63 心思うが心の在り処


「理反のグリドー、か」


 アオの話を聞き終え、ジュエリエッタはどこか複雑そうにその名を口ずさむ。


「知ってるの?」

「まあ、ワタシも元九曜だしね、一度面識もあるしかつて彼のしでかした事件も聞き及んでいるよ」


 協会によって情報統制を敷かれ、知るものはごく一部のはずだが、彼女は立場上それを知りえた。


 ――理反のグリドーによる人体実験。


 幼子を使い、致死性の高い呪詛を用いた実験。

 それに使用された呪詛が『精霊化の祝呪』であったのは初耳だったが、彼の愚行と投獄は聞き及んでいた。

 そして、故にその先の考察に着手できる。


「しかしそうか、では今回のストルフェ……彼の精霊化も彼が噛んでいるのかな?」

「え」


 アオは驚いて。


「でも、グリドーはとっくに処刑されたって聞いたぞ」

「うん。ワタシもそう聞いた。けれど、処刑される前に協会での事情聴取……という名の強い詰問があったことは想像に難くない。

 ――『精霊化の祝呪』、それの実験進捗について」

「……!」

「たしかに。危険だけど有用って魔術なら、それの人体実験のレポートは喉から手が出るほど欲しいわな」


 魔術師なら、と含み笑いでハズヴェントは言う。

 彼らの本質は研究者である。

 そして魔術師の総本山である協会ならば、グリドーのもつ情報を欲しいがために無茶をする輩も存在したかもしれない。


「……たぶん、それがアンカラカだよ。あの女ならやる」

「えっと、ちょっと待ってください」


 そこでキィが話の整理のために一呼吸を要求。

 すこし沈黙のなかで頭を回して現状の情報をまとめる。


「グリドーさんが捕まって、センセが協会に預けた」

「うん」

「それで、協会でグリドーさんは処刑されたけど、それの執行の前に協会の誰かに研究の内容を喋ったってこと?」

「おそらくアンカラカだね、この状況からの推測に過ぎないが、まず間違いないだろう」


 そこで、アオが神妙に口を開く。


「じゃあ、アンカラカはグリドーの奴から引き継いで――『精霊化の祝呪』を完成させたってこと?」

「それで息子に施して……極北地に置いた? なんでだ? たしか極北地に精霊が出たって噂があったんだったよな? で、それの捜索に訪れたって話だったよな」

「順番が逆なんだよ、たぶん」

「どういう意味だ、キィ」


 ハズヴェントの疑問に、どう説明したものかとキィは腕を組んで。


「まずアンカラカさんがジュエリエッタさんを蹴落としたじゃない? だけどそれがバレかけて逃げる必要ができた」

「あー、だから逃げる理由を外に作った。それが極北地への捜索。そのために先んじて噂になるように精霊――自分の息子をそこに配置した」

「あとは息子と合流してトンズラってことか。迂遠だが、まあ成功率は高そうな逃亡計画だわな」


 アオのフォローも込みで、ハズヴェントはようやく納得。

 そもそもからアンカラカの計画で、目的。


 ならば彼女の最大にして唯一の誤算は、この極北地にまで追いかけてきた存在そのもの。

 しかも、それが赫天のアーヴァンウィンクルであり、そして半精霊のアオであったことが運の尽き。


「……それで、アオくん」

「ん?」


 ジュエリエッタはいう。


「きみは、どうして精霊に会いたかったんだい?」

「え?」

「ワタシはかつての彼女と再会できないかという淡い期待。アンカラカの奴はただの逃げ道だった……ではきみは? この精霊を巡る極北地への遠征で、きみの理由だけが見えていないじゃないか」

「……」


 それはひとつの核心を突いていた。

 アオの心は揺れ動き……アカがいないが故に、その弱音を吐き出せた。


「あたしはずぅっと思ってた。悩んでた。……あたしって、本当に人間なのかなって」

「……」

「半人半精霊……それってさ、もう人間じゃないじゃん。アカは人間だよって言ってくれたけど、なんか、腑に落ちない

 だってあたしは、もう半分も人間性を失くしてるはずなんだよ……心が、人間じゃないんだよ」


 人ならざるに半歩も浸かっている。

 たとえもう半分が人間だったとしても、それはどっちつかずの不様に過ぎず――むしろ、精霊でも人間でもない半端な怪物そのものではないのか。


「あたしは本物の精霊に会ってたしかめたかった。

 きっと、あたしと違ってもっと淡々として無機物的で、心なんてない……うん、ジュエリエッタさんのところのほーちゃんみたいな、そういう感じだって」


 もしもであったのなら、アオは自分を人間であると言い張れただろうか。

 人としての心というものを証明に、この身を人であると断じることができただろうか。

 わからない――けれど、それも結局は無駄な足掻きに過ぎなかった。


 ジュエリエッタは言いづらそうに。


「それは……」

「うん、違うんだろうね。ジュエリエッタさんが友達だって言うくらいだもん、精霊にだってちゃんと心はあって暖かいんだろうな。あたしの偏見なのはわかってる。でも、あたしは精霊じゃない、人間だって、そう信じたくて……」

「きみは――」

「アオは人間に決まってるでしょ!」


 そこで、遂にはち切れたようにクロが叫んだ。

 ずっとずっとアオの話を聞いてから俯き黙りこくっていた彼女は、その瞳に炎を宿している。


 むしろアオのほうがたじろいでしまう。


「え……どうしたんだよクロ」

「さっきから聞いてれば、なによ! 悩んでることが小さいわよ、くだらない!」

「くっ、くだらないって……!」

「人とか精霊とか、それがなんだっていうの! どっちでもあなたはアオでしょ! それでなにが不満なのよ!」

「それはクロは真っ当な人間だからそう言えるんだよ!」

 

 クロの暴論にはアオも怒りを露わに叫び返す。

 ずっと秘めていた己の不確実性をくだらないと断ぜられてはさしもの彼女も黙ってはいられない。


「勝手に人から外されたことあるのかよ! 自分が消えてくような死ぬほど気色悪い感覚になったことは!? あたしはあたしの心が信用できない!」

「あるわけないでしょ!」

「じゃあわかんないだろ! あたしの気持ちなんか!」

「べつにアオの気持ちじゃなくても、誰の気持ちも知らないわよ!」

「っ」

「みんな自分の心なんかわからない。ひとの心なんかもっともっとわからないわよ! でも!」


 クロはぽろぽろと涙を流して。

 心のままに感情的に、自分自身の言葉を吐き出した。


「それでも、寄り添ってわかろうとするんじゃない! それは、自分の心も一緒でしょ? 自分で自分をわかってあげようとしないで、自分の心が信用できないだなんてどの口で言うのよ!」


 他者を理解するためには歩み寄る他になく。

 そして、それは自分自身においても同じこと。

 何度も自問自答して、心のままに手足を動かして、叫んで、誰かと言葉を交わして……そうして自分で自分を見つけ出していく。


 それは困難かもしれない。

 自分のことが嫌いなアオや……それにクロには本当に難しいことだろう。

 けれど自分だけは捨て去ることはできない。


 心は自分という存在の最小単位。

 体を失い、死に瀕し、もうなにも残っていなくとも、それでも心だけは絶対に死ぬまで自分とともにある。


 だからこそ自らに向き合うことをやめてはいけない。

 なぜなら。


「だってアオ、わたしたちは魔術師、先生の弟子よ――そして魔術は心の学問なのよ」

「……ぁ」

「先生に誇れる魔術師は、きっと心も強くてきれいでカッコいいんだから!」



「だから――これ以上わたしの姉弟子を侮辱しないでよぉ!」



 もはや全身全霊のその絶叫は、クロの疲弊した細身から立っているぶんの余力さえ使い切っていて。

 がくりと膝から崩れ落ち――


「おっとっと」


 キィがそれを横合いから支えた。

 それから苦笑して、いつくしむように自らの妹弟子の顔を見た。


 ――本当に、この子は強い子だ。


 すぐに、キィは顔を持ち上げアオへと視線を送る。


「どうする、アオ」

「えっ。どうするって……なに、が」


 心ここにあらずといった返答は、それだけ大きな衝撃を受けたから。

 キィと話しながら、徐々に自分を取り戻して。


「ふふ。ここまで言われちゃって、まだ弱音、吐けるー?」

「それは……」

「センセに誇れる魔術師だって。アオの、目指したいところだよね?」


 アカに見ててもらえるような、そんな魔術師に……。

 それは彼女の原点。

 思い出したように目を見開いて、言葉もなく拳を握り締める。


 キィは、自分勝手を自覚してすこし眉尻を落として言葉を紡ぐ。


「アオ、たぶんアオは人の言葉にそこまで左右されたりしないよね。確固たる自分をもってるから……でも言うよ、わたしもアオは人間でも精霊でもどっちでもいいって思うな。アオがどっちかって聞いてくるなら、たぶん人間だって言うと思うけど、それはアオが欲しい答えを言ってるだけで……本心ではどっちでもいいんだよ。

 どっちだって、アオは大好きなお姉ちゃんだもん」

「うん……わかってる、もう、わかったから……」

「ほんとかなぁ?」

「アオはすぐ強がるわ!」

「それはクロもだろ!」


 くすくすと笑い合う。

 それは、もういつも通りの三人だった。

 吐き出すものを吐き出して、言いたいことを言い合って、大事ななにかを思い出せた。

 まだまだ燻るものは心のどこかにあるけれど、それでもずっと小さくなって、見て見ぬふりをできる範囲だ。

 心の整理はゆっくりつけるとして。


 大丈夫――アオは、これまでよりも力強く立って歩いて、先へと行ける。


 すこしハラハラして見守っていたハズヴェントとジュエリエッタはそこでようやく胸を撫でおろす。

 特に発端となった質問をしてしまったジュエリエッタは本当に失敗してしまったかと冷や冷やしていた。

 けれど彼女らの見せる姉妹の絆は、こんな諍いすら物ともしない。

 あぁほんとうに、羨ましいなとジュエリエッタは思うのだった。

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