キィ2 声
――ふと立ち止まって振り返ったのは、アカに名前を呼ばれたような気がしたから。
けれど当然にそれは気のせいでしかなくて、王都の雑多な人通りが広がるばかり。
どこにも、その姿があるはずもない。
「……」
早く帰ろう。
呟くこともなく、キィは前を向いて足を進める。
学園も終わり、ひとりで歩く帰り道。
それはキィにしては非常に珍しいことだ。
彼女の周りには常に誰かがいる。傍で言葉を交わして笑い合うのがいつも通りなのである。
彼女の華やかさ、誰とでも仲良くなれる気質、そして話し上手ですらあって、意識しないでも人が集まってくる。
むしろキィはそれを自覚した上で交友を広げ、友人を増やし、ひとりであることを嫌った。
とはいえ、こうして折り合い悪く誰とも帰路を一緒にできないような日だって時々ある。
アオすら先に帰ってしまったのは、すこし学園でおしゃべりが長引いてしまった自分のせい。
ひとりでいるせいか、いつもよりも肌寒く感じてしまう。
人恋しい思いが募り、暖かくなりたいと思ってしまう。
――ここ最近、アカとあまり触れ合えていない気がする。
たぶんこれも気のせい。
きっとキィの考え過ぎ。
どうせ寂しがり屋の欲張り。
わかっているけれど、日に日にアカとの距離が遠ざかっているように感じて仕方がない。
彼の視線から、自分が外れてしまっているような気がして恐ろしい。
理由はわかっている。
最近はずっと、彼はクロに付きっ切りだから。
可愛い妹弟子。呪いで家族を失った可哀想な少女。
新しい、家族。
わかっている。我が侭は自分のほうだ。
キィだって昔、屋敷に迎え入れられたときはアカがずっと傍にいて安心させてくれた。優しく見守ってくれていた。
それと同じ。
今だって変らない。
ちょっとだけ、クロに心配の心が傾いているだけ。むしろ自分やアオはもう大丈夫と信じてもらえているということ。
それでもさびしく思うのだから、ひとの心は複雑で。
妹のいるという学園の友人が、雑談の合間に話してくれたことを思い出す。
――大事なんだけどね。けど、ほんとにときどき、うとましいなぁって思っちゃうんだよね。
自嘲混じりの苦笑は未だに忘れられない。
彼女はキィが太鼓判を捺すほどに優しい少女で、まさか誰かに対して疎ましいなどと思うなんてないだろうと自然と考えていた。
だからこそ友人のその発言に、キィはすくなからずショックを受けた。
自分なら、大事な相手を疎ましいだなんて思わない――とっさにそう思ったのは、ある種の防衛機構だったのか。
本当は心の底で思うかもしれない卑しい自分に気づきたくなくて、強く否定してしまったのか。
実際、こうしてほんのわずかながらとはいえ、クロを疎ましいと感じているじゃないか。
妹ができたら喜びだけがある、とまでは楽観していなかったが、こういう気持ちになるのは想定していなかった。
それを自覚すると、あのときの友人の苦笑がなんども思い起こせる。彼女の言いたかったことが強く共感できる。
嫌いなわけがない。大事で、大好きだ。
それなのに疎む。疎んでしまう――そんな自分が嫌なのだ。
自分は悪くないと思いたくて、代わりに誰かを悪者にしようとする心の働き。浅ましい。
自分で思うよりも自分は小さな人間だったと知らしめられて、逃げ出したくなる。
心を持て余し、そんなままクロと顔を合わせづらい。
だからか足取りは重くなって、学園での会話が長引いたのかもしれない。
無暗で無駄な時間稼ぎが、こうしてひとりぼっちの帰り道として応報されてしまったのはお間抜けすぎる。
気づけば空にはお月様が顔を出す。
暗くなってしまったことに気づいて、キィはすこし慌てる。
心配させるような真似はしたくない――
「ぇ」
――ふと立ち止まってしまったのは、アカに名前を呼ばれたような気がしたから。
今度のそれは気のせいではなくて、目の前にはいつもの白いローブを纏ったアカがいる。
人ごみの合間で、不思議と誰にも触れず待ってくれている。
「キィ、大丈夫ですか?」
「え……えっ? センセ? どうして、ここに……」
ここは王都で、屋敷にはまだついていなくて、でもアカは間違いなくアカで……キィは混乱してしまう。
していると、アカは心配そうに顔を近づける。
「今朝からすこし元気がないようでしたので。アオも心配していましたよ?
今も何度か呼びかけましたけど、聞こえていない様子でしたし……」
心配かけたくない――ずっと心配されていた。
見られていない――ほんのわずかな違和感さえ、見ていてくれた。
なにも変わらず、キィを見守ってくれていたのだ。
なのに勝手に拗ねて、勝手にクロのせいにして。
馬鹿だ。
ほんとに、馬鹿だ……。
「ええと」
見つめ合っていると顔をくしゃくしゃに歪め、今にも泣きそうになるキィに、アカはなんと言うべきか非常に困る。
それでも顔を逸らさないでいると、キィのほうから俯いてしまって、前髪がその端正な顔を覆ってしまう。
けれどそうして顔を下げると、必然的に頭頂部がこちらを向いて、これは、まるで。
「え」
「あっ、いえ、すみません。思わず」
まるで撫でてと催促されるように思われ、アカは覚える衝動任せに頭に手を置いて優しく梳いていた。
キィの困惑した声に慌てて手を引っ込めようとして、
「ちがっ、ちがうよ。いやじゃないよ?」
「しかし」
「いいの。続けて」
女性の髪の毛というのは非常に繊細で、丁寧に整えているはず。不用意に触れてしまうのは、男性が思う以上に相当の不快感を与える。
シロにそのようにきつく言い含められていた。
ただ、当のシロは特別近しい者はセーフだから自分にはやれとも言われていて……その理論ならばキィはもセーフなのだろうか?
当人からも促されていることだし、とアカはなぜか心の中のシロに言い訳をしてから再び手を動かす。
傷つけないよう、壊さないよう、優しく優しく撫でてみる。
「ん、センセのほうからこうやってスキンシップしてくれるの、珍しいよね」
「それは……そうかもしれません」
だってアカは――
「センセが触っても、わたし、傷ついたりしないよ?」
「…………」
「センセは強いけど、強いから、ちゃんと自分を制御できてるじゃない。だから、怖くないよ」
だってアカは――化け物のように強大だから。
ひとによっては、その魔力の規模から近づくだけでも恐れを生む。島をひとつ沈める破壊力を秘めた存在に触れられて、恐怖しないでいるのは難しかろう。
けれどそんな懸念も見透かされて、キィは心地よさそうに目を細めた。
いつの間に、彼女の顔は持ち上がって、再びアカと目を合わせている。
「ありがとう、センセ。傍にいてくれて、触れ合ってくれて、ありがとう」
「……元気は、でましたか?」
「すっごく!」
えへへと笑うその顔は、もう落ち込んだ寸刻以前を脱却していて、いつも通りのキィだった。
アカのほうもそれで随分安堵して、撫でる手を引き、そのまま歩き出す。
「では帰りましょうか。その笑顔を、アオにも見せて安心させてやってください」
「うん、謝らないとね」
クロにも、とそれは声にはださず、キィもまたアカを追うように帰路につくのだった。
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