授業・要想心図


「今回は選ぶ魔術の方向性について考えてみたいと思います」

「? えらびかた?」


 またぞろ一言で理解しづらいことを言い出す。

 時々ならずこういうことがあるのだけれど、これはもしかして試されているのだろうか。

 ……いや、単純に言葉選びが教科書的なせいなのだろう。

 自分の言葉より、教科書にあるような厳めしい文言のほうが伝わると考えているのだ。


 その証拠に、ほとんど疑問符をつけただけの繰り返しにアカは不満もなく返す。


「ええ、そうです。

 時にクロ、現在魔術の種類は幾つくらいあると思いますか?」

「え? それは……たくさん、かしら」


 実に子供っぽい答えしか用意できず、クロは若干気恥ずかしげ。

 だが、アカは大きく頷いた。


「はい、それが正解です。数限りなく、魔術は存在します」


 黒板に文字を走らせる。

 学派、と書き込まれた。さらにその文字を粗く丸で囲み、矢印を飛ばす。


「術式の一語が違うだけで別の魔術であると唱える学派や、起こった事象だけで系統分けすべきと主張する学派、術式の型を定めて数値変動のみ同じ魔術と叫ぶ学派。その他もろもろと意見があって未だに論争しております。

 そしてどの学派でも共通している結論が、魔術は多いということです」


 クロの出した答えと、そこは変わらない。

 突き詰めて突き詰めて行きつく先はシンプルだということ。


「よって、習得するに際してもどれから覚えるべきかを考える必要があるわけです」

「たくさんあるから、迷っちゃうってことね」


 選択肢は少ないほどに迷わず済む。

 二択ならば秒で選べるだろうが、百も択があるとまず百を吟味するだけでどれほど時間がとられるか。


 そうした際に、なにかしるべとなるような方向性があると迷子にならずに最短で駆け抜けることができる。

 その無際限に広がる魔術の荒野にあるしるべをして――


「魔術師の要想心図ヨウソウシンズというものがあります」

「ようそう、しんず?」

「別に要想心図アスペクトリジンとも呼ばれたり、単純に心図シンズとだけ言われることもあります。私は短く心図シンズと呼ぶことが多いですね」

「そう、じゃあわたしもそうするわ。それで、それはなんなの?」


 そこで、アカはすこし間隙を挟む。

 わかりづらいだろうな、と思い、もうすこしわかりやすく言えないかと悩んで、可能な限り簡素に。


「端的に言えば思い入れです」

「え?」

「「想念の要たる心の絵図」――その魔術師に強く思い入れがあり、魔術の使用におけるもっとも馴染む術式のことを指します」

「ええと」


 さすがに聡明なクロもこれだけの情報では飲み込みきれない様子。

 簡素にし過ぎたかと重ねて説明を。


「魔術は魂に強く結びついており、心に刻まれているものほど術として転用しやすいという原理があるのは知っていますか?」

「理論は知らないけれど、感覚としてはわかるわ」


 魔術は心の学問である。

 心の在り方が魔術に影響を及ぼす。感情の機微が威力や精度を乱高下させ、覚悟が効能を強化する。

 嘘のようで、実際にそれは証明されたこと。


 クロも感覚的になんとなくでもわかることで、勉強した内容としても把握している。

 頷いて先を促す。


「それの応用的な発想なのですが、イメージがしやすいなにがしかは魔術の発動に際しても発現のしやすさに繋がるということです。

 その当人を定義づけるに際して象徴的なアイテム、概念、もしくは思想。そうしたものを自覚的に魔術と絡めることで術起動を容易にするメソッドであり、その象徴的ななにかを称して要想心図といいます」

「自分にとって特別なものは、魔術にしやすいってことかしら」

「おおむね間違っておりません。ただし特別といっても必ずしも好意的な意味ではないのですが」


 人のトラウマであっても、心図となることは多い。

 感情の大きさは、正より負のほうが容易く拡大する。


 クロはふむと腕を組んでとりあえずの納得を示す。


「ともかく、その心図っていうのを自覚したほうが、習得する魔術を選ぶときに効率的になるってことね」

「そのとおりです」


 心図をもとに魔術の方向性を決めて、下級のものから習得していく。

 もっとも効率的な方法で、しかし。


「とはいえこれは難しいものです。そもそも自分の心図がなんなのかわかることが前提ですしね」


 心図をもたない魔術師だってありうるし、無意識的に内在はしても自覚できていない者も多い。

 己を知ることは往々にして難儀であるがゆえ。


「ただ心図をもとにした魔術の行使をすれば、当人にだけはわかるものです。そこから割り出していくことは可能というわけです」

「割り出す……じゃあいくらか魔術を使っていって」

「それに関しては教本があります」

「あ、そっか。あれってそういう意味なんだ」

「はい。教本には百八の魔術が記載されていると言いましたね? あれは百八全て覚えるように、というわけではなく、百八通りも魔術を使ってみれば自らの進むべき道がおおよそわかるだろうという意味合いなのです」


 まあ、基本の百八なので、覚えておくに越したことはないけれど。

 幅広く魔術に触れてみるという本筋だけでなく、質の良い下級魔術の案内という部分も間違いなく優秀な書物なのである。


 大まかながら理解に及んできたクロは、さらにしっかりと知識に加えるためにそこで具体例を求める。


「ちなみに、ほかの子たちはどういう心図なの? あ、でも、これあんまり聞いちゃいけないかな」

「いちおう、先に教えてもよいかは三人に聞いて了承を得ています」

「そう、なんだ……じゃあわたしも、見つかったら教えてあげなきゃ」


 公平性を重んじてそんなことを言う。

 実際、魔術師の心図は秘匿されるのが常だ。術傾向がバレるのも当然困ることだし、なによりも心にある特別な思い入れなのだから。


 それを姉妹弟子だからとあっさり伝えることを許す彼女らは人がいいというか、もはや仲良しなのか。

 心をほっこりとさせながら、アカは秘密を教えていく。


「雪国の故郷をもつアオは「雪」あるいは「冷たいもの」を心図としています」

「雪の魔術を使うところ、見たことあるわね」


 当然にアオの一番運用しているのは雪をモチーフした魔術。あれは彼女の思い入れの証であったか。

 それと言われれば、確かにそうだと頷かざるをえない。


「キィは人に伸ばし続けた「手」あるいは「伸ばすもの」」

「ひとに伸ばし続けたっていうのは……」

「彼女の秘め事です。私のほうから勝手にお話しできることではありません」

「そっか」


 この屋敷の住人は、みながかつて呪いに苦しめられた過去をもつ。

 ならば心的外傷がそこにあってもなんら不思議ではなく、あの明るい笑顔の裏になにか複雑な事情が隠れているとしてもおかしくはない。

 そしてその隠れたものがキィの心図としてあるのもまた、なんら奇妙もなく。


 心図を明かすことは許しても、その心の傷までは――すくなくともアカから言うつもりはなかった。

 とはいえ気分を盛り下げたいわけでもなく、妙に落ち込む前にあっさりと次へと移る。


「シロは「眠り」あるいは「夢見るもの」」

「シロっぽいけど……なんか抽象的ね」

「心図は存外にして曖昧なものですよ。そして、曖昧であるほど有効範囲が広いため便利です」


 厳密に特定するよりも、ざっくりとした不特定のほうが多くの術に該当して馴染んで扱える。


「よくあるたとえ話ですが……「風」と断定すると動かない空気は含まれませんが、「空気」と言えばその両方を含むといった具合ですね」


 まあここらへんは術者の認識によるところがあるので、人によって変わることもあるが。

 その当人にとっての考え方やその心図への思いこそが世の常よりも優先的に作用する。


 魔術とはその者の心の鏡である。


 アカは言う。


「最後に、私ですが」

「え、先生のも教えてくれるの?」

「まあ、みなさんがいいというのに、私だけ隠すのも隔意を感じてしまうでしょう。それに、やはりみな知っていますから」

「……そうなんだ。じゃあ、教えて。先生の心図はなんなの?」


 御伽噺の魔術師は、その手のひらで自らを指し示す。


「私は「自分」ですよ」

「じぶん?」

「もう長らく私は私ですからね、否応なく象徴はそこに集約してしまうのです。ちなみにもともとは「人間」あるいは「命あるもの」でした。そちらにおいても、未だにある程度、心図として作用はしています」

「人って全体からより厳密に自分自身って個人になったってことね」


 長い年月が心図を変えた。

 そういうこともある。


「というか、心図って変化するものなんだ」

「はい。それになんなら、後天的に付け加えることも可能です」

「え。そうなの? もっとこう、不可侵な心の領域的なものかと思ったのだけど」

「間違ってはいませんよ。ただ心は思ったよりも柔軟です。

 たとえばその思想に殉じ続けて生きていれば、いずれ心図として自身に設定されることもありえますし、特定のアイテムを持ち続けることで自己の存在定義に食い込ませるなどもできます」


 炎の魔術しか使わない制約を課し、汎用性を捨て去った魔術師は確かに心図を変化させた。

 剣術なんて使えないのに剣を佩くなんて変わり者の魔術師も、この世には存在する。握るのは杖でも、放つのは斬撃という奇妙をもつ。


「心図に合わせて魂源色を変えたり、魂源色に合わせて心図を変えたり、魔術師は様々な選択肢を自ら選び各々の方法で天を目指します」

「そっか。うーん、せっかくならわたしも心図っていうの、見つけてみたいわね」

「でしたら、そうですね。なにか思い当たるものはありませんか?」


 物や現象、果ては思想に概念まで含み――自分がなにを特別こだわっているのか。なにを根ざして今の人格を運航しているのか。

 十二歳の少女に、その問いかけは難儀にすぎるであろう。もうすこし自分と向き合ってからでも遅くはない、そう伝えようとして。


 けれど、ふとクロは閃くものがあった。


「空……とか」

「空ですか?」

「うん。たぶんそうよ、なんとなく確信できるわ」


 クロという少女は、本当に規格外。

 その精神性や思考回路が魔術師に適応しすぎている。

 ただ魔術の才能がある天才ではない――魔術との適合が異常なまでにあるからこそ、彼女は異才なのだ。


「――病床のころ恨みがましくずっと見続けたわ」


 退屈を紛らせるようにベッドから空を見上げた。

 決して届かないほど遠いそれは、クロにとって絶望そのもの。


「――でも、立ち上がってから目指すべき場所でもあるの」


 俯くのをやめて先行くあのひとを追うように天を見上げた。

 踏み締めた世界は広くて未知に溢れていたけれど、道はあるから歩き出せる。クロにとって希望そのもの。


「――だから私の心図は「空」あるいは「遠いもの広いもの」だと思うわ」


 遠くあるもの、それは届かぬ絶望。

 広くあるもの、それは踏み出す希望。


 表裏一体の空への感情は、確かに少女の心に焼き付き刻まれたたったひとつ。

 そう考えれば、他にないようにクロには思えたし、その断言の清々しさにアカも頷かざるをえなかった。


「でも、「空」って、どんな魔術になるのかしら」

「……おそらくは、天候の系統でしょう」


 可愛らしく小首をかしげる少女に、アカはどこか申し訳なさそうに答えた。

 クロはそれに気づかず、むしろ期待に心躍らせ。


「天候……天気? 晴れとか雨とか?」

「雷、嵐、それに陽光。そういった大規模な術が相性いいのかもしれません。遠くて広い、なのでしょう?」

「…………それ絶対、初心者向けじゃないわよね」

「最上級者向けになりますね」

「じゃあ心図か試せないじゃない!」


 クロの要想心図がそれと確定するのは、もうすこし先の話。

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