幕間 アドバルド


 それは遠い遠いむかしの話。

 彼がまだ幼い頃の話。

 それは本当に偶然で、すれ違う道がひとつ違えば生涯顔を合わせることもなかった。

 人生で最も大切な、奇跡のような偶然の出会いの話。


    ◇


 その日、旅の魔術師が村に訪れて、芸を見せてくれた。

 町を渡り歩いては魔術を披露し金を稼ぐ大道芸人だった。


 親とともにその日見た魔術は本当に素晴らしくて、今でも目に焼き付いている。


 男が手をかざすだけで輝きが灯り、そこから火が舞い、巨大な岩を生み出し、その岩を細身で持ち上げた。

 ひとつひとつの奇跡が世界を彩って、得も言われぬ衝撃を受けた。


 自分もそんな奇跡を起こしてみたかった――魔術師になろうと、その日に志した。


 そしてはしゃいで走った帰り道に、そのひとと出会った。

 道行くそのひととぶつかってしまった。


 勢いよくぶつかったせいで、酷い形でこけてしまって、そのせいで膝を擦りむいた。

 痛がる姿にぶつかられたというのに、そのひとは慌てて膝をついて怪我を診てくれた。

 ふわりと。

 赤い魔法陣が輝いて――痛みはすぐに消えてしまった。

 

「まっ、まほうつかい……?」


 驚き目を剥いていると、彼は悪戯っぽく微笑んで人差し指を口もとにあてる。


「はい。ひみつですよ?」


 そして、彼は去っていってしまった。


 その邂逅は、ほんの数秒だったろう。

 交わした言葉も一言限り。

 つい先刻にはじめて見た派手な魔術の数々は目に焼き付いていた。


 しかしなぜかそれよりも――彼のたった一度のささやかで自然な魔術のほうが心に深く刻まれていた。


    ◇


 それから二十年の歳月が流れ、人並の魔術師となることができた。

 けれどあの時の治癒の魔術、あれには未だまるで届いていない。

 術師として目が肥え、卓越し、同世代では追随を許さないほどの魔術師となった今でもだ。


 幼いころの記憶であっても鮮烈であり、正確に覚えている――一瞬だけ見たあの魔法陣は、人知を超えたレベルで凄絶だった。


 あれほど精巧で細密、至高の術式はあれ切り見たことがない。あれは夢だったのではないかと思えるほど、本当に優れていた。

 どうにか真似ようとしても無駄だった。

 いや、すこしでも近づこうと必死になったからこそ、魔術師として今の実力を保持するまでに至ったといえるから無駄ではなかったのかもしれないが。


 いつも心のどこかで彼を探していた。

 はじめて訪れた町では常に周囲に気を配って無意識に探そうとしていた。

 そして、ある日そんな執念が報われたのか――やっと見つけた。


「あっ、あの! 魔法使いさま!」

「はい?」


 偶然、町を歩くその背中を発見し、居ても立っても居られず声をかけた。

 振り返るその顔は、二十年前とすこしも変わらないあの時のままで。


 あぁ、やはりと。

 心のどこかで納得がいった。


 突然引き留めたことに不快感はなく、ただ困惑する彼に。


「二十年前に、わたしはあなたと話しました」

「ええと。すみません、覚えがありません」


 混乱しているのはこちらも同じだった。

 あまりに唐突でわけのわからない切り出しになってしまう。

 彼は疑問を棚上げにしつつ、あまりに慌てふためいているこちらに冷静になるようとりあえずの指摘を。


「けれど、間違えていますよ。魔法使いではなく、私は魔術師です」

「いえ、間違っていないのではないですか? あなたは、御伽噺の――」

「……」


 そこではじめて、彼はすこしだけ驚いたような顔になった。

 しかし確信している。


 なにせあの日見た術式は――あれ切り見たことがないほどのもの。

 そう、月位ゲツイ九曜クヨウという人類の頂点たる魔術師たちでさえ、足元にも及ばないほど。


 おそらく、子供相手だと油断していたのだろう。

 おそらく、あの短い交差では覚えているはずがないと思ったのだろう。


 けれど覚えていた、色褪せず。

 だから今なら確信できた。


「あなたは三天導師さまではないですか?」

「どうやら、二十年前に会ったというのは本当のことのようですね。どこかで私の術式を見てしまいましたか……」


 困ったように笑って、彼はこちらの目を覗き込んだ。

 そこでなにを読み取ったのかはわからないが――彼は人差し指を立てる。

 その指先に小さく魔法陣が展開し、ふわりと周囲になにかの魔術が広がった。


 それの術式を解析しだすよりも――彼の言葉が早かった。


「その通り――私は三天導師が末席、赫天のアーヴァンウィンクルという者です」

「あっ、ぁあ! やはり、やはり本当の!」


 感動のあまり声が跳ね、奇跡的な出会いに歓喜に震えた。

 通りの過ぎる人々は、けれど不思議なくらいにこちらに無反応で――おそらくは先の魔術が遮断している。

 それを証明するように、アーヴァンウィンクル様は魔術に使った指をみずらかの口元へと持っていき。


「ですが、あまり吹聴なさらぬようお願いいたします。御伽噺は知られざるほうが素敵なものでしょう」

「はい、ずっと秘密にしていました!」

「……ひみつ」


 そこで、アーヴァンウィンクル様はふと目を広げ、自ら立てた人差し指をぼうと見遣る。

 得心いったようで、彼は曰く言いがたく笑みを深めた。


「そうですか、君は……あのときぶつかった少年ですか」

「おっ、覚えていてくださったのですか!?」


 あんな一瞬の遭遇を。

 あんなに昔のことを。

 あの三天導師さまが!


「いえいえ、今思い出しました。あのとき少しばかり格好つけてしまったことを、あとあとで気恥ずかしく思いましてね。それで、覚えていました」


 言葉通り恥ずかしそうに頬を掻く。

 すぐに表情を引き締め、どこか遠くを見るように、アーヴァンウィンクル様はいう。


「ですが大きくなりましたね。それに、いい魔術師に育ったようで……あぁ、そうだ」

「どうかしましたか」

「名前を」

「え」

「名前を聞いていませんでしたね、若く有望な魔術師よ、私に名を教えてくれませんか?」

「!」


 その問いに、酷く狼狽してしまう。

 だがすぐに――その狼狽の規模にしては、すぐに――人生で一番の歓喜とともに名を名乗る。


「わたしの名はアドバルド――アドバルドと言います!」

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