13 それでもと手を伸ばす


「おふたりとも、大事ありませんか?」


 泰然とした歩調で当たり前のように歩いて帰ってきたアカは、まずはそんなことを言い出した。

 言われたクロとジュエリエッタはしばし硬直し、返答もままならない。

 一方でアカは普段通りそのもので続ける。


「呪詛の範囲拡大に対応するのに十数秒ほど使ってしまいましたので、封鎖までの間に悪い影響を受けていなければよいのですが……?」


 そこまで言い切ってようやく無反応に疑問を抱く。

 どうして固まっているのだろう。

 首を傾げていると、ようやくクロのほうが再起動を果たす。


「って、そんなのどうでもいいのよ、アカ!」

「そうだよ、アーヴァンウィンクルさま!」


 つられたようにジュエリエッタも声を思い出して叫びだす。


「あの巨大な魔力の塊を相手取って、あの強大な呪詛の蛇の間近にあって、あなたのほうこそ大丈夫だったのかい!」

「ええ、それは、特に問題ありません」

「なんでよ! あれ、絶対近いほうが影響大きいやつでしょ! この距離でもジュエリエッタさんの防御がなかったらわたしたち死んでたやつでしょ!」

「ああ、やはりジュエルさんが防いでくださいましたか、よかった。うちのクロをどうもありがとうございます」

「それほどでもないよ、本当に、あなたに比べたら」


 そもそもアカがあの呪詛を消滅させていなければいずれジュエリエッタの防護も浸食され、クロ諸共死んでいた。

 けっきょく、アカがふたりを救っている。


 そんなことはない。


「いえいえ。それでもやはりジュエルさんがいなければクロの命は危なかったかもしれません。私の不手際です。そして、ジュエルさんのお蔭です」


 そこは断固として譲らないとばかりにアカは言い募る。


「私が幾ら手を伸ばしても取りこぼすものはあって。それを後ろで救ってくれるあなたのような人々に、私はいつも救われていますよ」


 たとえば白蛇の呪詛具をアカはジュエリエッタからの報告で知った。

 それがないまま時が過ぎていれば、あれはもっと膨らみもっと害をなしていただろう。

 ジュエリエッタがいたから、最小限の被害で収束できたのだ。


「選ぶ葛藤をしないで済むのは、あなたのような方たちが私を助けてくれるからに他なりません。ありがとうございます」

「っ」


 そのお日様のような笑みに、ジュエリエッタは眩しくなって目を伏せる。

 声が震え、目が潤み、心臓が破裂しそうなくらいに脈打っている。


 伝説に語られる御伽噺の導師さま、出会い知り合ってみると尊敬すべき魔術師であり、命の恩人でさえある。

 そのような御方にここまで言葉を重ねてもらうと、ジュエリエッタとしては身に余ってなにか溢れ出しそうになってしまう。


「あなたという人は、まったく……敵わないなぁ」



    ◇



「……あぁ、すまなかったね、ふたりとも。もう落ち着いた、大丈夫だ」


 昂ぶり切った感情を抑え込むのに、ジュエリエッタは五分ほどの時間を要した。

 その間に陽は完全に落ち切り、空には夜闇と月と星とが姿を現している。


 よくわからないまま、けれど静かに待っていたアカはジュエリエッタの顔を覗き込む。未だどこか心配げに問い。


「あの、本当に大丈夫ですか? まさか先ほどの呪詛の影響が……」

「ないよ。ワタシの気持ちの問題で、なんというか、あまり掘り下げないでくれるとありがたい」


 気恥ずかしさは極力表に出しはしないが、ジュエリエッタの内心は羞恥で焼け焦げそうであった。

 そういう感情を、なんとなくでクロは察していて。


「先生、だいじょうぶって言ってるんだからいいでしょ。帰りましょうよ。そろそろわたし、疲れたわ」

「まあ、それもそうですね」


 頷いて、維持していた『照明ライト』の魔術を移動させる。

 ふわりふわりと先導する灯りを追うように、アカは足を踏みだす。


「では、そろそろ帰りましょうか。ジュエルさん、本日はありがとうございました」

「いやいや、ワタシとほーちゃんだけの寂しい暮らしに客人は歓迎しているとも。こういう刺激も、たまにはいいさ」

「おや、そうでしたか?」


 意外そうに目を広げる。

 迷惑ばかりかけてしまった気でいたが。

 横にまで寄り同道するジュエリエッタの表情は穏やかながら満足げで、嘘は見受けられない。


 アカは柔らかな表情でいう。


「ではまた遠からずお邪魔しましょうか」

「そうしてくれるとありがたいよ。アーヴァンウィンクルさまとのお話はとても楽しいし、クロも面白い子だ」

「えっと、わたしもジュエリエッタさんのこと、嫌いじゃないわよ」

「ふふ、それはありがとう」


 なに言わねばと発したクロの言葉に、ジュエリエッタは微笑まし気に笑う。

 吟味してない反射の発言を笑われると、バツが悪くなる。言葉は準備をして発しないとどうにも妙な意味合いになってしまうとクロは知っている。


「……先に行くわよ」


 振り切るように足を早める。

 早歩きで三歩のところで、背中から言葉が突き刺さる。


「――クロ」

「なによ?」


 振り返る少女に、ジュエリエッタはどこか儚げに目を細める。


「ワタシは諦めた」

「……え」


 一瞬、なにを言っているのかわからなかった。

 けれどそれが途切れた会話の続きであると悟ると、また別に戸惑う。

 それは、どういう……。


「きっとワタシには百年の歳月を費やしても無意味だ。届かないということを嫌になるくらい理解できる。だから諦めた」


 ジュエリエッタの常な淡泊な風情はどこへやら、その言葉には異様なほどくたびれた響きがあった。

 それが、クロにはなんだか空恐ろしく思えた。


 どちらも自然と歩みは止まっている。アカもまたなにも言わず見守っている。

 沈黙は、夜風がふたりの間を通り抜けてやっと破られる。


「――わたしは諦めないわ」


 その天はあまりに遠く、伸ばした手はこんなにも小さい。

 月でさえもその高さに絶望し、陽を呑む蛇でさえもあまりに低すぎる。

 今日の一日だけで痛いくらいに理解できる隔たりがあって――それでも。


「わたしはぜったい諦めない。

 俯いて生きるのはもう飽きたもの――わたしはそらを見上げるひとでありたいの!」

「うん、それでいい」


 その清々しい断言に、ジュエリエッタは笑みを深めて満足げに頷いた。


「え」

「先を見据えるのはいいことだ。けれど見つめた先にある困難に、出遭う前からたじろいでいてはいけない」

「……」


 クロは黙して静聴。

 先行く――否、先着した魔術師の言葉を、胸に刻むよう。


「実際、出くわして、そこで必死にがんばるべきで。先の長さに挫けるようじゃ、その程度ということさ」

「子供は無鉄砲でこそって嫌味かしら」

「ふふ。そうかもね、歳を食うとそういう真っすぐさには眩んでしまうのさ」


 ジュエリエッタはクロを見据えたままに本当に眩し気に目を細める。

 それは自分にはないものをもつ者への嫉妬であり、憧憬であり、なによりも――


 自らの果たすことのできなかった向こう側へ辿り着く可能性への期待である。


「……がんばってくれよ、そらは遠いが近くにある。夜空が敷く黒い天鵞絨ベルベットのように」


 ――夏の暑さが去っていく。

 ――秋はもうそこまで来ていた。





    □


 ジュエリエッタはこの世界の魔術師なら割といる三天導師のファンです。

 そのため翠天のあれさ加減に真剣に悲しみますし、赫天にあんなこと言われて感極まってしまったわけです。


 要するに。

「推しが尊くて辛い……!」

 であり

「推しの弟子まで尊い……!」

 というわけです。

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