完全に消失した。

 ほんのわずかの間ではあったが、その間に三人はもうわんわんと大泣きしたものだ。

 すぐに再び感知可能になったからよかったものの、あれがもうすこし遅ければ三人はどうなっていたことか。


 張りつめたものが切れ、穏やかに安堵する姉たちを見て、クロは思い切り共感しつつ言葉を続ける。


「なんか先生の先生にまだすこし話があるんだって」

「でもすぐに戻ってくるんだよね……?」

「もちろんよ!」


 最後の不安を払拭するよう力強く断定を。

 するとシロなどはもういつも通りに戻ってふてぶてしくこんなことを言い出す。


「じゃぁもうせんせーが帰ってくるまでこのままでええかぁ」

「そうだな、なんかもう動けそうにないよ」

「ほんとによかったよぉ」


 立ち上がれそうもない。

 平然とした風に装えそうもない。

 子供みたいに素直になって、きっとアカの顔を見たら泣いてしまう。


「ほいじゃあクロも、来んちゃい」

「え」

「そうだな、こうなったらもう格好つけれそうもないし、クロも道連れだ」

「えーい」

「わっ、ちょ……!」


 困惑する間にキィがクロを抱き寄せ、こちら側に引き寄せる。

 すぐにアオとシロも手を伸ばしてがっちり捕まえる。

 すこし抵抗してわちゃわちゃとなるも、クロもほどなく諦めた。


 ひとりだけ取り繕おうたってそうはいかない。

 ここは姉妹揃って先生に、すこし不格好でも泣いてでも……笑ってただいまと言おう。



    ◇



「それは仮説でしかなかったんだがな」

「……」

「まあ、ほとんど確実であるという根拠があっての仮説だがね」


 天と天とによる戦いは終わった。

 翠天は滅び、亡びは免れ、そして呪詛は消えた。


 だが、残るものがある。


 アカはそれを理解していて、どうしてもエインワイスと話しておく必要があった。

 先にクロだけを屋敷に帰してから、ひとりで師と対する。


「天なる者が死したらどうなるのか?」


 それは端的な疑問から始まった仮説。

 エインワイスが、最も長く生きた最初の天がずっと探していた疑問。


「答えは不明。なにせ私ですらその出来事に遭遇したことはない。だから、なってみないとわからない……それでも仮説は立てられた」

「幸いにもそらの色には支障ないようで」

「のようだ。だが不幸にも災害が遺った」


 冗句で済まそうとできやしない。


「天なる者、天位の魔術師は膨大なる魔力を保有して濃密過ぎる色相に染めている。

 その魔力量はこの惑星のそれに近い。その濃度は想像を絶する。

 そんなものが弾けて世に混ざり合えばどうなるか?」

「いちおう、それを避けるためにあのような結末を用意したのですが」


 魔力を限りなく外在魔力マナに近づけ、溶け合わせ、分解したつもりだった。

 けれどエインワイスは首を振る。


「あんま意味なかったな」


 あっさりと言われる。

 アカは俯いた。

 瑠天の言葉は止まらない。


「前例は、きっとあった」


 それはある時なんの脈絡もなく歴史上に現れいでた。

 それは強大なる力で世界中を震撼させて人類を蹂躙した。


 それをして――


「神話魔獣――あれらは一体どこからどうして出現したのか。そもそもあれは全体なんなのか。

 魔獣に似た害悪ゆえにその名を与えられた。性質で言えば精霊に酷似している。だがそのどちらとも、当然人間でもありえない。

 じゃああいつらなんなんだ?」


 答えがないことを確認して、仕方なしとため息交じりに言葉を続ける。


「おそらくは私以前にも天に辿り着いた魔術師がいたのだろう。それも、お前と同じ色相のな。馬鹿弟子」

「……」

「彼は私が生まれるよりも前に摩訶不思議なことに死して、そして災厄を遺した」


 仮説上のそれを名付けて堕天余災ダテンヨサイ

 天より堕した者は地上には災害となって落つ。

 天位テンイの魔術師の死後に出現しうる災厄だ。


「先の災厄が赤の生命的な災厄としての神話魔獣と呼ぶのなら、今回のそれは緑の呪い――いや祟りか。

 スイの天業からちなんで、冥不御祟メイフミタタリとでも名付けようか」

「祟り……」

「天は不死身だ――とか、スイの奴も言ってたな。あながち的外れでもなかったわけだ」

「笑い話ではありませんよ」

「そうだな、あいつの怨念は祟りとなって世界各地で被害をもたらすだろうよ。様々な種類の呪いが誰彼構わず襲い掛かる。昔、私たちが滅ぼしかけた神話魔獣どものようにな」


 三天導師がこの世に現れるまでの長い時代、神話魔獣は真に最悪の災厄であった。

 もはや御伽噺ですらない神話の時代のこと、それを精確に知っているのはエインワイスくらいであろう。

 だからこそ、彼女だけは強い懸念を抱く。


「こうなることは予測できてたはずだな?」

「はい。それでもいいと、私が決めました。後悔はしていません」

「そりゃ結構だが、対処はお前がやれよ。私は知らん」

「ええ承知しておりますよ」


 もとより彼女の助力など期待してはいない。

 危機感は抱いていても、だから対処しようとはならないところが、地とは離れた思考回路である。


「神話魔獣たちも、ほとんどを滅ぼすことができました。死して終わった天の理などより、今を生きる私たちのほうが優位であることはわかっています」

「ああ、それは間違いない。精々がんばれ」


 他人事すぎて熱意のない応援である。

 やれやれと肩を竦めて苦笑するアカに……不意にすこし低い声でエインワイスは言う。


「それとお前も死に様には気をつけるんだぞ、私みたいに異空間でくたばるなりしないと、お前の大好きな人間どもに大迷惑だ」

「わかって、いますよ」

「ああもしくは――今のうちに死んどくか?」

「冗談を……」


 言っているにしては師の瞳は真剣味を帯びる。

 すこし気圧されたように口を噤んでいると、師は続ける。


「心を理解し魂を掴む。

 確かに素晴らしい。天にありながら地に想いを寄せるお前にしかなしえない絶技だろうよ。

 だが代償も相応に重いようだな――お前、今どれだけ弱体している?」


 星の魔力という、アカをして膨大過ぎる魔力を借り受けるというのは、それだけで多大な負担となる。

 キャパシティオーバー。過剰供給による器の破損、である。

 その上で一度肉体的な死を迎えて、急造した新しい肉体に対する細部の違和感――アカは現在大きく力を損なっている。


「およその見積もりで、月位がいいところかと」

「雑っ魚」


 身も蓋もなく罵倒である。

 気休めを期待したわけではないが、あまりにも酷い言い様ではないか。

 不服気になりながらもアカはこう返す。


「まあすこし休めば戻るとは思うのですが……」

「すこしって具体的にはどんくらいだよ」

「面白がっていますね」

「そりゃ面白いわ」


 なんという師であろう。弟子が弱っているのにむしろ楽しげに傷をつついてくる。

 こんな師にはなるまい、アカは決意を固める。


「正直に言えばわかりませんね。これを本気で使ったのははじめてですので……」


 というか完成自体が本当にここ最近である。

 副作用など予測はできても確定はできていない。


「一年か二年か、もっとかかってしまうかもしれません」

「んじゃその間、お前どうすんだよ」

「別にどうもしませんが。ルギスもいない今、特段に敵対する相手もいませんし」

「ふーん? じゃあ私が乱心して世界征服でも目指すかぁ?」

「やめてください、本当に」


 冗談としても笑えない。

 ひとりエインワイスだけは笑っていて、本当に彼女は地とは離れた世界観で生きているのだと思う。

 だからこそ、アカは断ずる。


「そもそも天位テンイほどの魔術など、ただ普通に生きるのには不要ですよ」

「おいおい天がそれを言うか」

「天であり地であり人と、そう評したのはあなたであったはずでが」

「ふん、そうだったな」


 翠天は滅んだ。

 けれどそれで世界から悲劇がなくなったわけではない。いや、彼の残した新たな祟りがまた多くの悲劇を生み落とすのかもしれない。

 それでもきっと、大丈夫だ。

 世界は決して悲しみの一色だけではないのだから。


 世界は、色とりどりの可能性に満ちている。


「私は亜空で眠るつもりはありませんし、世界をどうこうしようとも思いません。

 ただ今までのように、静かに弟子らと暮らしますよ」

「そうかよ、まったくお前はいつまで経っても半端者だよ」


 それは貶しているようで、どこか暖かみを感じるのは何故だろうか。


 ……あぁ、そろそろこの隠れ家が現空間とは切り離されようとしている。一日すらも繋がっていられない。

 もうお暇しなくては、一年間閉じ込められてしまう。

 それは随分と困る。


 アカは踵を返す、顔だけで振り返って最後の言葉を。


「また来年にでも顔をだします、どうか息災で」

「ああ、お前もな馬鹿弟子。今度は他の弟子ってのも連れてこい」

「そうしましょう」


 それを別れの挨拶に、アカは来た時と同じようにエインワイスにもらった鍵を使って空間の狭間へと赴く。


 ひとりきりの帰り道。

 光も音もないこの空間の狭間は、どこまでも広く奈落のように底知れない。


 けれどアカは天である。

 この程度の闇に恐れなど抱きはしない。


 そのはずが……すこしだけ心細く思えてしまうのはなぜだろう。


 長く生きた。

 誰かとともにあることは多くあったが、それでもひとりきりで過ごすほうが時間としては長いはず。

 ひとりであるほうが気楽であり、むしろ誰もが足手まとい。失うことを恐れず済むし、裏切られる心配もない。

 ――なんて、欺瞞だ。


 きっとアカは寂しいのだろう。

 暖かな人たちと傍にいて、ともに暮らして、それでひとりが怖くなった。

 きっとそれは、弱くなってしまったとも言い換えられるのだろう。

 孤独に耐えられない惰弱さは非難されても甘んじて受け入れる他にない。


 けれどその弱さが翠天のルギスを打倒した。


 ひとりじゃ寂しいから誰かと寄り添い、共に道を歩くと約束する。

 過去にあったたくさんの悲しみも、未来にありうる多くの喜びも分かち合い、分け合ってひとつのテーブルにつく。

 そんな当たり前の、けれどかけがえのない日常こそが他の天にはない力をアカに与えた。

 なればこそ、アカの勝利は弟子らのお陰なのだろう。


 お礼を言おうとアカは思った。


 彼女らはなぜだか自分に恩を感じて、恩返しをと言うが――とんでもない。

 恩を受けているのはこちらのほうだ。恩を返したいのはこちらのほうだ。

 ただ傍にいてくれるだけで、一体どれほどアカが喜ばしく思っているのか、きっと彼女らは知らないのだろう。

 そういう恩に報いるために師として彼女らの未来のためにできる限りのことをしている。

 これからも、出し惜しみもなくすべてを教授していくつもりだ。


 ――あぁそうだ。


 シロはそろそろひとりで鍛え上げるにしても手持ちの情報が心もとないかもしれない。今度また一緒に図書館でも巡ろうか。

 アオには彼女の特殊性を活かして「変精転象ブルーゴースト」なんて教えてみようか。とても特異で高度な技ではあるが、まあアオなら大丈夫だろう。

 キィは杖作りがしたいと言っていたし、造形キイだけでなく他の色を混ぜた混色カクテルを教えてしまおう。器用な彼女ならきっと使いこなせる。

 クロにはまだまだたくさん……本当にたくさん教えたいことが残っている。


 知れず、アカの口元は笑みに彩られている。

 弟子たちの未来を想像するだけで、心が躍って仕方ない。


 こんな暗闇の中でも、すこしも恐ろしくはない。


 やがて狭間の終わりが見える。

 なにもないはずのここに、なんの変哲もないドアが出現した。

 それはいつも潜っている、我らが屋敷のドアである。


 ――ドアノブに手をかける。手首を捩じりながら押し込む。


 おそらく世界中に自分の存在が露見したこと。

 死してなお彼が遺した翠の祟り。

 弱り衰えいつ戻るともしれない我が力。


 不安の種は尽きない。


 けれどそれでも。


 ――扉が開く。屋敷に帰る。


「ただいま帰りました」

「先生!」「センセ」「アカ!」「せんせー」


 あぁそれだけでどうしてこんなにも希望を胸に抱ける。

 ひとりじゃない。きっと大丈夫。どんな困難も乗り越えていける。


 だってこんなにも可能性の色が満ち溢れている。


「おかえりなさい!」


 ――春がいつものように終わってしまう。

 ――けれど季節は必ず巡る。




    了








    □


 これにて本作は完結となります。

 ここまでのお付き合い、ありがとうございました。


 いちおう、あと四話ほど個別のお話を書きますので、蛇足かもしれませんが読んでいただけるとありがたいです。

 ではまた次があればお会いしましょう。

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